スペードとアーチャーの共同事務所の看板からいかにしてARCHERの文字が消されたか?


 ハードボイルドとはなにか。

 この問題を考えるため、『都筑道夫ポケミス全解説』(小森収編集/フリースタイル)をあたってみました。この本はポケットミステリに収録された都筑道夫さんの解説を編者の小森さんが全て集めたもの。漏れがあるかもしれないとしていますが、全解説になっているはずです。

 すると「ハードボイルドとはなにか」と題する解説(P77)がありました。作品は『犠牲者は誰だ』(J・R・マクドナルド著/中田耕治訳・早川書房)。ナンバーは277。

 注目したい箇所を引用します。



 がんらいはアーネスト・ヘミングウェイをチャムピオンとする第一次大戦後の、謂わゆるLost-generationの文学に冠せられた名称でした。

 カメラのレンズのように乾いた目を通して、冷静に、正確に、受けとる側の消化力なんぞにはお関いなく、描き出された文学世界が、こうした俗称で呼ばれるようになったのは、当然すぎるくらい当然かもしれません。

(『都筑道夫ポケミス全解説』 小森収編集 フリースタイル p75より)



 ふむ。

 ということは、《がんらい》ということは《その後、意味合いが変化した》ということですね、都筑先生。

 都筑先生に直接、質問をすることはできませんが、そういうことになるのでしょう。

 ハードボイルドという言葉は、特にヘミングウェイに関しては、そもそもの意味とその後の意味といったことを頭に入れないといけないようです。

 考察の対象の「The Killers」に限らず、ハードボイルド全般について、納得できる指摘があります。引用しましょう。



 ハードボイルド文学の根底に、表看板の冷酷非情を裏切って、しみじみとしたセンチメントが漂っていることは、少し小説を読み馴れたひとなら、誰しも気づくところでしょう。(P77)


 口に出してその感情をあますところなく言えることではありませんし、言ってしまえばつまらない感傷としか聞えないでしょう。行動だけを描写する、というこの派の文学の技巧上の秘密は、そんなところにあるのではないでしょうか。(P78)


 ハードボイルドは絶望の文学である。しかし、頽癈の文学では決してない。それが過去の絶望の文学とは、大きく違うところなのだ。この点もしばしば誤解されているところだろう。巨大な機械文明に対して、個人のする反抗は最初から空しいものに決まっている。反抗する当人にとっては、むしろ自己破壊といったほうがいいかも知れない。自己破壊とわかっていても、やむにやまれず反抗する人間のすがたは、どうセンチメントを拒絶しても、悲愴になる。(P78)



 ここまでで、ずいぶんとハードボイルドなるものについてつかめた気がしました。問題は次の箇所です。



 なるほどハードボイルドの文学性はわかった。しかし、あれがどうして探偵小説なのだ、という読者があるだろう。確かに仰有る通りで、これまでの論旨はその点に触れていない。当然ここで「探偵小説としてのハードボイルド」を論ずべきではあるのだけれど、残念ながら紙数が許さない。このシリーズで次に紹介されるハードボイルドの作品の解説で、探偵小説としての面を考えてみることにして、ジョン・ロス・マクドナルドのことに話を戻そう。(P79)



 そうなのです。「なるほどハードボイルドの文学性はわかった。しかし、あれがどうして探偵小説なのだ」なのです。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る