おれという人間かね
雑誌の話題になったので、ついでに紹介したいことがあります。作者のチャーテリスはクイーンの「エラリー・クイーンズ・ミステリ・マガジン(EQMM)」に対抗するがごとく、「セイント・ミステリー・マガジン」を発行していたのです。EQMMの創刊が1941年12月。セイント・ミステリー・マガジンは1953年から1967年まで。
想像するに、これはチャーテリスのほうに対抗意識があったのだろうと思います。根拠はお抱え探偵、セイントのキャラクター。
ホームズというよりはルパンの色が濃いのです。名探偵辞典的なものでは「義賊」という単語がよく用いられているようです。
その点、ご本人はどうお考えなのか。「いかさま賭博」から引用してみましょう。
――おれという人間かね。まあ、義賊とでもいってもらおうか。悪漢を
(『世界推理短編傑作選 5』」江戸川乱歩編 創元推理文庫)P.56より
この「義賊」というキャラクター付けも好青年の名探偵エラリーとのコントラストを考えた、と推測してしまいたいところがあるのです。
セイントとチャーテリスには申し訳ないですが、作家クイーンと探偵クイーンの話をします。ホームズとルパンという関係性に相似するものがクイーン(探偵のほう)にあるのか。
黄金期でライバルが多すぎて、これ、というものがない。後期になると「悩む名探偵」という独特のスタイルに移行していき、比較対象が存在しない。
今度は作者クイーンのほうでライバルの話をしますと、ロジカルな本格という点で、ちょっとクイーンは違う地平に行ってしまった。『ギリシア棺の秘密』で、到達してしまった感じがあります。
さきほどの「悩む名探偵」という問題は作者のクイーンにとっても重要で、『十日間の不思議』みたいな話はクイーンにしか書けなかったのではなかろうか、と感じるのです。
作者クイーンは名探偵像をホームズの時代から、大幅にアップデートすることに成功したと言えるでしょう。
では、怪盗のほうはどうか。ルパンの時代からアップデートできたのか。
筆者の回答はイエスです。これは「いかさま賭博」一作を読んでもわかります。作品単体で比較すれば、個人的には「いかさま賭博」よりもルブランの「赤い絹の肩かけ」のほうがよいと感じますが。
ただクイーンがあまりに名探偵の幅を広げてしまったぶん、怪盗には分が悪いといったところでしょうか。
コナン・ドイルが意外に古風というか、伝統的な英雄譚に寄り添っているのに対し、ルブランは結構、アバンギャルドというか先鋭的な試みをしてしまっているというスタートの段階での違いというのも大きいのかもしれません。
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