トリック至上主義を反省する
更新が滞っておりました。この期間に短編集『真っ白な噓』(フレドリック・ブラウン著/越前敏弥訳/創元推理文庫)をじっくりと読み込み、とても勉強になりました。次の作品に進む前に、もう一度、フレドリック・ブラウンについて書くことにします。
もしかすると「古典の読み方」という壮大な話に展開しかけるかもしれませんが、話を広げすぎないように気をつけながら書いていくことにします。
いくつもの発見があったのですが、大きなものは「自分のミステリ観はトリック偏重なのだ」ということ。
たとえば「笑う肉屋」は一般的には広義の密室ミステリです。雪の足跡を扱った変種の密室ものの傑作とされています。
筆者の評価もそうでした。もっとも、これは【ブラウンの「笑う肉屋」という短編は雪の足跡トリックのすごい作品ですよ】ということを研究書かガイドブックのたぐいで前もってインプットされた状態で読んだからということが大きいのでしょう。
あらかじめ、読み方・味わい方をある程度、方向付けされてしまっていたわけです。
方向付けというのは便利ではありますが、読み方を限定してしまう側面もあります。
まさにこれまでの筆者がそうで、私は基本的にはガイドブックで傑作とされてきた作品を、評価ポイント・採点基準を知った上で、それを確かめるように読んできました。
フラットな状態で作品に接することができないわけです。
今回、「笑う肉屋」を読み直して、この作品の肝は密室トリックではなく、トリックを用いたことで生じる効果にあると気付きました。
もしかすると「お前、海外古典について語る連載を一年以上も続けているくせに、そんな簡単なこともわからなかったのか」とお怒りのかたもいらっしゃるかもしれません。
いや、事前に情報が与えられているというのは本当に怖いのです。フラットな状態で読めば「笑う肉屋」の凄みというか怖いところはトリックのメカニズムではなく、トリックのもたらした効果だとわかります。
もっと言えば、効果を計算してトリックを実行した人物の怖さなのでしょうが。
ミステリを書く人には一定以上、「トリックを思いついたから書く」という人がいるはずです。ほぼ同義ではありますが「ミステリを書くためにトリックを考える」というかたもいるはず。
筆者のミステリ作法もかつては大半が「トリックを考える」ことからスタートしていました。
雑に書けば、トリックを描くことがミステリであるというそれこそ雑な考えを持っていました。
新人賞への投稿生活を通じて、考えることは格段に増え、ミステリの書き方、特に書き始める段階では変化がありました。アイデアの膨らませ方というか、アイデアを作品に効果的に落とし込む方法を探るようになってきたのです。
世評をなぞるように読んでいたブラウンの「笑う肉屋」の真の面白さがわかったのは、いろいろと書いてきたからかなのかもしれません。
これは『真っ白な噓』に収録の「メリーゴーラウンド」もそうです。「笑う肉屋」や「叫べ、沈黙よ」「後ろを見るな」といった作品と比較すると、名前の挙がりにくい作品ではありますが、これも短編ミステリを考える上では示唆に富んでいます。
ポオが「盗まれた手紙」でやった隠し場所テーマで、あるアイデアが出てくるのですが、アイデア自体は度肝をぬくほどではありません。
アイデアそのものを評価基準にしていた昔の筆者の評価も、実はそれほど高くありませんでした。ところが読み直して、アイデアの生かし方、アイデアが作品で作中人物にもたらした効果を考えると、これは実に練られたいい作品だと感じたのです。
トリックやアイデアそのものよりも、それらをどう小説に持ち込んでドラマチックに仕立てあげるか。この技術とセンスがフレドリック・ブラウンという作家の凄みだと感じるのです。
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