シリーズ探偵のもどかしさ

 あまり内容に深く踏み込めませんでしたが、今回で「好打」は最終回にします。

 ベントリーのお抱え名探偵はフィリップ・トレント氏。「好打」において、ずいぶんと影の薄い印象があります。これはある意味、仕方のないところで、なぜならば、フィリップ・トレントは『トレント最後の事件』で世に出た名探偵。これが1913年のこと。「好打」は1937年発表。「好打」の収められた短編集『トレント乗り出す』は1938年。

 本来は“最後の事件”のための登場人物、名探偵だったわけです。「好打」は最後の事件以前の物語という設定です。

 スピンオフ的な位置づけにも近いのかもしれませんが、トレント氏自体のキャラクターが魅力的だったから、彼の活躍を最後にしないために“最後以前の物語”が紡がれたというよりは、作者ベントリーに「もっと作品を書け」という力が働き、推理小説を書き続けるために好都合だったのが「最後以前のトレント氏」だったというのが正解に近いのではないでしょうか。そんな想像をしております。

 いや、ベントリーは短編の構想も練っていて……とか、いや『トレント最後の事件』以前にトレントものの短編があって……みたいなことでしたら、すみません。勉強不足を認めます。

 シリーズ探偵というのは、よほど便利なのでしょう。

 ちょっと冷めた書き方になったのは、私はシリーズ化できる作品というものにちょっと「うーん」なところがあるからです。

 純粋に読者としては、好きなキャラクターと何作にもわたって長く付き合えることは極上の喜びです。ただ、書き手とすると……

 一つのアイデアを最大限効果的に発揮するには、シリーズという形式は邪魔になるときがあります。小説として人物の成長を描きたい場合、シリーズにすると「そう何度も劇的なイベントは起こらないし、事件にも巻き込まれないし、人間は成長もしない」とどこかブレーキがかかることが多いです。

 いや、名探偵なんてサザエさんみたいなもんなんだ、と割り切ることもできるのでしょうが。

 取らぬ狸の皮算用、という慣用句を書いておいてからお話しますと、短編の賞に出す際「これで仮に獲ってもシリーズ化して短編集一本分にしないと単行本にならないのかぁ」と思ってしまいます。

 白状しますとプロットの構想段階から「新人賞にふさわしい新しさがあって、かつ短編集として成立させられる要素(くくり、縛り、コンセプト)がある」という点は考えてしまいます。

 どの作品にも名探偵が登場して、というのは売りやすいと思います。どうあっても最後にはこの人が謎を解いてくれるんだよ、という安心感があったほうが楽しみやすいという考えもわかります。

 ただ、みんなそうなのかなぁ、もうちょっと読者を信用してはもらえないでしょうか、とも思うのです。

 ノンシリーズの短編をまとめた短編集とか、コンセプトがあるようでないアンソロジーとか、年間短編ベスト集とか、ものすごい筆者は好きです。

 ここで話をベントリーに戻しますが、『トレント乗り出す』に収録されることになる短編を書いているとき、もしかしたらベントリーが「いつまでトレントに乗り出させるつもりだよ」と考えていたらなぁ、と想像してしまうのです。

 次回からレスリー・チャーテリスの“The Mugs’Game”を取り上げます。博打のお話です。

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