第61話 諦めのティル
ティルは自分のねぐらに戻ってからじっと考えていた。
本当の自分はどう思っているんだろうと。
日本へ帰りたいかと問われれば帰りたいと言うだろう。
だが、此処にも自分を生んで育ててくれた母が居た。
母はハーフエルフであった。そして人を――ヒューマ族の男を愛した。
その結果生まれて来たのが自分だった。
神の質問で一からやり直したいと思ったからその選択をした。
そして自分は母の子として生を受けたのだ。
最初父と母は仲は良かった。だが時が経つにつれて父の態度が変わっていった。
父の周囲からハーフエルフを嫁に取った事で嫌がらせを受け続けたのだ。
だから母は自分を連れて父の下から去った。
そしてこの地に流れ着いたのだ。
その頃には長旅で母の身体は病んでいた。
それでも精一杯自分を育ててくれた。
身体を壊しても頑張って自分を育ててくれたのだ。
せめて一人で生きられる様にと、色々な知識と魔方陣も母は教えてくれた。
その母ももうこの世にはいない。
「…私は……一人。でも……」
……でも今日そんな自分と近しい立場の人がいる事が分かった。
恐らく色んな経験をしてきたのだろう。旅慣れた感じだった。
そして今日初めて会ったばかりの自分に手を差し伸べてくれた。
嬉しかった。直ぐにでも手を取りたかった。
でも私はクォーターだ。この町は当たりは厳しいが追い出す程ではない。
今日みたいに売り上げが悪いと酷い目にもあうが、母の治療代の返済が終わってないのだ。我慢して返済し続けなければならないだろう。
正直言ってかなり厳しい状態にある事は理解している。
毎日払う場所代と返済額を合わせれば、残りは食べていくだけがやっとなのだ。
だがこの場所以外では録にお金も稼げず、生きていく事すら難しくなるだろう。
妖精族のクォーターなど、どの土地に行っても録な生活なんか送れないのは理解している。
そして……何よりここには母のお墓もある。
「私もいなくなったら、お母さんは一人になっちゃう」
誰もハーフエルフの墓など見ようとはしないだろう。
そうなると墓は朽ちていくだけだ。
「私……どうしたらいいんだろう……」
思考が纏まらない。クルクルと廻る。
涙が頬を伝って雫となって布団に落ちた。
「それで、彼女の反応はどうでしたか?」
「へい。いつもと変わらずで、何をされても反応を返しません」
「傷は負わせていませんね?」
「立場を分からせる為、多少は手を出しましたが、壊れる程には」
「そうですか……ふう。いい加減泣きを入れると思っていたのですがね……なら、少し計画を早めましょうか。先方も恐らく待ちくたびれているでしょうし」
「なら?」
「……ええ。明日、自分の立場が一体どう言ったものなのか教えてやりましょうか。場所は例の所に」
「分かりましたぜ、兄貴」
その日も変わらずティルは方陣紙を売り続けていた。
「ありがとうございました。またお願いします」
ペコリと笑顔で頭を下げる。
客であった冒険者の男達は軽く手を挙げてそれに応え、村へ入る列に戻っていった。
「ブヒヒィン」
後方から
振り返って見ると、かなりの巨体の馬牛が立派な乗車を引いているのが目に入って来た。
「どこかの貴族かなぁ」
こんな村に何の用があって来たのだろうとティルは不思議そうにそれを眺める。
貴族が乗っていると思われる乗車は、入村の列に並ぶ事無くそのまま村の中へと入って行った。
やはり特別な人が乗っていたのだろう。
周りの人たちも呆然と眺めていたのでお偉いさんである事は間違いないと思う。
「やあ、ティル」
不意に声を掛けられ一瞬ビクリとする。
視線を向ければ其処にいたのはクムトと狼の獣人、それにドワーフだった。
「頑張ってるようだね」
「うん、ありがと。クムト達はどうしたの?」
「旅に必要な物を買い揃えようかと思って」
アハハと笑いながらそう言うクムトに自然に頬が緩む。
「村の中でも売ってると思うけど?」
「その……値段がね…高いかなぁって」
ポリポリと頬を掻きながらクムトは言った。
「ふふふ。結構リッチだと思ってたけど、そうでもないんだ」
「そりゃそうだよ。これでも節約、倹約をモットーに頑張ってるんだよ」
クムトとティルは互いに視線を合わせると二人して笑い出した。
「あーおなか痛い。久しぶりに笑った気がするよ。あっ……」
ティルの視線がシュウを捉える。
「その……昨日は…ありがとう。答えはまだ出てないけど真剣に考えてるから」
照れくさそうに言うティルをシュウは柔らかい瞳で見つめた。
「良い傾向だな。お前がどんな結論を出すかは知らんが、自分の気持ちを誤魔化すのはやめておけ。今のお前の方が好ましいよ」
「あっ…その…あ、ありがとう……」
「感情を出す事は悪い事じゃない。嬉しい時は笑い、悲しい時は泣く。ムカついたら怒るし、救いが欲しい時は助けを叫べばいい」
「う、うん」
「お前の人生だ、好きに生きればいい。だが、停滞だけは…思考の放棄だけはするなよ。お前はお前らしく生きていけばいいんだから」
言う事は言ったとばかりにシュウは視線をティルから外した。
シュウの言葉はティルに届いたのだろうか。
ティルは笑みを浮かべながらこう答えた。
「うん! ありがとう」
その日の夜もいつもと同じだと思っていた。
「あの……今日の売り上げです……」
ティルは長髪の男に売り上げを差し出した。
「ああ、よく頑張ってるじゃねえか。昨日の倍とは行かない様だがソコソコの売り上げだな」
「は、はい」
優しい目で見られたティルは一瞬安堵を覚えた。
だが、直後にその瞳の色が変わった事をティルは見逃さなかった。
「だがな……言ったよな。昨日の二倍だ。払えるよな?」
「そ、そんな事言われても……きゃぁ!」
男の蹴りがティルの真横を通り過ぎ、後方の壁に打ち付けられる。
「約束は守んなきゃな。出来ないなら……言ったろ。その可愛い顔で男を誑かせと」
「あ、あ…あぁぁ……」
ティルの顔が恐怖に歪む。
長髪の男の顔は愉悦からか笑みが浮かんでいる。
「今日の俺は機嫌がいい。だから……お前に客を紹介してやる。高く買い取って貰えよ」
恐怖から絶望へと表情が変わっていくのをティル自身が感じていた。
身体がカタカタと揺れる。全身が自分の物ではないかの様に自然に震えていた。
「嫌とは……言わねえよなぁ?」
男は嫌らしい笑みを浮かべながらティルに迫って来る。
「……」
ティルは何も言わない。言えないでいた。
何時かはこんな日が来るだろうとは予想していたのだ。
子供一人の力など無いに等しい。どんなに喚き叫んでも、ここでは誰も助けてくれない事は今までで理解している。
事実、周囲の視線は生暖かい視線で溢れていた。
絶望がティルの感情を埋め尽くした。
目の前が真っ暗に染まっていく。何も感がられない。感じる事が出来ない。
そんな深淵にズブズブと沈んでいく。
「ふん。漸く自分の置かれた状況を理解したようだな。さて、逆らうなよ。痛い目に遭いたくなければな」
ドンと背中を押されて倒れそうになるが、長髪の男が服の襟首を掴んで倒れる事を許さない。
「素直に付いて来い。何、大した事じゃない……死ぬ訳ではないだろうからな」
そのまま引き摺られる様に外へと歩かされる。
表には真黒な乗車が停まっていた。
キィと軋んだ音と共に乗車の扉が開かれる。乗車の中は灯りも無く暗闇が広がっていた。
「……」
ティルは絶望に沈んだ瞳のままその暗闇へと足を踏み出すのだった。
「チィチィ」
屋根の上から鳥の鳴き声が聞こえていた。
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