大人だって絵が欲しい

 クロフツの作品には鉄道技師という変わった職種を生かした物語が多く、この「急行列車内の謎」もそうなのですが、そのぶん、今の日本の読者にはイメージしにくいのが難点。映像として浮かびにくいという欠点はあるものの、「急行列車内の謎」の丁寧に仮説を検証し、可能性を否定していく手法は実にクロフツらしく、ミステリを味わう楽しさに溢れています。

 と、ここまで書いておいて白状しなければなりません。

 頭の中でぼんやり思い描いている映像が正解である自信がないのです。犯行現場になった客室(コンパートメント)の正確な様子も、密室トリックもどうも怪しい。

 今回、企画を進めていくのに際し、『世界推理短編傑作集』シリーズ(新版)の収録作品を読むのは、基本的には初めてではなく、二回目以降になるはずです。旧版、『世界短編傑作選』のときに一度、読んでいるからです。

 この「急行列車内の謎」は最初に読んだときは、まったくといっていいほど、映像が思い浮かびませんでした。なんとなく「なるほどそうやって密室を」と納得させていたのです。今回も最初はそうでしたが、さすがに「よくわからなかった」で済ませるわけにもいきません。

 イギリスの古い列車の映像でパッと思いつくのは、グラナダTV版のドラマ「シャーロック・ホームズの冒険」シリーズです。いわば時代劇なので、どれほど当時の様子を忠実に再現できているかはわかりませんが、参考にはなるかもしれないと見直してみました。

 通路側だけでなく、客室にも扉があるというのは、「ギリシア語通訳」を見ると確かにそうだな、となります。客室の四人入ればやっとという感じの狭さも「ギリシア語通訳」の映像からうかがい知ることができます。

 時代は合致しているのか調べたところ、諸説あるようですが、ホームズ研究書によると「ギリシア語通訳」事件の起きたのが一八八八年、対して「急行列車内の謎」は冒頭にはっきりと一九〇九年の出来事と記されています。二十年もあれば、列車の様子は変わるでしょうから、どれほど参考にしてよいものかどうかは怪しいところはありそうです。

 そこでもう一つのヒントとして『有栖川有栖の密室大図鑑』の「急行列車内の謎」のところを読み返してみました。この『有栖川有栖の密室大図鑑』は、推理作家の有栖川有栖川さんが選んだ密室ミステリに登場する密室を共著者であるイラストレーターの磯田和一さんが絵にしてくれているのです。

 これを見直して雰囲気をつかみ、何度も繰り返し読み、それでも、ようやく、わかったような気がする、というレベル。これは作品のせいではなく、鉄道というものの在り方が現在の日本とは異なっているせいでしょう。

 この「急行列車内の謎」を絵にするには、磯田さんも手を焼いたようです。『有栖川有栖の密室大図鑑』では有栖川さんの密室ミステリのガイドと磯田さんのイラストだけでなく、それぞれの密室について、「作画POINT」という磯田さんのコメントも付いています。そこで「一番手こずった作品」とあるほど。

 資料を手に入れるのに苦労して、書き上げた最初の絵に編集部から「どうも違うのでは」と注文が入り、編集部から渡された資料を元に書き直した、といった裏話が打ち明けられています。

 確かに「急行列車内の謎」は当時の列車の様子なども含めて、残っていてほしい短編なのですが、客室(コンパートメント)の様子だけでなく、昇降段や扉や屋根の様子といった列車全体の外観も、贅沢を言えば、ホームの様子などもイラストにした形で残してほしいです。

 子ども向けの翻訳で「急行列車内の謎」に挿し絵や表紙できちんと列車を描けば、クロフツはもっとなじみ深い作家になると思うのです。

 いよいよ、次回から三巻に入る予定です。

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