ワトソンは女性だった
前回から続きます。「助手に見せ場を与えるために真相を暴く推理シーン以外には探偵を引っ込ませたのではないか」と感じた理由について書きます。
この「証拠のかわりに」の作者レックス・スタウトは相当の読書家で、幼少期からベラボウな量の小説に触れてきたらしいのです。ただの人気作家というだけでなくアカデミックな一面も持ち、なんとワトソン女性説を提示する論文を発表するほど。1941年のことです。
偉大なる名探偵シャーロック・ホームズの助手ワトソンについて物申さずにはいられないほど、ミステリにおける「助手」という存在・立場について考察していたレックス・スタウト。そのスタウトが自分のシリーズ名探偵のネロ・ウルフの助手をつくりあげる過程には、さまざまな熟慮や工夫があったのではないか、と推察できるのです。
前半部で関係者の間を渡り歩き、いろいろと情報を仕入れる過程では探偵を登場させず、クライマックスの推理の披露、真相の暴露の段階においては存分に探偵を活躍させる。役割分担をはっきりとさせ、一人の人物だけに読者の興味を集中させない。これは小説作法上、大変うまいやり方ではないでしょうか。
助手が見聞きしているデータの示す重大な意味を、読者も助手も気が付いていないというシンクロした状況をつくるにも効果的です。ここに探偵が同席していた場合、「黙る」か「後で意味に気が付く」のどちらかを選択せざるをえないのです。
二つの例、それぞれの象徴的な名探偵を挙げておくことにします。
まず「黙る」のほう。エルキュール・ポアロがそうでしょう。確証が得られない段階で迂闊に推理をすると、探偵は痛い目をみるという方向に転がしたエラリー・クイーンもそうかもしれません。
後者、「後で意味に気が付く」のケースは、かの金田一耕助先生でしょう。先生としたのは、揶揄の意味合いを含ませています。「しまった!」とモジャモジャ頭を掻き毟る場面は、ファンにはお馴染み。よく防御率が低い、事件の発生を防げない探偵として金田一先生の名前が挙がります。
素人ながらミステリを書く立場としては、名探偵がきちんと機能しすぎるとミステリそのものが成立しなくなるという事情があります。探偵は最後に真相究明するまでは、真犯人を野放し(?)にしておかないと、推理小説は成立しないのです。不謹慎なことを、とお怒りのかたがいると困るので一応、書いておきますと、これはあくまでフィクションの話です。特に長編を書こうとすると、探偵はある程度ヘボで、犯人にはツキがまわっているほうがなにかと都合がいいのです。あくまで書き手としてですが。
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