第62話 パシュベの館


「こちらがお召し物になっております。お着になって下さい」


 メイドの女性から立派な服を与えられた。

 ティルは乗車に乗せられて何処とも知れない屋敷に連れて来られていた。

 村の中の様子は余り知らないティルは、ここが来訪する貴族が停まる為の邸宅である事を知らなかった。

 着いた途端にメイドに依って浴槽に連れて行かれ、念入りに身体を洗われた。

 その後に服を渡されたのだ。この先に何が待っているかなど考えるまでもなく予想がついた。


 ――売られたのだ。


 自分は借金のかたに売られたのだ。

 自分の容姿など気にしている暇などなかった。だからどれ程の価値が自分に在るかなどティルは知る由も無かった。

 妖精族特有の陶器の様な滑らかな白い肌、くすんでいた赤髪も艶々としている。薄紫の瞳はまるで宝石の様だ。

 ヒューマ族が唯一と言われるこの国では、他の種族など貴族にとって趣味趣向を除けば全てが装飾品に過ぎない。

 今回もとある貴族の目にティルが留まったのが事の始まりだった。

 そして今日、その貴族にティルは売られたのだ。

 誰がそれを指図したかなど今のティルにとってはどうでもいい事だった。

 現実に売られたという事実だけがティルにのしかかっていた。


「此方にございます」


 高価な服を着せられたティルは、メイドに案内されてとある部屋へと導かれた。

 コンコンと緩やかにノックがされメイドが到着を伝える。

 キィーと言うくすんだ音と共に扉が開かれ、中に居た別のメイドに依って更に奥の部屋……恐らくは寝室だろう……まで案内される。


「これより先はティル様お一人で参られて下さいませ」


 どうやらこの先は一人で進まなければならないらしい。

 暗鬱とした表情のまま、全てを諦めたティルは素直に先に進んでいく。

 扉の前まで辿り着いたティルは、ゆっくりとその扉を開いていく。

 もう逃げられない。子供の自分には逆らう事など許されないとティルは思い込んでいた。


「おお、待っておったぞ! ささ、こちらに近こう寄ってまいれ」


 其処にいたのは体重が百キロはあると思われる肥満体形の男。年の頃は三十台くらいだろうか。

 ねちっこい視線でティルを舐め回す様に見ている。

 歩み寄ろうとしたティルの動きがピタリと止まった。

 生理的な嫌悪感だろうか、鳥肌が立ってくる。

 諦めていた筈の身体がこの状況を拒絶している事が嫌でも理解させられる。

 動かないのだ。恐怖ではない単に心が拒絶しているのだ。


(イヤだ…イヤだイヤだイヤだ……何で私がこんな目に合うの? ねえ私そんなに悪い事した?)


 心に浮かんだのははにかんだ様なクムトの笑顔。


(ねえ、助けてよ! お願いだから助けて!)


 心では叫んでいても声にはならない。

 唯々身体が動かないのだ。


「何をしておる! 早ようまいれ!」


 貴族の男が動かないティルに業を煮やしたのか厳しい声で命ずる。


(イヤだイヤだイヤだ……)


 不意にティルの中にシュウの言葉が浮かんでいた。



「感情を出す事は悪い事じゃない。嬉しい時は笑い、悲しい時は泣く。ムカついたら怒るし、救いが欲しい時は助けを叫べばいい」


「お前の人生だ、好きに生きればいい。だが、停滞だけは…思考の放棄だけはするなよ。お前はお前らしく生きていけばいいんだから」



(私…らしく……)


 そう。救いが欲しい時は助けを呼べばいいのだ。

 助けてと声を上げて言うだけでいい。助かるかは分からないが、嫌なものは嫌とはっきりと言えばいいのだ。

 だから――


「た…けて……助……て………誰か……助けてーーーっ!!」


 ティルは思いの全てを込めて声を上げる。

 何も考えられない。唯々思いの丈を込めて叫ぶのだ。

 何も変わらないかもしれない。でも何かが変わるかもしれない。

 未来など未だ決まってはいないのだ。最後の最後まで精一杯心のままに行動するだけだ。


「お願い! 誰か私を助けてよーーーっ!!」


 室内にありったけの思いを込めた叫びが響く。

 と――


『ウォォォォォォン!』


 獣の遠吠えと共にベランダに続く窓ガラスが全て割れる。

 次いで隣の壁もガラガラと崩れ落ちていく。

 ガラスの破片と粉塵の中、ティルは自分の身体が誰かに抱えられた事を感じた。


「助けに来たよ……ティル」


 そこにはあの時心に浮かんだクムトのはにかんだ笑顔があった。




「な、なんだ貴様らは!? 護衛は何をしている! 曲者だ! 曲者が現れたぞ!!」


 肥満体の貴族が声高らかに叫び声を上げた。

 バンと言う音と共に扉が乱暴に開け放たれ、革の鎧を纏った兵士と思われる一団が部屋に雪崩れ込んでくる。

 その数およそ二十名。

 その間にクムトは粉塵に紛れてベランダの傍へと退避していた。

 その傍には二つの人影があった。


「おうおう、沢山湧いて出て来たな。時代劇かってんだ」


「ふむ。時代劇が何かはよう分らんが、演劇の一種であろう事は分かったぞい」


 その人影は言うまでもなくシュウとデュスであった。


「まぁいいさ。クムトはその嬢ちゃんを連れて先に脱出しろ。ここは俺とデュスが受け持つ」


「うむ。さっさと行くがよい。大丈夫じゃ、ここは通さんよ」


 ティルにはその何処か安心感の漂わせる声音に、絶対の安堵の気持ちが溢れて来ていた。

 ポロポロと涙を雫を落としながら、ギュッとクムトの服を握りしめた。


「こわ…かったよう……」


「うん、もう大丈夫。シュウさん、デュスここはよろしくお願いします」


 そう言うとクムトはティルを抱きかかえたままベランダから下に落下する。

 着地の瞬間に光の障壁を下に張り、墜落の衝撃を逃がす。

 無事に地面に降り立ったクムトは、ティルを抱えたまま屋敷の門の外へと走り出した。

 即座に追手の兵士が門に向かおうとするが、


「ウォォォォン!」


 シュウの風の砲弾が門を直撃しバラバラに破壊し、追走の手を止めさせる。

 シュウも門の前に飛び降りて、手に持った槍を水平に構える。


「ここを通りたかったら俺を越えていくんだな」


 屋敷の二階ではデュスが戦斧を振り回して大立ち回りを行っていた。

 数人の兵士が壁に向かって水平に飛んでいく。


「ワシを止められると思うでないぞ」


 肥満の貴族は護衛の兵士と共に既に部屋から脱出していた。

 残る兵士は八人と言った所だろうか。


「ふむ。ちと面倒じゃの。“起動”アクティバ! これよりは手加減は出来ん。傷つきたく無くば下がれぃ!」


 戦斧に光の刃が三つ灯る。魔導輪を起動させたのだ。

 兵士達も退くつもりはない様で、魔導輪を次々と起動させ戦闘隊形を組む。

 一階の内庭にシュウが、二階ではデュスがそれぞれ兵士と睨み合っていた。

 黄昏時の様な薄闇の中でパシュベ村での戦いは幕を開けるのだった。

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