ほどける瞬間あるいは「ゴン、お前だったのか」
以前も書いていますが、この『推理短編傑作集』シリーズ(新版)になる前のバージョン『世界短編傑作選』シリーズに一度、目を通しているので、収録作品はすべて既読のはずなのです。読み返して、自分が内容を覚えていないことに驚きました。
そんななかで今回、「三死人」を読んでいて、真相がわかったと感じる、ほどける瞬間がありました。
ネタばらしを防ぐために引用はせずに、トリッキーな表記をしますが、それは新版の39ページから40ページにかけてのある人物の台詞の途中です。ご興味のあるかたは、ご確認ください。
この部分を読んで、事件の真相が読めた、と確信したのです。正確には「思い出した」のかもしれませんが、あの瞬間の感動は「わかった、そういうことだったのか」以外のなにものでもありませんでした。
変なたとえになるのは承知で書きますが、「ゴン、お前だったのか」の気分です。
話を戻します。つまり、わかるように書いてあるという点が素晴らしい。それも身体的特徴などから容疑者を排除していく消去法推理ではなく、「比類のない神々しい瞬間」の「頭の飛躍」のように実は数学的な論理に支えられていない危なっかしい推理というか想像にすぎないのですが。
探偵は事件の真相を語る前にこう語ります。
この説明でおれ自身は充分満足している。ただ遺憾ながら、われわれ以外には理解してもらえぬかもしれん。ことに××××××××××が君のいうような人物だとしたら、彼には絶対にわからぬといってよいだろう。
(『世界推理短編傑作集3』「三死人」P56より)
私自身は推理に納得しています。それは自分の考えた推理が真相と一致していたから、正解だったからではありません(いや、それはあるかもしれない)。
納得できるように描くフィルポッツの腕があるからでしょう。そして、本当に恐ろしいのは真相が納得できない人物はそういう人物としてきちんと描かれている点です。
フィルポッツの技術とは別に「三死人」で語られる事件の真相の一部、犯人が私の共鳴できる人物であることも大きいのかもしれません。そして、きっと乱歩もこの犯人を深く理解できる。もしかすると、自分の分身だと感じているのかもしれません。
この「三死人」の初回にも書いたように、推理短編の世界的な傑作であることは間違いないです。その点を乱歩は冷静に評価した一方で、自分の分身を見つけて個人的な思い入れの強さでも選んでいるように思えてならないのです。
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