ヘミングウェイとミステリ
新版『世界推理短編傑作集』シリーズの巻末では、戸川安宣さんが「短編推理小説の流れ」で鋭い分析をされています。三巻の「短編小説の流れ 3」で「明確に専門作家が生まれたのは、この瞬間ではなかったろうか」と歴史の転換点を「イギリスにディテクション・クラブが誕生」した「一九三〇年」いう説を披露されています(『世界推理短編傑作集3』P414より)。
「The Killers」の発表は一九二七年。戸川説の一九三〇年以前の作品です。おっかなびっくり書きますが、ミステリと文芸とがはっきりと分岐する手前の時期の作品ということになります。分岐という言葉が強いならば、ジャンルを明確に意識し、ミステリではない作品を書かない作家が登場する直前としてもいいでしょう。
では、これは結果としてミステリになっている作品なのか、はじめからミステリを意識して書かれたものなのか。
言うまでもなく、ヘミングウェイはクイーンやカーのようなプロパーなミステリ専門作家ではありません。大きく二分すれば、結果としてミステリ《も》残したポオやコリンズといった作家の側に属します。
いや、フレデリック・ダネイもといダニエル・ネイサンには『ゴールデン・サマー』があるじゃないか、とか、クイーンには評論家・アンソロジスト、編集者としての顔もあるから専門「作家」というくくりはいささか不適切だ、というお声は聞こえなかったことにさせていただきます。今、声を張り上げようとした厳しいマニアのかたも、クイーンがミステリの国の民、それも善良にして高額納税者でもあるということに異論はないでしょう。
結論から書けば、ヘミングウェイはこれをミステリとして書いたわけではないと思います。なぜならば、発表当時、これはミステリではなかったはずだからです。もう少し、詳しく書きましょう。このシリーズの位置づけとして、「The Killers」はミステリの一つのジャンルの「ハードボイルド」として取り上げられています。「密室もの」でも「倒叙もの」でもありません。「茶の葉」のような元祖●の●●●トリック、「オスカー・ブロズキー事件」のような元祖倒叙ものといったくくりをするならば、「元祖ハードボイルド」となるでしょう。
一九二〇年代にハメットらが登場するわけですが、ハードボイルドという言葉がミステリのいちジャンルをくくるものとして定着するのは、当然、タイムラグが生じます。少しネットで調べた程度なので注意が必要ですが、ハードボイルドという言葉はハメットの『血の収穫』(一九二九)の書評で既に登場しているようです。「The Killers」の一九二七年というのは微妙です。
あまり用いたくない「微妙」という言葉を引っ張り出したのは、ミステリの一つのジャンルとしてのハードボイルドが成立するより以前なのか、すでに成立しているのかがはっきりしないということです。
どうもまだ成立していないのではないか、というのが私の見解です。自分の書いているものがハードボイルドというミステリだとは、ヘミングウェイは思っていないだろう、と考えます。
この文体だからこそ生きる物語があるのではないかという模索はあっても、この文体で新しいミステリのジャンルが開拓できるとか、この文体で犯罪を描けば面白いなどという計算はないでしょう。
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