第85話 空間巾着袋
旅宿の部屋に戻ったシュウ達は、早速ティルに頼んで収納の魔方陣を施して貰うことにした。
「先ずは俺か……デュス。魔方陣ってのはオドとマナどっちが大事だ?」
袋の制作にあたりシュウはデュスに特に重要と思われる力の方向性について尋ねる。
「ふむ。魔方陣は魔導具と同じ様に、周辺のマナを取り込んで発動するのじゃ。じゃからオドよりマナが重要じゃの」
「なら、マナをより多く取り込めば……」
「おそらくじゃが、収納出来るの量が変わってくるじゃろな」
少し悩む様子を見せるシュウにデュスが自分の予想を基にして話す。
「……マナか……俺の魔糸がマナの通りをよく出来れば、ティルの負担も軽くなるか」
「無論、それもあるじゃろの」
このデュスの発言でどの様に糸を紡ぐかの方向性をシュウが決めた。
「試した事は無いんだし、まぁいっちょやってみますか」
(要はイメージ。オドじゃなくマナ。糸により多くのマナが……いや、マナの通りをよくした魔糸か)
イメージを固める。マナの通りが良い魔糸を尻尾の先から吐き出すイメージだ。
魔操の能力は魔糸自体にも効果を及ぼす事は既に分かっている。
斬糸にしたり粘度を高めたりと今迄だって出来たのだ。マナに対応した魔糸も作れる筈だった。
シュウは目を閉じ集中して魔糸を吐き出し紡いでいく。
形状は単なる袋。上が空いていて、残りは極め細やかに、なるだけ密封出来るようイメージする。
徐々に形を成していく糸。袋の形状に整えられていく魔糸に比例してシュウの負担は大きくなっていく。
(ぐっ。オドじゃなくマナに変えただけでこの負担かよ……)
シュウの額に汗が滲む。
慎重にゆっくりだが巾着袋の様な物が造られていく。
「な、何か凄い大変そうなんだけど……」
「それはそうじゃろ。マナに干渉しようと言うんじゃ、最早常人の成す事ではないわい」
ティルとデュスの会話もシュウの耳には届かない。
普段のシュウからは考えられない没頭した様子だった。
どのくらい時間が経ったのだろう。
漸く巾着袋状に糸が形を成し、シュウは大きく息を乱しながらも最後までやりきった。
「はぁはぁ……ど、どうだ?」
デュスが袋を手にし、驚愕の表情を浮かべた。
「お、お主! シュウよ! な、何て物を作り出したのじゃ!」
興奮したデュスはシュウに詰め寄らんばかりの勢いで捲し立てる。
「こんな物は見た事も無いわい! まるで魔導輪の発動状態の様な袋じゃと? こんな物が世の中に出たら、魔導具の価値がのうなるわ!」
「はぁはぁ……落ち着け…よ。こん………な物……は…そう簡単…に……作れる……かよ」
「シュ、シュウさん? 本当に大丈夫ですか?」
「すまん……が、休ませて……もらうぞ」
心配そうなクムトにやり遂げたという笑顔を見せると、シュウはそのままベッドに倒れ込んだ。
「ちょ、ちょっと。大丈夫? てか、これに私が魔方陣を描くわけ?」
勘弁して欲しいとティルの表情が物語っている。
「……あのシュウにしてこれ程の消耗じゃと? 本当にとんでもない物を作り出したおったわ……彼奴は」
最早飽きれを通り越した様子でデュスがシュウを見つめる。
「ねえ……ほんとに自信ないわよ…私……」
「大丈夫だってティル。シュウさんも言ってたでしょ。出来たら儲けものだって」
「ならいいんだけどさ……」
ティルが諦めにも似た表情で買ったばかりの魔導筆を右手に持ち、巾着袋を左手に取る。
「な、ならやるわね」
「……要は……イメージだ……」
倒れたままシュウはティルに言葉をかける。
「! わかったわ!」
シュウの気持ちに答える様に、気合いを入れて魔方陣に挑む。
目を瞑り一呼吸置くと魔導筆を巾着袋に向け、神経を、意識を収納の魔方陣に集中させる。
魔導筆を円を描く様に動かす。その動きに呼応するかの様に光のピースが図形を構築していく。
想像複写――思い描いた形を模写する。
空間方陣――宙に魔方陣を描き出す。
この二つのスキルが新たな物を創り上げる。ピースが徐々に合わさっていき一つの魔方陣と成った時、持てる力の、イメージの全てをぶつける様に鋭く叫ぶ。
「収納!」
魔方陣の輝きが巾着袋に吸い込まれていった。
光と共に魔方陣は巾着袋の中へと消え、後には只沈黙だけが残された。
「えっ?」
と、同時に魔導筆は役目を終えた様に、ひび割れ、粉々に砕け散る。
「ふむ。ティルの力に魔導筆が耐えられんかった様じゃな」
「わ、私の魔導筆があーー!」
室内にはティルの絶叫が響き渡るのだった。
クムトら三人は巾着袋が出来た事で、シュウをベッドに寝かせて一階に併設されている酒場に降りて来ていた。
「で、今日の図書館でのシュウの様子は尋常じゃなかったが、一体どうゆう事じゃ?」
早速とばかりにデュスが口火を切った。
「うん。私も変だと思ったよ」
ティルも少し心配そうな様子でデュスの言葉に乗っかる。
そう、今日の図書館でのシュウの様子がおかしかった事を、クムトに問い質そうと集まっているのだ。
「……そうですね。特にシュウさんは気にしないだろうから言うけど、僕とティルとシュウさんは異世界から転生しました」
「うん、それは知ってるよ。そう言えば、シュウは神の事は知らないって言ってたよね?」
かつてシュウ自身が言った事だ。偶々この世界にやって来たと。
「そう。シュウさんは違うんだよ。サコィ君って言う子に呼び出された? いや、同化したみたいな感じでこの世界に来たんだ」
「……同化…じゃと。そりゃまた不思議な事もあるもんじゃな」
デュスが神妙な顔でクムトの言葉に応じる。
「僕が初めてシュウさんと会った時は……上半身が狼と人で下半身が蜘蛛っていう、本当の合成獣の姿だったんだ」
「えぇーーっ! シュウって本当に人じゃなかったんだ……」
初めて聞いた暴露話にティルは驚愕の声を上げる。
デュスも目を見開いて驚きを露わにしていた。
「最初は会話も出来なかったしね。で、色々あってシュウさんとサコィ君とは別々の存在になった」
クムトの脳裏にはあの洞窟での一件がありありと浮かんでいた。
「ふむ。今日のシュウの様子が違ったのは、その子が絡んでおると?」
「はい。シュウさんは今の様に獣族に近い姿になった……けど、サコィ君は蜘蛛の姿になっちゃって……」
「……だからシュウはその子を助けようとしてるんだ」
二人ともクムトの話からそれぞれ答えを導き出す。
「うん。自分だけが自由でサコィ君は蜘蛛として生きている……それをシュウさんはすごく気にしてて……。サコィ君を元のヒューマ族に戻す事が、シュウさんの旅の目的でもあるんだ」
「ふむ。であれば、今日の事は確かに気に病むじゃろうな」
「だよね。シュウからしたら想定外だったんだろうし」
初めてシュウの旅の目的を聞いて、漸くシュウがあそこまで様相を崩した事を理解する。
「だから、皆にもシュウさんの手伝いをして欲しいんだ。少しでも情報が集まれば、シュウさんも少しは気が楽になると思うから」
「了解じゃ。まったく、シュウも素直じゃないのぉ」
「でも手伝うって言った時は、ほんとに感謝してたよね。うん。私も俄然手伝う気になったよ。何時かサコィ君を元に戻してやろうね」
「うん。二人ともありがとう」
二人が好意的に受け止めた事に、クムトは心底嬉しそうな笑顔を見せるのだった。
いつの間にか気を失っていたシュウが目を覚ましたのは、夕刻の鐘が鳴った後だった。
「……こ、ここは……」
ゆっくりと思考が回転してくる。
「そうか……気を失ってたんだな」
室内はしずかなものでクムト達の姿は見えない。
シュウは気配を探り一階の恐らくは食堂に見知った気配がある事を感じ取った。
ベッドの脇にあるテーブルの上には、シュウが作成した巾着袋がひっそりと置いてあった。
「で、どうなった?」
ゆっくりと巾着袋を開き中を覗き込む。
見た目は只の巾着袋だった。
失敗したのかとシュウは一瞬思ったが、巾着袋の側に折れた魔導筆が置いてあるのを見て、その欠片を巾着袋に入れてみる。
「ほう」
袋の中へと入れた欠片が、不思議な事に消え去る。
残りの破片も全て袋に入れてみるが、その全てが、袋に入れた途端に消えてしまった。
巾着袋の容量からして、入るきる訳も無い量の物体が消えた事に、シュウはほくそ笑む。
今度は巾着袋の中へと自分の手をゆっくり入れ、感触で魔導筆の破片を摘まみ上げてみる。
引き抜いた手の中には、摘まんでいた破片がしっかりと存在していた。
「どうやらティルは上手い事やったみたいだな」
確認と思いシュウは巾着袋を持ち上げると逆さまにしてみる。が、袋からは何も落ちて来ない。
どうやら手で取り出さなくてはいけないようだ。
取り敢えず、入れた破片を全て取り出しておく。
「まぁ問題は無さそうだな。この魔導筆が壊れているのは、よくわからんが」
取り敢えずそれは置いといていいだろうと、シュウは一階の皆に合流すべく巾着袋を手にドアを開けて部屋を出て行くのだった。
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