クリスティの代表作はなにか、という問い
最初の理由から触れていきましょう。確かにクリステイ作品のなかで「夜鶯荘」の知名度は決して高くないと思われます。なにしろ、クリステイは作品数が多い。短編と長編の両方を書いた作家の場合、長編のほうに注目が集まりがちです。
クリスティの代表作としてよく挙げられるのは『そして誰もいなくなった』や『ナイルに死す』あたりでしょう。確かにクリスティの長編は高水準で粒揃い。こんなにもアベレージの高い作家がいたのだろうか、と思うほど(「いや、後期はそうでもないだろう」や「あれとあれなんか同じパターンじゃないか」など、さまざまなご意見はあるでしょうが)です。
加えて、クリスティ作品のなかには、騙しのある種のパターンの元祖的なもの(厳密にクリスティが始祖ではないものも含む)がいくつかあります。この連載に興味を持ってくださるようなかたは、きっと作品名が浮かんでいるはず。ミステリの歴史、トリックの開発史を語るうえで外せない価値を持つ作品もあるので、どうしてもそういう長編に注目が集まりがちです。
そういう事情で、なかなかクリスティは短編に焦点があたりにくいところがあります。では、短編はクオリティが落ちるのかといえば、そうではないのです。さきほど、騙りの代表的パターンのいくつかをクリスティが考案、定着させたといったことを書きました。これは長編に限ったことではありません。
また絡み合った人間関係を描いて伏線や目くらましにするというクリスティの一つの良さは、限られた枚数の短編になると、絞り込まれた登場人物の濃密なドラマになるとより輝きを増し、同時に影や闇を濃くします。クリスティはけっして短編が不向きな作家ではないのです。
短編の代表作として名前が挙げられるのは「検察側の証人」です。これは他の作品と比べて、知名度が頭一つ抜けているからでしょう。ビリー・ワイルダー監督の映画「情婦」(一九五七)の原作というのも大きいでしょう。もちろん、内容も素晴らしい。「検察側の証人」がクリスティの短編の代表作とすることに異議はありません。むしろ、クリスティ作品から『世界推理短編傑作選』の収録する短編を一つだけ選べ、と言われたら「検察側の証人」にするのではないでしょうか。
私はちょっとひねくれているので、他の作品を挙げてしまうかもしれません。複数人のアンケートで多数決により決めるという前提ならば《どうせ「検察側の証人」に決まりだろ。不採用でも別の作品を候補に出して記録に残しておこう》と考えます。投票をしたらきっと「検察側の証人」になるという確信めいたものがあるからこそ、こういうある種の暴挙、冒険ができるのです。それくらいハイクオリティの傑作。なんで、これを乱歩が選ばなかったのかが不思議なくらいです。
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