逆説


 逆説という言葉は、チェスタトン、特にブラウン神父ものを語る際には付き物のワードです。

 私の使っているポメラ内蔵の国語辞書によると《一見、真理に反するように見えて、よく考えると、一面の真理を示している説》とあります。例として、急がば回れ、負けるが勝ち、が挙げられています。なるほど。わかります。

 推理作家の有栖川有栖さんは、密室ミステリガイド『有栖川有栖の密室大図鑑』のなかでチェスタトンの「犬のお告げ」を取り上げて逆説についてこう書いています。引用します。


 チェスタトンの小説には〈逆説〉が満ちていて、名探偵であるブラウン神父、ガブリエル・ゲイル、ポンド氏が謎を解き明かす際、読者はいつも軽い眩暈に襲われる。「あまりに大きくて見えなかった」などというのは判りやすいが、これが「何もかも違うから、同じものだった」「そっくりだから別のものだった」「背が高いから目立たなかった」となってくると頭が混乱してくる。


(『有栖川有栖の密室大図鑑』有栖川有栖著/新潮文庫 P75)


 今は創元推理文庫版のほうが入手しやすいでしょうが、手元の新潮文庫版から引きました。正確には、〈〉内の逆説には、パラドックスとルビが振られています。

 逆説の例を「奇妙な足音」で言えば、この部分がそうです。引用します。


「おゆるし願います、オードリーさま」喘息病みのようなとぎれがちの声で言った。「とんだ心配事ができましたもんで。みなさまの魚料理用の皿なんでございますが、ナイフとフォークをのせたままきれいに片づいているのでございます!」

「そりゃあけっこうじゃないか」と会長はいくぶん熱のこもった口調で言った。


(『世界推理短編傑作集2』 江戸川乱歩編/創元推理文庫 P108)


 片づけられていたほうがいいはずの食器が片づけられているほうがよろしくない。これが逆説です。なぜ、これが成立するのかは、作品をお読みになったかたならばおわかりでしょう。

 逆説の面白さは、それが成立してしまう特殊な条件が明かされたときの驚きにあるのかもしれません。「奇妙な足音」で最大瞬間風速が吹いたのは、このやりとりの後です。再び、引用します。


「いや、ぼくの記憶はたしかだ」と公爵は興奮してさけぶ。「ここには給仕が十五人以上いたことはいままでに一度だってないし、今夜にしても十五人しかいませんでしたよ。誓ってもいい、きっかり十五人だったんだから」

 主人は驚愕のあまり麻痺してしまったかのように身をふるわせながら公爵のほうに向き直った。

「すると、すると」つまり声だった--「十五人の給仕を全部ごらんになったというわけで?」

「いつものとおりにね」と公爵は肯定した。「それがおかしいとでも言うのかね?」


(『世界推理短編傑作集2』 江戸川乱歩編/創元推理文庫 P109)


 ここに転がっている逆説は「十五人いる給仕がいつものように十五人全員揃っているからおかしい」です。もう少し抽出すると「いつもどおりだから、いつもどおりでない」あるいは「異常がないから異常だ」となるでしょうか。


 なぜ十五人の給仕が揃っていたことがおかしいのか。その答えを書きます。ただし、ここから先は「奇妙な足音」の内容について触れます。未読のかたはご注意ください。真相や犯人についてはっきりとは書きませんが、勘のよいかたはなにかピンと来る可能性があります。





※※※※ここから内容に言及します※※※※





 さきほどと重なる部分がありますが、再び、引用します。


「すると、すると」つまり声だったーー「十五人の給仕を全部ごらんになったというわけで?」

「いつものとおりにね」と公爵は肯定した。「それがおかしいとでも言うのかね?」

「いや別に」とリーヴァ氏はしだいにアクセントを強めながら言ったーー「ただ、そんなはずがないと申しあげるだけで、十五人のうちの一人は二階で死んでおりますので」


(『世界推理短編傑作集2』 江戸川乱歩編/創元推理文庫 P109)


 死者がいるからこそ、対になる神父がいる、というあたりも心憎いです。









※※※※内容への深い言及はここまで※※※※


 更新が滞ったり、思い入れのある作品なので「奇妙な足音」の項が長くなりました。次回から「赤い絹の肩掛け」にうつります。


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