操り人形の葬送行進曲

 前回、ヒッチコックの好みなるものは「一般人の日常に犯罪という非日常が侵入してきて主人公と共に鑑賞者(読者や観客・視聴者)にサスペンスを共有させる」ことだ、と強引に定義しました。

 このくくりはヒッチコックの映画作品に寄った見方です。映画とは少し違うヒッチコック(作品)像が私にはあります。そして、筆者のヒッチコック作品像は乱歩の思う「ヒッチコック好み」に重なるようにも感じるのです。

 キーワードは「ヒッチコック劇場」と「奇妙な味」。

 まずはTVドラマシリーズの「ヒッチコック劇場」(および「ヒッチコック・サスペンス」)の人をくったような、とぼけた味わいについて書いていきましょう。

この「世界短編傑作集を読む」という企画のどこかで、週刊誌の犯罪実録ものみたいな下品さがないことが海外ミステリの粋だ、といったようなことを書いた覚えがあります。「ヒッチコック劇場」ではオープニングで落語のまくらのようにヒッチコック自らが本編の前フリをするというのがお決まりです。

 このように外枠があることをハッキリさせること、犯罪の物語はブラウン管のなかで起きることを明示すること、お話が終わればヒッチコックが話しかけてくる世界に戻れることで、ある種の安心感を与えることがヒッチコックのうまくてしゃれたところです。

 サスペンスの語源は「宙ぶらりん」だったと記憶しています。そうなのです。落とさないのです。「落ちる」と思わせることは大事ですが、落とさないのです。こう書けば、ある作品を思い浮かべるかたもいるでしょう。

 なぜ落とさないか。落としてしまえば宙ぶらりんではなくなるからです。

 安心と同時に不安を与える。不安を与えるときには安心も保証している。ヒッチコック作品は怖くはあるけれども、陰惨さとは遠い印象があります。

 ヒッチコックといえばというくらいおなじみのヒッチコックがちょい役で顔を出すカメオ出演という手法も、唐突にギャグを入れ込むための言い訳のようなもの。同時に物語の枠にヒビが入っている可能性を匂わせるものでもあります。

 乱歩がある長編でやった趣向は、乱歩なりの「カメオ出演」ではなかったか、と想像してしまいます。

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