The Origin of “The Origin of Evil“
今回「いかれたお茶会の冒険」を読み直して《あぁ、あの作品は「いかれたお茶会」のオマージュだったんだ》と感じた作品が二つあります。一つは講談社ノベルスというレ―ベルがキャッチコピーとして掲げた「新本格」という文言に起因する新本格(新本格というワードはミステリ史において何度か登場するので、ここで一応、定義づけをしておきます)のムーブメントに属するある短編。もう一つはクイーン自身の作品。
クイーン好きのかたならば、今回のタイトルを見てピンときたかもしれませんが、二つの作品のうちの一つは1951年発表の『悪の起源』です。「いかれたお茶会の冒険」では、英米圏の小説を楽しむような人々(の多く)には「見え見え」だった趣向を、『悪の起源』では読者のまったく想定外のところからぶちかましてくるという点で、『悪の起源』は「いかれたお茶会の冒険」の企みをある意味では凌駕しています。贈り物に込められた意図という点で、『悪の起源』のたくらみは「いかれたお茶会の冒険」のそれよりも格段に前衛的、いえ、進化しているのです。そこに真価があるのです。シンカシンカ。
ネタばらしを防ぐために慎重に書きますが、『悪の起源』におけるクイーンの意地悪さは英米圏の小説を楽しむような人々の「基礎教養」のやや外から、書物という教養というストライクゾーンにぐぐぐっと食い込んでくる点にあります。
もう一つの「平成の日本における新本格」のオマージュであろう某作を読み返したのですが、これはもう舌を巻くほかないクオリティ。
恐ろしいのは「いかれたお茶会の冒険」を知らなくても充分に面白いこと。見上げた空が世界の底に感じるほどスケールがでかい。「いかれたお茶会の冒険」に寄りかからずに自立しているのです。作者がどれだけ強い気持ちで自己を律した、自律したかを想像すると気が遠くなります。
ただ、この作品に関しては迂闊に作品名を挙げられないので、今回のところは作者も伏せておきます。
読んでいる方にはわかるようにヒントとなるキーワードを書いておきます。読みたくない方の目に触れないように行間を空けておきます。
ヒントは
三題噺
具体的には
《駒》《卵》《鏡》
です。
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