第62話 「バイバイ」

「晃太、洗い物終わったよ。ゴメンね、ちょっと時間かかっちゃった」


 俺が座ってスマホを眺めていると、そう言いながら柚が戻ってきた。

 その声は、さっきキッチンを覗いた時に聞いたような泣き声ではなく、いつも通りに戻っている。

 だから俺もいつも通りに返事を返す。


「おぅ、さんきゅー」

「どういたしまして。高いわよ?」

「柚の優しさはプライスレスだと信じている」

「あははは! 何よそれ。まっ、しょうがないわね。それよりもテレビうるさいわよ? 音量どんだけ上げてんのよ」


 腰に手を当て、ケラケラと笑いながらそんな事を言ってくる。チラッと目元に視線を向ければ、前髪で隠してはいるつもりだろうけど赤くなっているのがわかった。

 だけどそんな事を指摘出来る訳もなく……


「んなっ! お前が上げろって言ったんじゃねえーか!」

「あ……あーうん。そうだったわね……。うん。もう下げてもいいわよ?」

「ったく……」


 俺はいつも通りの調子で言葉を返して会話を続けながらテレビの音量を下げた。


「ゴメンゴメンって。あっ、ちょっと化粧直してくるね。洗い物してる時に泡が顔にはねちゃってさ。擦ったら化粧落ちちゃったの」

「そうか、化粧なら結が使ってる化粧台がそっちにあるぞ」

「あ、うん」


 ━━━


「じゃあ、そろそろ帰るわね」


 化粧を直して戻ってきた柚は、すぐにベッドの脇の鞄を持って玄関に向かった。俺も薬が効いてきたのか、帰ってきた時よりはスムーズに動けるようになったから、見送る為に立ち上がって玄関まで行く。


「帰るのか?」

「うん。やりたいこともあるしね」

「そうか。まぁ……気をつけて帰れよ。この腰じゃあ送ってやれなくて悪いな」

「いいよ。ありがと。ちゃんと安静にしてるのよ? 明日明後日くらいは仕事休みなさいよね」

「わかってるよ。明日の朝一で電話しないとなぁ……」

「「………」」


 なんとなく二人とも無言になる。けどそれは一瞬の事で、すぐに柚が口を開いた。


「結が……うらやましいな……」

「えっ……」

「ううん。なんでもない。じゃあね」

「あ、あぁ……」


 ブーツを履いた柚の体が完全に玄関から出る。そして扉が閉まる寸前……


「バイバイ……」


 そう聞こえたのは聞き間違いじゃないはずだ。


 玄関のカギをしめてキッチンに向かうと、冷蔵庫をあけて中から酒……はやめて、お茶を出してグラスの縁ギリギリまで注ぐ。


「っはぁっ……」


 それを一気に飲み干すと、すぐにグラスを洗って水切りに置き、部屋に戻るとベッドに寝転んだ。


 泣きながら洗い物をする柚の姿。滅多に言わないバイバイの言葉。

 それが頭から離れない。

 けど俺には何も言えない。言う資格が無い。

 だって俺はもう決めてしまったから。




「結………」





 ━━いつも読んでくれてありがとうございます。

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