走る列車という壁

 密室を構成する「壁」は、なにも鍵のかかった扉や窓に限りません。

 衆人監視、つまり、誰も出入りしていないことを誰かが見ていた場合も「視線」が鍵や壁になります。雪原に残された足跡や、足跡がない状況も密室を形作ります。

 クロフツの「急行列車内の謎」の密室は、一見、楔で完全には開かな客室だけに思えますが、実は死体が発見された車両、連結された走る列車そのものも脱出不能の密室なのです。

 単に密室の舞台をひねりました、というだけではなく、変わったシチュエーションを用意することで、新しい密室の壁をつくり、新しい不可能状況をつくる。

 さらっと多重密室をつくりあげておいて「どーだ、俺様は何重もの堅牢な密室をつくったぞ、へっへっへ」とふんぞり返らないのは実にクロフツっぽい。

 これがケレンの不可能犯罪クリエイター、ジョン・ディクスン・カーあるいはカーター・ディクスンならば、これ見よがしに、それこそ鬼の首を取ったかのようにアピールする押し出しの強い密室を誇示するでしょう。

 念のために書き添えますが、これはカーの味。私はこの子どもっぽさというか無邪気さが大好きです。

 クロフツの奥ゆかしさを裏付けするように、この作品にはせっかくとびきりの不可能犯罪があるにもかかわらず、快刀乱麻に謎を解くエキセントリックな名探偵は存在しません。クロフツの作品なのに(?)刑事もいない。

 リュウ・アーチャーのようなインタビュアーもおらず、いるのは真犯人の告白を受け止める聖職者のような人物のみ。それも逆説を説くコウモリ傘を携えた神父でもありません。

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