第71話 寂れた旅宿


 その旅宿はシュウ達が騒ぎを起こした表通りから二本ほど奥に入った路地にあった。

 大きな看板が出ており、達筆な文字で花薫亭と書かれている。

 宿の一階部分は飲食が出来る酒場の様になっている様で、既に何組かの客達が食事や酒を楽しんでいる姿も見受けられる。


「何か、結構流行ってそうな宿ね」


 ティルの素直な感想にデュスも満足そうに頷く。


「うむ。これなら食事も期待出来そうじゃな」


「デュスはお酒のお摘まみが、でしょ」


「うむ。正に正に」


 デュスの発言にやっぱりという表情をティルが浮かべる。


「まあ、兎に角中に入りませんか?」


「だな。クムト任せたぞ」


「はい!」


 どうやらシュウは矢面には立たないらしい。

 まあ立場的には獣族なのだ。こういった場合はデュスとクムトに任せるのが定石だろう。


「シュペル!」


「チィッ」


 路地に面した屋根の上に止まっていたシュペルが、シュウの肩に止まる。


「ああーっ。シュペルはこっち!」


「チィッ」


 一瞬シュウの顔を覗きシュウが頷いたのを確認してからシュペルはティルの肩に飛び移った。


「えへへ」


 ティルは満足そうに頷く。


「ほら、行くぞい」


 デュスを先頭に一行は酒場の中に入っていく。


「いらっしゃい!」


 恰幅のいい女将と思われる中年の女性が威勢の良い掛け声で出迎える。


「うむ、女将よ。少々尋ねるが、ヴァンとパイアという兄弟を雇っていたのはここで間違いないかの?」


 女将は少し表情を陰らせると重々しそうに声を返してくる。


「あいつらが何か仕出かしたかい?」


「いえ。この宿を紹介したのはいいんですが……」


「筋肉の修行だと町を飛び出して行きおったのじゃよ」


 クムトの言葉に次ぐ様にデュスが説明する。


「あいつらは……まったく……」


 デュスの言葉に頭を抱える仕草を見せる女将。


「それで僕達がそれを伝えに来た訳でして……」


「まあ、序でに宿が空いていれば、値段次第で厄介になろうと思うての。酒場の雰囲気から食事は満足できそうじゃしな」


 クムトと二人がかりで用件を伝える。


「そうかい。そう言って貰えるとこっちとしても嬉しいよ。済まないね、態々伝えて貰って」


 申し訳なさそうに頭を下げる女将に、クムトが恐縮したように慌てて声を掛ける。


「いえいえ。こっちも宿を探していましたし……まあ、客引きとはとても思えませんでしたが……」


「……だろうね。内の旦那が雇ったんだけどね、そんな事になるだろうと思ってたよ」


 クムトの言葉に溜め息を吐きながら女将が答える。


「まあ、宿は空いてるよ。一泊……四人部屋で良ければ、朝夕食込みで一人銀貨五枚だよ」


「ならば取りあえず厄介になるとするかの」


 デュスの答えに女将はパタパタと手を振ると笑いながら答える。


「あたしはこっち専門でね、内の旦那が宿の方を担当してるのさ。一寸待って貰えるかい?」


 そう言うと酒場から繋がっている通路を通って隣棟に消える。


「アンタ! お客だよ!」


 戻ってきた女将は少し待つ様に言伝ててから調理場に消えた。


「元気な女将さんだったね」


「うん、そうだねー」


 クムトとティルが顔を見合わせながら互いに笑い合う。


「チュチュン」


 まるで二人に同意するかの様に、シュペルも小さく鳴くのだった。




「……すみません……お待たせしました」


 痩せぎすの少しボロっとした感じに見える服を着た中年の男性が出迎える。

 だがその顔は気弱そうで且つ覇気の無い顔付きだった。


「こちらへどうぞ……」


 宿の従業員と思われる男性に案内されて、先程女将が潜った通路を進み宿の受付と思われる場所に辿り着く。

 そこはクリーム色の壁に受付と書かれた紙が貼ってあるデスク、そして宿の部屋に通じているだろう階段があるだけの空間だった。

 階段部分を除いて十二畳ほどの空間にあるのはそれだけだった。

 掃除はしっかりしているのだろう。

 塵一つ落ちてない様子だったが、シュウが受けた印象としては閑散とした何処か落ち着かない印象。敢えていうなら空虚だろうか。


「な、何かここ落ち着かないかも……」


 どうやらティルも同意見のようだ。

 こざっぱりしているのに何故か受けとる側には大袈裟に言えば不快感を与えている。


「ま、まあ良いではないかの。清潔そうじゃし……」


 デュスも戸惑いは隠せないようだ。


「そうなんですよね。皆さんそう仰います」


 そう言いながら受付台の向こう側にまわる従業員と思われる男。


「改めまして、この宿の主人をしてますタナンと言います」


 どうやらこの旅宿の主人だったようだ。だがどうにも一従業員としか見えない。


「この宿の事はヴァンさん達に聞いて来たのですか?」


 クムトが返事をしようとするのをシュウが手で抑え代わりに返答する。


「いや、あいつらは職務放棄だ。まぁそれはいい」


 シュウはアッサリとそれを告げると苛立ったように更に言葉を重ねる。


「だがここに泊まる以上、お前の雰囲気は気に食わん。店主ならその雰囲気を改善しろ」


 あまりと言えばあまりのシュウの意見に、目を白黒させながらも控えめにタナンが意見を言う。


「はあ、何と言ってよいのか。ご不快感を与える積もりはないのですが……」


 初見の相手にそう言われたにも関わらず、タナンはおずおずとしか言い返せない。

 普通なら客相手だから直接怒鳴りつけないまでも、もう少し反論的な言い回しをするだろう。

 だがタナンはアッサリとシュウの意見を受け入れた。

 

「その態度だ。かなり清掃には気をつかっているようだが、恐らくこの宿は流行ってないだろう。それは偏にお前が問題だ」


「は、はあ……」


「どうだ主人。ここは一つ俺と取り引きをしないか? 俺が少しはマシになる様な意見を述べる。もし納得したなら宿代を負けろ」


 シュウがクムトを抑えてまで話したのは宿代金を負けさせる気があっての事らしい。

 無論シュウのやる事だ。一方的に得えをする取り引きなどしよう筈もない。

 ちゃんとこの旅宿の事を考えての発言だった。


「……分かりました。どうせこのままだとお客も入りませんし……聞くだけ聞かせて貰います」


 死んだような目で呟く店主。どうやら経営も困難なのだろう。

 客とはいえ見ず知らずのシュウの意見を聞こうとする辺りかなり切迫した状況の様だ。

 シュウは自身の思惑が予想通りだった事もあり内心で暗く笑っていた。

 このイライラさせる店主の態度を根本的に改善してやると決めたのだ。

 ついでに宿代が安くなる。一石二鳥であろう。


「なら交渉成立だな。まずは……」


 こうしてシュウによる宿屋再生計画がスタートするのだった。

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