第70話 桃色筋肉


「まぁ、これが真の筋肉だ」


 唖然とする周囲を他所にシュウはあっさりとそう言い切る。

 直ぐに巨大化していた腕を元に戻すと、身体の前で両腕を組む。


「で、筋肉談義はもういいよな?」


 コロコロとサイズが変わるシュウの腕に周囲の視線が驚愕に変わり、ヴァンパイア兄弟も顎が外れそうに成る程、呆然としていた。


「じゃあな。まっ、頑張って筋肉鍛えろよ」


 シュウは目線でクムトらに此処から立ち去る旨を伝えると、一も二も無く皆から頷き返される。

 どうやら皆もさっさとこの場から離れたいらしい。

 そのまま呆然と立ち尽くす兄弟の横をすり抜けるように移動しようした時、兄弟は新たなポージングで行く手を再度妨げる。


「「師匠! お待ちください!!」」



 アブドミナル・アンド・サイ



「はぁ?」


 そのままポージングを崩すと、徐に大地に二人揃って両手両足を付けて頭を下げる。

 所謂土下座というやつだった。

 二メートルを越す大男達の土下座だ。

 辺りがシンと静まり返る。

 ヒューと風が吹き、コロコロと丸くて黒いモジャモジャが地面を転がっていく。


「「師匠! 我らに筋肉の極意について一手御指南を!」」


 兄弟が揃って叫ぶ。それは魂の叫びだった。


「いや、俺は筋肉の師匠ではないのだが……」


「そんな事はありませぬ!」


「我らの前で隠し事は不要!」


 一度顔を上げ答えると再び深く平伏する。


「「どうか御一手、御教授を!」」


 周囲の視線がシュウに注がれる。

 視線で何とかしろと言われている気がして、シュウは居心地が悪くなった。

 そのまま沈黙が辺りを支配する。


(こりゃ何とかしないと悪目立ちするな……)


 もう既に遅いとは言わないし、思わない。

 シュウは、はぁと一つ溜め息を漏らすと渋々と言葉を返した。


「わぁったよ。で、先ずは何で俺達の前に立ち塞がった?」


「「我らの仕事故!」」


「仕事だぁ?」


 意味不明な言い分に、シュウも思わず問い返す。


「「我らは旅宿の客引き故に!」」



「「「「「なんだそりゃー!」」」」」



 周囲の声が重なりあって辺りに響き渡る。


「……き、客引き……だったんだ……」


「……ねえクムト? ……この人達、馬鹿なの?」


「阿呆じゃな」


 クムト達も口々に感想を述べる。

 シュウも疲れたような表情を浮かべ、兄弟に問いかける。


「で、旅宿の客引きが何故俺達に目を付けた?」


「「我らの耳も筋肉で出来ておりまする。話から宿を求めていた様なので、我らの宿『花薫亭』に案内仕りたく」」


 平伏のまま叫び続ける兄弟。

 ある意味で旅宿の宣伝にはなったようだ。泊まりたくなるかはさておき。


「成る程。用件は分かった。で、もう行ってもいいか?」


 宿の事はスルーするつもりらしい。


「「いえ、筋肉の御指南を!」」


 どうやら未だ帰らせてはくれないらしい。

 シュウは再度溜め息を吐くと、渋々言葉を紡いだ。


「なら、指南すれば行っていいか?」


「「はっ!」」


「……分かった。なら一つだけ教えよう」


「「おお! 有り難き!」」


 周囲の視線を集めながら、シュウはコホンと一つ咳をすると、話を始めた。


「いいか? 先ず筋肉には二つの種類がある。一つは赤い筋肉、所謂持久力を持った筋肉だ。二つ目は白い筋肉、所謂瞬発力を持った筋肉だ」


 ここで一度話を切り、兄弟の様子を伺う。

 兄弟は大地に額を擦り付けるようにして、一言もシュウの言葉を聞き逃すまいとしていた。


「だが、実は三つ目の筋肉がある。それが幻の桃色筋肉。赤白両方の能力を併せ持つ最高の筋肉だ」


「「おおーーっ!」」


「この筋肉を得る為には、人と同じ事をしていても得る事は出来ない。自身を追い込み、苦しい修行の果てに、更に他の人では凡そ達成出来ぬ偉業を成し得てこそ、この桃色筋肉を得る事が出来る」


「「な、なんと……」」


「さて、お前達はどうしたい? 修行の果てに人すらも恐れる魔物を……そうだな……変異種でも退治してみるか?」


「「それで幻の桃色筋肉を得られるならば!」」


 シュウは一拍置くと力強く明言した。


「ならば今成すべき事は何だ? 時間は有限だ。無駄な時間を割いている暇など無いはずだ!」


「「ははーっ!」」


 シュウは演技過剰に両手を大きく開いた。


「成らば、逝け! 筋肉の修験者達よ! その奇跡とも言える幻を手にする為に! 俺はお前達の筋肉を祝おう!」


「「ははっ。必ずや師匠の得た桃色筋肉を我らの手に!」」


 そう言うとヴァンパイア兄弟は立ち上がり、シュウに深々と一礼すると、足早に町の門まで駆けていった。


 周囲はその茶番劇に唖然としていた。

 誰も言葉を発する事は無かった。

 全てはシュウと兄弟のせいだった。


「あっ、あいつら仕事放棄しやがった」


 そんな周囲を余所に、シュウだけは冷静に事態を見守っていたのだった。




 周囲は今だ沈黙を纏わせていた。


「あの……シュウさん。あの人達は……」


「気にするな。俺は気にしない」


 クムトがおずおずと尋ねて来るのを、シュウはバッサリと切り捨てる。


「でも、あの人達……町から出て行きましたよ……」


 尚もいい募るクムトに、シュウはゆっくりと語り聞かせる様に言葉を紡いだ。


「いいかクムト。相手に自分の嘘を信じさせたい時は、真実七割に嘘を三割混ぜるんだ。そうすれば信じる」


「じゃあ、桃色筋肉は?」


「あぁ、あるぞ。但し普通に運動しても付くけどな」


 シュウの言葉に周りから「ひでえ」「詐欺だ」などの声が聞こえてくる。

 ティルも驚きながらも感想を述べる。


「えーっ! それって酷くない?」


「鬼じゃ」


 仲間達の言葉に少し苛つきながらも、シュウはハッキリと言い切った。


「なら、あのまま晒されてても良かったか?」


「「「…………」」」


「だろ?」


 シュウの言葉には皆が今の今迄感じていた気持ちの全てが込められていた。

 そう、余りに恥ずかしい。早くこの場から立ち去りたいという思いが。

 故にその言葉には皆も沈黙を返すしかなかった。


「それよりも……だ。あいつら仕事放棄したからな、流石にこのままじゃ寝覚めが悪い」


「えっと……じゃあ……」


 シュウの言葉に含まれた意味に気づいたクムトが言葉を濁す。


「あぁ、取り敢えず行くか。花薫亭とやらに」


 クムトとしては聞きたくないセリフであった。

 正直に言って、あの兄弟関連には関り合いになりたくなかったのだ。


「まあ変な人達だったけど、悪い人ではなさそうよね」


「うむ。宿が空いていれば、泊まる事も視野に入れても良さそうじゃの」


 だが思いの外、皆はシュウの意見を肯定的に捉えていた。

 クムトもそうなれば異なもない。


「……分かりました」


 これで皆の意見が纏まった事で、シュウが決定的な一言を発した。


「なら、早速行くぞ。俺は早くここを離れたい」


「さ、賛成ーっ!」


「そ、そうですね。と、兎に角移動しましょう」


「じ、じゃな……さっさと行くに限るわい」


 満場一致でシュウの意見は可決され、シュウ達は足早にその場を離れるのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る