第90話 避けるは潜影、駆けるは疾駆、爆ぜるは球電


「へ、変異種……じゃと………」



(いや、違う。あれはこんなに小さな気配じゃなかった……まだ変異種になっていないと言う事か………)



 デュスの絶望的な表情を見て、漸く冷静な判断が下せた。


「いや、魔獣だな……まだ、変異種には至ってない」


「こ、此れでまだ変異種ではないと……」


 デュスの声にはこれ以上の絶望があるのかと言う空気が紛れている。


「デュスは下がれ。クムトの結界に入って、絶対に俺の前に出るな!」


「シュウ……お主は……」


「俺が食い止める。その間に……全力で逃げろ」


「……む、無茶じゃ……一人では……止められんぞ」


「だが、逃げに徹する隙は与えてくれそうにない。為らば、俺が時間を稼ぐしかないだろう」


 シュウの言葉に反論の余地はなかった。

 その言葉の通りなのだ。逃がしてはくれないだろう。

 既に魔獣の標的になっているのだから。

 

「問答の隙はない! 俺を助けたければ、さっさと此処から離れてくれ! 少しでも隙を見つけたら俺も逃げる!」


「……シュウよ………」


 それ以上はデュスも何も言えなかった。

 今出来る事は、少しでもシュウの負担を減らすべく、クムトの結界内に引き下がる事だけだと悟ったのである。

 無言で結界内に下がったデュスは、皆を連れて後方へとジリジリと後退していく。


「グロロロロ」


「逃げやしねぇよ! このデカブツが!」


 今此処に至ったって、シュウの脳裏には魔獣の事しか頭になかった。

 一瞬でも気を抜けば、地べたに這い回るのは自分だと感じていたからだ。



(ベルは本当にとんでもなかったんだな……)



 シュウは改めてベルニフェイと言う存在の凄さを実感していた。

 これ以上の変異種と言う化け物を瞬殺して退けたのだ。

 今の自分では到底出来そうも無い事を容易くやって退けた事に、ベルと言う女性に出会えた幸運に、今更ながらに感謝していた。



(何せ、これ以上の化け物を見た後だからな……まだコイツなら何とか成りそうな気がしてくらぁ)



 強がりである事は重々承知している。

 だが強がりでも何でも、足はまだ動く。心は折れていない。まだ絶望には至っていないのだ。

 それだけは変異種に感謝していた。



(後は殺るか、殺られるか……それだけだ!)



「いくぞぉおらあぁ!」


 初っぱなから全力全開だった。

 どこぞの漫画の主人公みたいに、相手の実力を出させて、その上で勝つなんて暇はありはしない。

 死ぬか生き残るか。デッド オア アライブだ。

 シュウは今出来る最速で……『疾駆』のアビリティを使用して、魔獣の眼前に飛び込んだ。

 移動は一瞬。だが、魔獣はそれにすら反応していた。

 黒い尾のような塊が右側からシュウを襲う。



(ちっ! そう簡単にはいかないかよ!)



 そのまま左にステップを踏み、尾の叩きつける様な一撃を再び『疾駆』で回避すると、『赤刃鎌』のアビリティで槍の刀身を赤化させ斬りつける。


「グウォォォン」


 魔獣は嘶くと、刀身が当たった身体を形作る靄の一部を拡散させながらも、身を捩って槍の一撃を回避する。

 軽く斬り裂けはしたものの、未だに健在な魔獣に舌打ちをする。


「ちっ! 斬った感触もねぇかよ」


 再び襲ってきた一撃を疾駆で避け、距離をとる。



(一応はダメージは通った様だがな)



 ニヤリと笑うシュウに気を悪くしたのか、魔獣は一声吠えると疾駆も斯くやといえるスピードでシュウに迫る。


「くっ、巨体の癖に動きがいいじゃねぇかよ」


シュウも迎え撃つ様に魔獣に向かうと見せかけて右に跳ぶと、そのまま槍を上段から斬り下ろす。

 魔獣も尾を使い槍に合わせる様に叩き衝けてくる。

 金属同士がぶつかったような甲高い音を響かせて、両者が弾き飛ばされた様に距離を取る。

 踏み込む様に前へ出た魔獣は一歩でシュウの懐近く迄迫る。


「ちぃっ!」


 思わず槍を両手で水平に掲げ、繰り出されるであろう一撃を受け止めるべく構えるが、魔獣は気にも止めず、前足を振り下ろしてくる。

槍の柄の部分に当たったと思った一撃は、黒い靄の様に槍の柄をすり抜ける。


「や、やべぇ!」


 シュウは瞬間的に左手を槍から放し、『疾駆』で後ろに跳びながら、顔面を庇う様に左手を顔の前に捧げる。

魔獣の一撃を受け止めようとするその左腕は魔獣の一撃で半ばから切断された。


「があぁ!」


 何とか左腕を犠牲にして距離を取ったシュウに、更に逆手で追い討ちをかける魔獣。



(ブッツケだよ! この野郎!)



 次の瞬間、一瞬だったがシュウの姿が掻き消える。自身の影に潜る事が出来るアビリティ『潜影』だった。

 魔獣の一撃は空気を切り裂きながら地面へと叩きつけられた。

 シュウはタイミングよく自身の影に一瞬だが潜り込んで回避に成功したのだ。

 魔獣の攻撃を何とか凌げはしたが、それでも左腕を一本持って行かれた。

 だが、それだけで済んだのだ。


「腕のお返しだ! 取っときな!」


 槍の穂先を灼熱に染めながら、シュウは刺突を繰り出す。


「グルォォォン!」


 槍は狙い違わず魔獣の胸元に突き刺さったが、魔獣が身体を大きく震わせると、刺さった槍ごと身体を後方へと跳躍させる。


「くっ!」


 持っていかれそうになる身体を、槍を手放す事で、何とか体勢を維持する。

 再び両者の距離が空いた。

 正に息も吐かせぬ一連の攻防だったが、分は魔獣にあった。

 既にシュウは左腕を半ばから切断され、更には槍までも手元から失っている。

 対する魔獣は槍に身体を貫かれてはいるものの、ダメージを大きく負って動きが鈍くなった感じは受けない。

 黒い靄が少し空気に拡散したのか、体格が少々小さくなった気がするが唯それだけである。



(やっぱ強えぇわコイツ)



 既に武器は無い。

 魔獣とシュウは互いに距離を計りながら、出方を伺っている。

 だがシュウの闘志は未だに衰えてはいなかった。

 唯今はじっくりと奴の隙を伺うのみ。

 シュウは円を描くように、一定の距離を保ちながら、次なる手を考える。

 この魔物に物理攻撃は効かない。だからシュウは物理外の攻撃を選択した。

 シュウの右腕の掌に球体状の電気が集まる。アビリティの『球電』だ。

 電気が稲妻の様にバチバチと放電を繰り返す。

 今のシュウに出来る最高の一撃。この『球電』を奴の体内で破裂させるのみ。

 恐らく次の一撃がシュウの最後の賭けになるだろう。

 ジワジワと距離を詰める。

 一歩、二歩、三歩、四……!


「グロロロロ!」


 黒い塊がシュウ目掛けて襲い掛かった。

 ギリギリまで惹き付け、シュウは最速の疾駆で右に跳ねる。が黒い尾はシュウ目掛けて横凪ぎに飛んでくる。



(ここだぁ!)



 シュウの姿が再び自身の影に消える。

 横凪ぎが通った後の一瞬。ここが勝負処と、身体を戻したシュウは全力で魔獣に向け突貫する。

避けるは『潜影』、駆けるは『疾駆』、そしてぶちかますのは『球電』。


「おらぁぁぁぁ!」


 シュウの右腕が根元まで魔獣に突き刺さる。


「全部持ってけやぁ!」


 シュウは右手に集めていた球電の電気を、魔獣の体内でその全てを解放する。

 球電の電気が魔獣の体内で爆ぜる。


「グラララォォォ……」


 魔獣は心痛な鳴き声を上げると、身体を形作る靄を大気に拡散させる。

 だが、その靄で出来た腕は動きを止めてなかった。



(や、やべぇ!)



 そう感じた瞬間、シュウの身体を何かが通り過ぎていった。

 シュウの身体を貫こうとした黒腕が、その一瞬動きを鈍らせる。



(跳べ!)



 瞬間、シュウは右腕を犠牲にして後方へと『疾駆』で離脱する。

 魔獣の一撃はシュウの腕を切り落としたが、その身体を貫くには至らなかった。

 魔獣の一撃を避けて、一瞬振り返って見えたのは、シュウを助けようとするクムト達の姿だった。

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