6ー0 約束の魔法



 到底信じられないことだが、恐らく、あの時点でシーナは……僅かながらも、『傷』を操る術を身に着けていたと思われる。

 だが、通常ならば、『傷』や非人のような膨大かつ強大なエネルギーの個体を、生身の体内に取り込むのは、不可能に等しい。恐らくは、体内に入れた途端に、それらのエネルギーの圧力に耐え切れず内部から破裂し、絶命してしまうことだろう。

 対して、シーナの身体は、実はコクモノの身体に近い性質をしており、柔軟性と耐久性に優れた器だったこと。加えて、『オド』の力によって全身がヒビだらけであり、結果的に『傷』を取り込みやすい状態になっていたこと。それらが偶然にも、奇跡的に作用し合い……シーナは、全世界に拡散した『傷』を、身体に取り込むことに成功したのだ。

 その後、台樹の非人の手によって、シーナは『傷』を道連れにして消滅……結果、この世界から『傷』の脅威は消え失せた、という経緯である。


「……と、こんなところだろうな。とても通常の精神力では成し得ないことではあるが……理に叶った推測ではあるだろう」


 穏やかな大海原が見渡せる、海崖の上。

 台海を眺めながら胡座をかいて座るオリスト第三皇女が、自らの持論を語ると……その後ろに立っていたメイド、ビエラが驚いた様子で声を漏らす。


「うぇぇ……?実際に見たわけじゃないのに、そこまで推測出来ちゃうもんなんだ。天才ってスゴイなぁ……」

「天才なものか。ただ、私が培ってきた知識が、私をそう見させるだけのことだ。私など、本物の天才と比べれば凡才に等しい」

「ふぅん……なんか、意外に謙虚だね……?」


 戦いは、終わった。

 セデ村があった小世界は台海に沈み、そこから一番近くにある、名もない小さな小世界で……生き残った者たちは、静かに言葉を交わしている。


「ご苦労だったな。まさかお前たちユニストが、セデ村の事後報告を私にしてくれるとは思わなかったが」

「別に。あぁ、一応言っておくけれど……あたしは、あんたのことを許した訳じゃない。この世界を、ユニスト協界を滅茶苦茶にして、イオにまで手を掛けた……その恨みは、ずっと、忘れるつもりはないから」

「元より許されるつもりでやった訳ではない。お前たちも、まとめてこの世界から消すつもりだったのだから」

「へぇ、それは残念でした。そんじゃ、あたしはこれで。さようなら、オリスト第三皇女様。次に会う時は、簡単に首を落とされないように……精々注意しておくっしょ」


 猛烈な殺意と敵対心を剥き出しにしながら、ビエラは踵を返して立ち去ろうとする。

 そんな彼女の背中へと、第三皇女は振り返りもせずに、一つだけ問いを投げかけた。


「一つ、聞きたいんだが……ロミアの最期は、どんなものだった?」

「……勇ましくて、威風堂々とした最期だったって……そう言っていた。あのイオが、他人をあそこまで評価するのは……初めてだったかもしれないね」

「……そうか」


 まるで、賞賛にも似た言葉を残して……いつの間にか、ビエラはひっそりと気配を消してしまった。

 最後まで無防備な背中を晒していても、一度も不意打ちを掛けてこなかったのは……彼女の、せめてもの情けだったのかも知れない。

 緊張が解けた第三皇女は、短く息を吐いてから……。


「それで────お前はいつまでそこで隠れているつもりだ?」


 もう一度、背後へ向かって声を掛けた。

 すると、彼女の背後にある森の影から、潔く一人の少女が姿を現す。


「────ありゃりゃぁ、バレちゃったかぁ」


 軽い口調で言いながら頬を掻くのは、左目を急ごしらえの包帯で覆っているフィリ=オディスだった。

 肩越しに彼女の姿を視界に入れた第三皇女は、少しばかり怪訝な顔を浮かべてから腕を組む。


「気絶した非人を連れて行ったのは、あのキュロロとかいうコクモノだった。奴と対峙していたお前は、てっきり死んだものだと思っていたが……ところで、その左目はどうした?」

「いやぁ、もしかすると……死んだ方が、まだマシだったかもねぇ」






   ◆ ◆ ◆ ◆ ◆






 キュロロの[黒槍]は、あたしの眼球を狙って振り下ろされ、貫いた。

 もう、いっそ殺してくれと懇願してしまう程の激痛に襲われて、柄にもない悲鳴と共に、意識までもが吹き飛びそうになったのだが……それは、致命傷には至らなかった。

 当然、キュロロもそのつもりで手を下したのだろう。僅かな返り血で濡れた顔面を、あたしの眼前に持ってくると……途轍もなく恐ろしい目つきで、こう忠告してきたのだ。


「────今、あなたの中に[呪いの旋律]を流しました。あなたには、『死』など生温い。これから先も、生き続けて下さい……あなたの犯した罪の痛みと苦しみを、永遠に背負いながら」


 これまで感じたことすらない激痛が、顔面から全身の指先に至るまで幾度となく反響し、喋るどころか、抵抗することすら出来ない。

 こんなモノを一生身体に抱えながら、生き続けろと言うつもりなのだとしたら……鬼畜どころの騒ぎではない。

 最早、悪魔の所業だ。


「いいですか?私は、いつでもあなたを見ています。もしも、もしもこれから先、またかつてと同じ様に、誰かを苦しめるような悪事を働いた時には────私ハ、必ズアナタノ前ニ現レマス、何度デモ」


 それは、あたしの人生の中でも初めての体験だった。

 白魔法と魔具の開発者、魔法師の祖……唯一無二とも言える存在である、このあたしが……あまりの痛みと、あまりの恐怖と、あまりの絶望に、屈服した瞬間。

 生まれて初めてだった────思わず自分から、敗北を認めてしまうだなんて……。





   ◆ ◆ ◆ ◆ ◆





「……と、いうわけでぇ、あたしは悪行が出来ない身になっちゃいましたとさぁ。正直ぃ、今も苦しくて苦しくて堪らないんだよねぇ。出来ることならぁ、さっさと死んで楽になっちゃいたいよぉ……なんてねぇ、あはーっ」


 はてさて、一体何処までが本音なのか……。

 それにしても、[呪いの旋律]とは……また、不可思議な現象があったものだ。頭の中では想像するのが難しい呪いではあるが……現に、フィリにはその呪いらしきおぞましい気配がしっかりこべりついている。

 『死を司る獣』、か……願わくば、生きている以上は到底相手にしたくはないような怪物が、世に放たれてしまったという訳だ。


「これまで積み重ねてきた業が、ここで全て返ってきた、といったところだろうな。無様なものだ」

「あれぇっ、何処へ行くのぉ?」


 第三皇女が何やら納得した様子で立ち上がり、その場から立ち去ろうとすると、フィリが首を傾げながら声を掛ける。


「終わる筈だった世界は存続し、私もこの戦いを生き残ってしまった……なら、私が何もしないで、ただ胡座をかいている訳にはいかない」

「ストイックだねぇ。ところでぇ、一つ聞きたいんだけどぉ────君さぁ、この展開を予測していたでしょぉ?」

「何のことだ?」

「またまたぁ、惚けちゃってぇ。第三領域にある各地区が、例え孤立した状態になっても自治体として活動することが出来るように……世界粉砕を起こるよりも前から、ちゃぁんと根回しをしていた。現に、元々第三領域だった小世界の中で、滅亡した地区は今のところ一つも無いみたいだしねぇ」

「……だから、何だ?今更そんなのはどうでもいいことだろう」

「…………あはーっ、そだねぇ。確かに、どうでもいいかぁ。あはっ、あはーっ、本っ当ぉ……何処までも底知れないお人だねぇ、シヴェラーナちゃんはさぁ?」


 どこか挑発するような口調で、フィリが彼女の名前を呼ぶと……第三皇女はピタリと歩みを止め、空を仰ぎ見ながら、一つ小さな溜め息を吐いた。


「その名前は……もう、私個人の物ではない・・・・・・・・・。シヴェラーナの名前は、今度こそ、自らで価値を見出した『彼女』が持っているべきだと……そう察したからな」

「『彼女』……ふぅん、『彼女』、かぁ……じゃあ、君の名はぁ?」


 『彼女』は、もうこの世界には居ない。

 世界存続の節目に……自らを犠牲にして、『傷』と共に消滅してしまったのだから。

 だが、その最中で……彼女は自らの名前に、価値を見出した。他の誰でも無い、彼女だけの価値を。

 だからこそ、きっと。

 『彼』が生きている限り、『シヴェラーナ』の物語は……ここから大きく変わっていくのだろう。

 ならば。それを見届け、紡いでいくのは……どんな形であれ、『彼女』自身でなくてはならないのだ。


「────『サヴァレナ』。それが私たち・・・の、もう一つの名前だ」


 それは、過去との決別。

 誰よりも強く、誰よりも優しく、誰よりも憧れた、『シヴェラーナ』の名前にすがっていた・・・・・・自身に対する決別……だったのかも知れない。

 自らの本当の名を告白した『サヴァレナ』は、再び、未来へ向かって歩き始める。

 彼女の潔い後ろ姿を少しの間眺めていたフィリは、ニヤリと不敵な笑みを浮かべると、軽やかな足取りでその後を追い掛けていった。


「ねぇねぇ、だったらぁ、『サヴァレナ様』ぁ。これからしばらくの間ぁ────君に付いて行ってもいいかなぁ?」

「何故だ?」

「あはーっ、なんか面白そうだからぁ」

「……好きにしろ」


 彼女たち二人に、どんな思惑があるのかは知る由もない。

 ただ、ペデスタルに変革をもたらした者同士……『黒』と『白』の交わりは、何か、混沌にも似た大きな事態を引き起こすことになるかも知れない、が……。


「ところでお前、神になったらしいな?どうやってやった?」

「あはーっ、気になっちゃうぅ?厳密にはぁ、あれは『白魔法』であってぇ、『黒素』は補助的役割を果たしていたんだけどぉ……」

「『黒素』を補助に……?白を基盤にしては、そもそも人間が成り立たなくなる気がするが…………ん?あぁ、なるほど、だから例の『殺し屋』を利用したのか」

「ご名答ぉ!流石理解が速いねぇ!それでそれでぇ、こっからが面白い理論でねぇ……」


 それはまた、別のお話だ。






   ◆ ◆ ◆ ◆ ◆






 嵐が過ぎ去った後であるかのように、台海のエァヨセは穏やかな静けさに包まれている。

 その水面に漂うのは、いつもよりも規模が小さな台樹。まるで一つの小島のような台樹に腰掛けている俺の膝の上で、毛玉のように丸まった獣姿のキュロロが少し震えた声で俺に尋ねる。


「……それでは、シーナさんは、本当に……?」

「うん。確かに俺が、この手で殺した」


 今も、その時の感覚は、俺の手の中に残っている。

 俺の手で、一つの命が終わった瞬間……温もりのある風船のような物質を、徐々に押し潰していって……それ以上縮まないところで力を込めると、一気に破裂……少しの間、手の中で気泡が弾けて、気付いたら……彼女の姿は、目の前から消滅していた。

 罪悪感や恐怖心が温もりとして手の中に浸透し、俺の心をいつまでも苛み続けるが……後悔は、無い。


「そう、ですか…………はぅぅ……わたし、肝心な時に役に立てなくて……ごめんなさい……」


 こちらの顔をジッと見上げていたキュロロは、俺の膝に顔を埋めて、全身をプルプルと震わせる。

 そんな彼女の温かい気遣いを受けて、俺はその小さな頭を撫でながら小さく首を横に振った。


「何言っているのさ。俺とシーナがこうしてちゃんと向き合うことが出来たのは、キュロロやイオが頑張ってくれたお蔭だよ。だから、ありがとうね」

「そんな……!私には勿体ない言葉です……!それで、あの……ツムギ様は、これからどうするんですか……?」


 バッと顔を上げてから、少し聞き辛そうに尋ねてきたキュロロと目が合うと……俺はもう一度、目の前に広がる大海原に視線を移す。

 シーナは、死んだ。

 これまで彼女の為に生きていたような俺には、もう生き存えるだけの意味は無い、と……キュロロも、そう思ったのだろう。

 確かにその通りだ、と……彼女の居ない世界で、俺は生きていくつもりはない、と……俺はゆっくりと口を開いた。


「もうしばらく旅を続けるよ。台樹が漂うままに、色々な小世界を見にね。そして……」


 だが。

 きっと、俺の瞳には……光が宿っていたことだろう。

 遠いのか、近いのかもハッキリしない、朧気な未来を……しっかりと、その瞳で見据えていたことだろう。

 何故なら。


「────いつか彼女と再会出来る時を、俺は、いつまでも待つよ」


 『新しい約束』が、あった。

 俺の行く先にある未来には、間違いなく────『彼女』が、明るく微笑む姿があったからだ。






   ◆ ◆ ◆ ◆ ◆






 ────私たちで、私たちだけの《魔法》を創るの。


 ツムギは、私のことを信じてくれた……だから次は、私がその想いに応える番だわ。


 私は、諦めない。例えそれが、概念的に『死』と等しい結末だったとしても……私のこの身体には、ほんの僅かにも可能性・・・がある。



 【それは、標】


 【身を委ねよ】


 【思いを寄せよ】


 【いつか還るは、寛容なる大樹の元】


 【幾万の隔たり、無窮の障碍があろうとも】


 【大樹は偏に、汝の標とならん】

 

 ────[新生白魔法・大いなる標樹]



 ね、ツムギ……私、約束するわ。


 あなたが、この世界に在り続ける限り────私は、私の死をも乗り越えて・・・・・・・・・・、必ず、あなたの元に還ってくる。


 それまで……待っていて欲しいの。


 私は……色々な世界を、旅して回りたいから。これからも、ずっと、いつまでも────あなたと、ツムギと一緒に……。

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異世界ラストライフ ━不死身の神になった俺が少女と旅をするワケ━ 椋之樹 @Mukkumuku

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