言いがかりは続く

 我ながらひねくれた物言いか見方だとは思うのですが、『世界推理短編傑作集』(ないしは『世界短編傑作選』)の収録作とその作者は、ある意味では乱歩被害者の会でもあります。どういうことか。ここに選ばれた作品が代表作になるので、他の作品に手が伸びないということが起きているのではないか。そう案じているのです。

 アンソロジーのいい点は複数の作家と一度に出会えること(一人の作家を選び傑作集にする場合は別)。Aという作家のBという作品が気に入ったら、Aの短編集を手に取ればB以外の作品が読める。こうやって読み手は世界を広げていくわけです。

 クイーンの場合、『世界推理短編傑作集4』で「いかれたお茶会の冒険」を読み、同じ「冒険シリーズ」である『エラリー・クイーンの冒険』といった短編集や、国名シリーズ(KADOKAWAさんから新訳が出ております!)などの長編に進めばいいわけです。

 今はクリアされているのですが、少し前まではちょっとした問題がありました。古い井上訳バージョンの『エラリー・クイーンの冒険』(エラリー・クイーン著/井上勇訳/創元推理文庫)には十一番目に収録されている「いかれたお茶会の冒険」にあたる作品が収録されていないのです。これは『世界短編傑作集4』に「いかれたお茶会の冒険」の旧訳が収録されているからで、同じ創元推理文庫での重複を避けるための配慮です。

 まぁ「乱歩のアンソロジーで読んだやつのぶんまでお金払うのもったいないな」という読者の気持ちも、「乱歩のアンソロジーで気に入ったらクイーンの短編集も買ってくださいな」という出版社の心情もわかります。ただこれですと『エラリー・クイーンの冒険』を翻訳で読んだのに原書にはある「いかれたお茶会の冒険」を読んでいないという現象が起きてしまいます。これはもったいない。

 傑作として乱歩に選ばれたがゆえに読み落とされるというのは、もったいない。ただ、これは出版サイドの事情で乱歩を責めるのは筋違いというものでしょう。でも、旧バージョンの『エラリー・クイーンの冒険』だけ読んで「いかれたお茶会の冒険」には出会えなかったという人からすれば、乱歩は恨まれるだろうなぁ、と。大げさですが、クイーンが大好きで全作品を読破したと信じて亡くなった人が死んでから「いかれたお茶会の冒険」の存在を知ったら、天国か地獄で乱歩を球体の鏡のなかに閉じ込めかねない。

 旧版の『世界短編傑作選』シリーズを読む際に注意していただきたいのは、クイーンのケースとは反対に「作家個人の(オリジナル)短編集に収録されているから、選ばれたのにアンソロジーには入っていないからアンソロジーでは読めない」作品があること。ポオ「盗まれた手紙」やチェスタトンの「奇妙な足音」なんかがそうです。

 もっともこの問題は新版『世界推理短編傑作集』としてリニューアルされたことで解決されています。クイーンの「いかれたお茶会の冒険」も今は新訳の『エラリー・クイーンの冒険』(エラリー・クイーン著/中村有希訳/創元推理文庫)にきちんと収録されています。

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