のぞくだけではものたりぬ
乱歩の初期短編の二つ、「屋根裏の散歩者」と「人間椅子」を引き合いにだして、乱歩と「操り」について考えてみます。
再三、書いていますがミステリ用語として一般的な「操り」よりも広い意味で「操り」という言葉を使っています。クイーン論などを読み込んでいるかたには違和感があるかと思います。その点、ご理解いただけると助かります。
注意!
この先、江戸川乱歩「屋根裏の散歩者」と「人間椅子」の内容に言及します。未読のかたはご注意ください。
!!!!!!!ネタばらし、ここから!!!!!!!
論のタイトルでだいぶ語ってしまっているのですが、「屋根裏の散歩者」も「人間椅子」も共に他人の生活を「のぞく」お話です。
いや、「人間椅子」は見ていないじゃないか。あれは視覚をふさがれて触覚メインになった変人の話だから「見て」いないではないか。そんな声も聞こえてきそうです。おっしゃるとおり。「のぞく」という行為を、人知れずこっそりと断片的・限定的に感じ取るという意味まで拡大してもらえると助かります。
「屋根裏の散歩者」の郷田三郎も、「人間椅子」の「私」も他人の生活をひそかに感じて楽しんでいます。そのうち、ただひそかに感じ取るだけでは物足りなくなります。
郷田三郎は節穴から毒を垂らすという方法で犯罪を成し遂げることを、「私」は身を潜めている椅子の所有者である女に会うことを望み、行動に移します。「人間椅子」の場合はそこからもうひとひねりあり、意外なオチがつき、「屋根裏の散歩者」の場合は明智探偵の登場によって犯罪が露見します。
!!!!!!!ネタばらし、ここまで!!!!!!!
制御、コントロールほど強くはなくても、他者を支配すること・他人に干渉することで異常な欲望を充足させようとする人間の顛末が両作(「屋根裏の散歩者」「人間椅子」)ともに描かれていることになります。異常な欲望の充足は少年ものを除く乱歩作品ではお馴染みといっていいほど頻出するテーマです。
他者を操るときにポイントとなるのは、どう動いてほしいという意図・魂胆を悟られないこと。操り人形に操り糸の存在を気付かせないこと。
乱歩を語るうえで「完全犯罪への憧れ」は一つの切り口になるのではないか。この連載企画を続けるうちに、そう考えるようになってきました。
乱歩は「プロパビリティの犯罪」こそ、完全犯罪の理想形というか、現実的(に実現可能)な完全犯罪だと考えていたふしがあります。ざっくりと「プロパビリティの犯罪」について説明すると、偶発的な事故によって結果的に死に至らしめたり、危害を加えたりすることです。わかりにくいかと思いますので具体例を挙げます。
危害を加えたい相手の散歩道が陥没しており、落下を防ぐために囲いが設置されているが、その囲いを意図的に取り除けてしまう。これにより確実にターゲットが穴に落ちることは期待できないが、場合によっては落下し死亡させることも可能である。
と、こんな感じでしょうか。この例は乱歩がさまざまな文献で紹介しています。肝となるのは、確実性はないが犯罪の立証が困難で、場合によっては犯罪そのものが認識されないことも期待できる点です。
この「プロパビリティの犯罪」は、非常に長い糸を使った操りかもしれないと感じるのです。完全犯罪は究極の他者の人生の制御・操り。のぞくだけではもの足りぬ、されど、犯罪者になるのは嫌だ。ジレンマに悶えながら指先で糸をもてあそんでいるのは、乱歩自身なのかもしれません。
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