第98話 世界のあれこれ③
神聖なる大聖殿にて一途に聖句を唱える者達がいた。
皆、聖法教の祭服を見に纏った法教師達であり、その一団の前には更に豪華な祭服を纏った白髪の老人の姿が見てとれる。
この老人こそが聖法教の教皇であり、聖法主と呼ばれるアヴァン・サーロット・メティスンその人だった。
聖堂は厳粛な空気に包まれており、ステンドグラスから射し込む様々な色彩の光と相まって幻想的な雰囲気を醸し出していた。
聖句を唱える皆が畏まって膝を折り、祈りを捧げるのは、二つの翼を背に持ち両手を包み込むように大きく広げた中性的な造形の偶像。
聖神の姿を司った偶像だった。
そんな厳粛な空間に大きな音と共に扉が開け放たれ、一人の豪華な鎧と剣を提げた十代後半の若者が、祭服を身に纏った二十歳位の女性を伴って聖堂に入ってきた。
「おい、聖法主さん。未だ動いちゃダメなのかい。僕はもう飽きちゃったよ」
黒髪の若者はそう言いながら、ズカズカと聖法主に近寄っていく。
「勇者様、いけません。聖法主様は聖神様に祈りを捧げているのです。今は邪魔をしてはなりません」
祭服を纏ったミディアム位の長さの翠色の髪をした女性が、勇者と呼ぶ若者を止めようとする。
「構いませんよ聖女ファロン。勇者ルティートよ、今暫くの辛抱です。貴方は未だ聖神様の力を使いこなせてはいない。今暫くはその牙を研ぐ時期なのです」
「いっつもそう言ってないかい」
ルティートが呆れたといった感じで言うのを、渋そうな顔でファロンが見つめる。
「ルティートよ、あなたは勇者なのです。聖神様が御遣わしになったヒューマの希望。今暫くは剣の腕を研く事です」
「だけどね。勇者なのに館の敷地内に居なきゃいけないってのはどうなのさ。これって軟禁だよ?」
軽い感じで言っているが、ルティートの瞳は険悪に染まりかけている。
「勇者様はまだその存在を知られてはおりません。貴方様の身に何かあっては……」
「……聖女ファロンよ。勇者ルティートが言うのも最もな事ですよ……分かりました。近々勇者召喚に成功した事を大々的に発表します。ルティートはそれまでに勇者らしい力を身に付けて下さい」
聖法主はルティートの意を汲み、近々発表する事でルティートの気を紛らわせた。
本来なら、勇者然とした力を得た後に発表するのが聖法主の考えであったが、勇者本人の意思であれば仕方あるまい。
こうなれば勇者には実地で腕を上げて貰う事にすると聖法主は考える。
「流石に聖法主さんは話が分かるね。ならば勇者の勇者たり得る力とやらを見せてやるよ」
ルティートは嬉しそうにそう言い放つと、踵を返して礼拝堂を出ていった。
「……宜しいのですか? まだ勇者様は魔物と戦える力はありませんが……」
「仕方がないでしょう。勇者ルティートには酷かも知れませんが、実地で鍛えるしかないでしょう。聖女ファロンよ。貴女にも苦労を掛けます」
「いえ、それが聖女の勤めであれば」
労るように言う聖法主の言葉に、ファロンは確りと自身の意思を伝える。
「貴女に聖神の加護が在らんことを」
「在らんことを」
聖句を返すファロンの顔には決意が窺えた。
其処はこの世の楽園と呼べる様な場所だった。
百五畳はあろう思われる室内は、まるで外の風景をそのまま切り取って来たかの様な佇まいをしていた。
剪定された木々が室内を彩り、人工的に造られた滝からは酒が流れ川を作っている。
その一角に絨毯を広げ寛いでいる男の姿があった。
ソファーのような椅子に美女を侍らせながら、川から汲んできた酒を傾けるこの男こそが、この国、ゼパール帝国の皇帝ガルバンシア・アル・ゼパールその人だった。
そんな室内庭園で優雅に過ごす皇帝の背後には頭を抱えた男が立っていた。
皇弟セルゼシア・アド・ゼパールである。
「兄上! 昼間からこのなさり様は一体何事ですか?」
「おお……セルアか。まあお前も座って一献飲め!」
鬱陶しい奴が来たとばかりに、顔をしかめながらセルゼシアに杯を差し出す。
「何を仰ってるんですか? 皆が政を行っている傍らで、兄上は御遊戯に興じるとは……」
「何、政は四方天とメンベクに任せておるわ。余がこうして過ごせる事こそが、太平の世である証拠であろうが。それが何故分からん?」
「兄上こそ何故分からぬのですか? 兄上こそ皇帝に在らせられますぞ?」
セルゼシアの言動に皇帝もほとほと困ったと言いたげに吐き捨てる。
「ああーうるさい奴め。皇帝ならばこそだろうに。余自らが先頭に立たねばならん程、帝国は危ういのか? そうではあるまい。帝国は磐石よ。なればこそ、余はこうしてゆるりと出来ておる」
「されど、南方では貴族達が横柄に振る舞い、民が食い物にも困っていると聞き及んでいます」
「ならば南方天に締め付けさせればよいだろう」
「西方ではサーマレイ王国が侵略行為に及んでいると聞きます」
「なれば西方天に注意を呼び掛ければよい。あやつなら対処も出来よう」
「しかし北西三国と戦に成るやもしれません」
「ならば北方天にも指示を出せばよい」
「ですが……」
「くどいぞ! 余自らが動く事ではないわ! 余の役目は神珠の管理よ。それ以外は、まあ毎日を楽しく可笑しく過ごせばよいのよ」
セルゼシアの言葉に耳も貸さず、それすらも耳障りである様に言う皇帝に、今日もセルゼシアは頭を悩ませるのだった。
嵐はすぐそこまで迫っていたが、神ならぬ皇帝では、その危機が如何様なものかなど知る由もなかった。
帝国を揺るがせる激動の動乱迄、今暫くの時が必要だった。
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