前半の問題

 もやっとするところで前回の記事を終わらせてしまいました。続きからです。

 最後に名探偵の推理がある、というのは「前半に探偵の情報収集する姿を描く必要がない」ということです。おいしいところは全部、名探偵が持っていくということです。

 あまりに優秀な探偵はすぐに事件を解決してしまうので、最後に登場させざるをえない。隅の老人もブロンクスのママも優秀な「探偵」ですから最初から捜査に加わってしまうと、推理小説が生まれないのです。

 純度の高い謎解きミステリで、前半部の情報収集のあれこれを省けるとあれば、長編ではなく短編となってくるのは自然な流れだと感じます。安楽椅子探偵ものに短編が多いのも納得なのです。

 話を「証拠のかわりに」に戻します。この作品でもネロ・ウルフは現場に出ません。走りまわる(まわされる?)のは助手のアーチー・グッドウィン。

 安楽椅子探偵ものの代表的なフォーマットの一つ、探偵が情報収集をしないという点はクリアしています。問題は長さです。このお話、実はちょっと長いのです。

 新版第五集は短編の中でも短い、切れ味の鋭い作品が多く収録されています。「クリスマスに帰る」「爪」「危険な連中」なんかがそうです。

 それを抜きにしても「証拠のかわりに」はボリュームがあります。読んでいて「あれ、長いな、まだ続くのか」となるかもしれません。

 もしかすると、ここには編者(選者)である乱歩のたくらみがあるのかもしれません。サブスクで音楽を聴く世代には伝わりにくいでしょうが、アルバムを頭から曲順どおりに聴いていくと出会える驚きのようなものが。だとすると、私はここで乱歩の意図を踏みにじるような紹介をしてしまったわけですが。

 話を「証拠のかわりに」に戻しますと、この長めの短編というのは作者のスタウトがやりたかった仕掛けには必要なサイズです。未読のかたの興味をそがないために詳しくは書きませんが、この作品で結構テクニカルなことをスタウトは仕掛けてきています。再読すれば、あからさまなほど前半から仕掛けてきていることがわかります。

 この狙いは短編ではやりにくいはずです。ミステリを書く、という人はぼんやりとでも共感していただけるかもしれませんが、短い話に向いたアイデアと、長い話に向いたアイデアがあります。

 じっくりと仕込んで仕込んでオトすタイプは、長編でないとできません。いくつかのクリスティ作品には「事件が起きるまでが長い」と批判的な声があがることがありますが、クリスティは丁寧に人間関係を描いたうえで読者の思い込みを形成し、最後に裏切るタイプの作品でこそ筆が冴える作家です。

 クリスティがメロドラマで前半を彩るのに対し、スタウトはコメディ風に前半を盛り上げます。サスペンスもあるのですが、探偵のネロ・ウルフと助手のアーチー・グッドウィンの軽妙な会話がいいです。変人に振り回される助手が語り手という設定が利いています。

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