5ー7 少女と旅をしてきたワケ



「おわわわッ!?」

「シッカリ掴マッテロッ!海ニ放リ出サレルゾッ!!」

「待ッタ、メッチャ気持チ悪インダガ……ウップッ」

「ここで吐くなァァァッ!!外に向かってやれ外へェェェッ!!」


 これまで村の外へと出る機会すら無かったセデ村の人々にとって、台海は未知の領域だった。

 航海術も、操舵術も無く、神々に等しい台海へ繰り出すのは、命を投げ出すにも等しい行為だろう。

 しかも、現在、台海は大荒れ。

 荒れ狂う高波で船は幾度もひっくり返りそうになり、船上ではあまりの揺れに船酔いに陥る者も続出していた。

 恐らく、台海が荒れているのは────あの巨大な台樹が、倒壊し始めている衝撃が原因だろう。


「オ、オイオイ……アンナ、デカイノガ倒レタラ……」

「あの非人様も、残った奴らも……大丈夫なのかよ……?」


 あれが、台樹の非人の手によって生まれた樹であることを、彼らは知っている。それが倒れるということは……。

 だが、今は感傷に浸っている余裕も無く、激しく揺れる船の上で振り落とされないように踏ん張ることしか出来なかった。

 そこへ……。


「────ちょいと失礼するっしょーっ!」


 空から、陽気な声と共に、一つの影が飛来。

 その影は、激しく揺れる船体の縁に勢い良く着地すると……船の揺れは、不自然なほどにピタリと静止する。

 人間離れした技を見せつけ、姿を現したのは、全身が水で揺れたメイド服の少女だった。


「ゆ、揺れが、止まった……?」

「うへぇっ、もうビッチョビチョだぁ。どーもっ。ユニスト協界のギルドメイド、ビエラだよ。イオからお願いされて、皆を護衛することにしたからよっろしくーっ!」

「イオ……?アノ、チッコイギルドメイド、ガ……?」


 どうやら、自分たちの知らない内に、事態はどんどんと進んでいるらしい。彼女がこうして代わりの人間を寄越したということは、何か、来られない理由でもあるのだろうか。

 それを問い掛ける前に、ビエラは縁に立ったまま肩越しに振り返ると、声を上げて、船上に居る皆に注意を促した。


「……っと、そろそろ来るっしょ〜……?みんなー!衝撃に注意っ!デカい・・・のが来るよーっ!」

「え…………おわぁぁァァァァッ!?」


 直後。

 船体を思い切り殴り付けられたような、凄まじいまでの衝撃が走る。

 身体が浮かび上がる程に強い衝撃だったが……ビエラが、それを何らかの形で軽減してくれたお蔭なのか、被害は小さくて済んだ。

 一体何が起きたのかと、台海の水面を覗き見ると……その下に、まるで巨大な蛇のようなモノの影が、海中を物凄い勢いで突き進んでいるのが分かる。


「ナ、ナンダ、アレハ……?」

「あれは[樹根]だね。台樹の非人様が、世界中に向かって根を伸ばしているんだよ」

「非人様が……な、何の為に……?」

「さぁね……だけど、少なくとも今、世界の命運はあの子たちの手に掛かっている。滅亡するか、消滅するか、それとも────さぁ、このペデスタルは、一体どんな結末へ転がっていくのかな……?」


 最早、話が壮大過ぎて、何が何やら分からないが……彼らは、戦っている。

 自分たちには、それを手助けすることも出来ないし、見守ることすらも出来ない。

 ならば、せめて……祈ろう。

 彼らの無事と、勝利と……世界の存続を願って。






   ◆ ◆ ◆ ◆ ◆






 ────全世界に拡散した『傷』の痕跡を、一つに集める。


 それが、シーナの切り出した衝撃的な提案だった。

 確かに、『傷』の影響を取り除くことが出来れば、ペデスタルが滅亡する事態は防げるだろう。ただ、そもそも全世界という広大な範囲にまでどうやって足を伸ばすのか、そもそも目にも見えない『傷』をどうやって集めるのか……それを実現するには、残された時間では到底不可能な、途方もない時間と労力を費やすことになるのは目に見えていた。

 だが、シーナは言った────条件は、既に全て揃っている、と。

 俺たちは、今、『深み』と呼ばれる領域にいる。

 『深み』とは、世界のあらゆる地点に繋がっている、という不可思議な性質を持った領域だ。それを利用すれば、世界の何処にでも・・・・・・・・接続が出来る・・・・・・、ということらしい。

 ならば、もう一つ……『傷』の痕跡をどうやって集めるのか。

 当然、それには台樹の非人の力が不可欠だった。要領は、『時属性』の白魔法に同調した時と同じ。『傷』による事象の流れと同調すれば、恐らく、『傷』をその手で引きずり出すことが出来るはずなのだが……。

 あろうことか、俺は、第三皇女を出し抜く為に、非人の力を殆ど切り捨ててきてしまったのだ。

 力になるどころか、かえって足手まといにしかならない。そんな無力感に苛まれていたのだが……シーナは、小さく笑みを浮かべて、自身の首に手を掛けた。


「いいえ。ツムギは、『きっかけ』をちゃんと残してくれたわ。あなた自身の力を、形にして……私に、贈ってくれた────私たちの、最後の切り札を」


 そう言って、シーナが手のひらに乗せて見せてきたのは……彼女に贈った『木製ペンダント』。

 それこそ、最後の切り札────[新たな魔法]を生み出す、最後の希望だったのだ。

 





   ◆ ◆ ◆ ◆ ◆






 長年『傷』に触れ続けていたシーナは、『傷』の気配を察知することが出来るらしい。

 その指示に従って、俺は僅かながらに蘇った非人の力を使い、『深み』から次々と樹根を伸ばして『傷』の痕跡へと触れていった。

 樹根が世界中へと伸びていく感覚には、若干の違和感を覚えたが……今は、それどころではなかった。


(…………なんだ、この感じ……?)


 何と、いうべきなのだろうか……シーナの言う『傷』の痕跡に樹根が近付いた時……途端に、全身がむず痒くなってきたのだ。

 全身の痒みは、痕跡に近付けば近付く程に強くなってきて……まるで、これは、そう……身体の中で、幾多の蛆虫が這いずり回っているような、途轍もない吐き気をもよおす感覚だった。

 負けじと、『それ』を睨み返すと……幾千、幾万……いいや、もはや無限に近い気配・・・・・・・が……俺を嘲笑うように見下ろし、言葉にならない恐怖を覚えさせる。

 シーナは……ずっとこんな奴を、身体に抱えて生きていたのか……?


「う……ぁ……ッ!?」


 今、俺は何に触れているのか……分からない。

 今、俺の身体に何が起きているのか……分からない。

 ただ、ただ……何か、『得体の知れないモノ』……決して、『触れてはならないモノ』に接してしまっている……そんな恐怖心と背徳感ばかりが俺の頭の中を渦巻き、恐怖のあまりに正気を失い掛けていた。

 すると。


「────心配しないで、ツムギ。私もいるわ」


 優しく囁きかけるように声を掛けてくれたシーナが、俺の肩に手を添えて隣に立った。

 彼女は、何処に居るのかも分からない『それ』を目を潜めて仰ぎ見ると、記憶を思い返すように語り始める。


「『傷を刻む者』……私は、あれをそう呼んでいるわ。本当の名前も分からなければ、どんな姿をしているのかも分からないし……何が目的なのかも、よく分からない」

「……!」

「ただ、あれは世界に降り立つと、そこで生きる生物に『傷』を刻む。そして、『傷者』となった者は……世界を滅亡させて、ただ一人、世界に取り残されるの」


 ここまで理不尽な真実が、このペデスタルに潜んでいたなんて……。

 下手をすれば、あのエァヨセを始めとする、『非人』をも遥か下に見る程の理不尽な力を持った存在。ただ、あの人らと大きく異なるのは……こうして、多くの人々が翻弄されるのを────面白がるかのように・・・・・・・・・嘲笑っている・・・・・・ことだ。


「……ッ……」


 今も、命懸けで抵抗の意を示すシーナのことを、不気味な音を立てて嘲笑しているように見えた。

 そうやって嗤われるのが、どれだけ屈辱的なのか……それに翻弄されるしかないのが、どれだけ絶望的なのか……あのシーナが、悔しそうに小さく顔を強張らせて、ギュッと拳を握っている姿を見れば、容易に想像出来た。

 ようやく、理解出来た……この世界は、そうやって嗤われ続けてきたのだ。

 セデ村の人々も、コクモノたちも、生きる者も、死んだ者も……非人たちも、イオも、ロミアも、キュロロも、フィリも……あのオリスト第三皇女も……シーナのことも……全てが、『傷』の手のひらで、ずっと弄ばれ続けていたのだ、と。


「────なに嗤ってんだ、お前……」

「……!ツムギ……?」


 今の俺に、『傷』に抵抗するだけの力はない。

 そもそも、あの第三皇女や、エァヨセでさえも、手が出ないような存在を相手に……非人の力をかじっただけの俺なんかでは、どう足掻いても太刀打ち出来る訳がないのはよく理解している。

 だが。

 こんな奴の為に……ここまで共に歩んできた人たちや、命懸けで戦ってきた人たちの想いを、嘲笑われていると思うと……とても、苛立ち一つだけでは収まり切れなかった。


「そうやって、誰の手にも届かないところでふんぞり返っているのは、さぞいい気分だったんだろうな……?だけど、その狼藉もここまでだ。この世界に渦巻く、お前への沢山の恨み、お前への沢山の殺意……今ここで、俺が全ッ部晴らさせて貰う……ッ!」


 怒りが沸き上がり、力が劇的に飛躍していく……身体と精神の限界を越えて。

 前に突き出した手が痙攣を起こしながらも、怒りが促すままに、『傷』を締め上げ、それを引きずり出そうとするが……それでも、足りない……ビクともしない。

 感覚的に、拮抗している感じはあるのだが……如何せん、引っ張っているのかも、引っ張られているのかも、目では判別出来ない状況だった。

 そこへ。

 俺の突き出した手を、下から支えるように華奢な手を添えたシーナが、力強い瞳を見せながら小さく首を横に振る。


「いいえ、ツムギ。私たち・・、だわ」

「……!」

「……もう、どうしようもないと思っていた……もう、諦めるしかないと思っていた……だけど、本当に不思議ね……ツムギ、あなたが一緒にいると思うと…………私、もう何も怖くないわ」


 そう言って、小さくもハッキリと頷いたシーナは、彼女らしからぬ強張った顔になって、『傷』の方を仰ぎ見た。

 そして、これまで溜めるに溜めてきた鬱憤を、全て吐き出すかのように……精一杯の罵声を、精一杯の声量で浴びかせるのだった。


「だから……っ……あなたなんて……あなたなんてッ、大っ嫌いだッ!このッ、ばかやろぉぉぉッ!!」


 その時……若干、『傷』が揺らいだ。

 それは、『傷を刻む者』にとって、これまで思い通りに動かしていたつもりだった者からの、手痛いしっぺ返しだったのかも知れない。

 当然、『傷』と引っ張り合いを続けていた俺が……その僅かに揺らいだ瞬間を、見逃す筈がない。


「今日この日を忘れるな、『傷を刻む者』。お前という存在に、俺たちという天敵が生まれたこの日を……そして、その事実を永遠に悔やみ、恐れながら────消えていけッッ!!」


 ほんの少しの綻びから生じた形勢は、もはや戻ることは無く、あとは一気に傾くだけ。

 世界全体に張り巡らされた樹根が、唸る。

 シーナの手に支えられた俺は、喉が張り裂けんばかりの怒声と共に、世界を傾ける勢いで……。


 ────『傷』を世界各地から、一気に引きずり出した。


 




   ◆ ◆ ◆ ◆ ◆






 ────私、やっと見つけたの……私の、『死に場所』を。




「はッ、ぁッ……!」


 持てるだけの力を、全て振り絞った……いいや、下手をすれば、それ以上の力を。

 一瞬でも油断をすれば、意識が一気に吹き飛ぶところを懸命に堪え、四つん這いになって荒い呼吸を繰り返す。今は……今だけは……絶対にぶっ倒れる訳にはいかなったから。

 そんな俺に、シーナが慌てて声を掛けながら寄り添ってくる。


「ツムギっ!ツムギっ!ごめんなさいっ、ごめんなさいっ、無理をさせて、本当に、ごめんなさいっ……ごめんなさい…………っ」

「……俺のことは、いいから……それより……『傷』は……?」

「……えぇ…………ゴフッ……ちゃんと集まった・・・・・・・・わ……」

「……ッ!!」


 何か嘔吐するような音が聞こえて、恐る恐る顔を上げた時……そこには────全身のヒビから黒い吐瀉物を漏らす・・・・・・・・・、シーナの姿があった。

 その黒い物こそが、恐らく『傷を刻む者』なのだろう。

 まるで、シーナの身体の内側から這い出ようと、絶えず蠢き続けているのを……今、彼女が懸命に耐えているのが分かる。

 その姿が、あまりにも痛々しくて、惨たらしくて……せめて、ほんの少しだけでも、その痛みを和らげられるようにと……俺はシーナの身体を壊れないように優しく抱き寄せた。


「これ、で……世界の、滅亡は……ハァッ、ハァッ……避けられる……ァ……あと、は…………お願い、出来る、かしら……?」

「……うん」


 胸の中で、少しずつ弱まっていくシーナの声を、しっかりと、しっかりと受け止める。

 それだけしか出来ないのが、もどかしくて、悔しくて……だけど、肝心の俺は……彼女の決断・・・・・を前に、ただただ、頷くことしか出来なくて……。

 そういう、『約束』を交わしていた。

 『傷』を集める寸前、シーナから切り出して……俺も、納得するしかなかった『約束』を……今、果たす時が来た。


「さぁ、ツムギ────私を、殺して・・・……?」




 ────『ここ』しか、考えられなかったわ。どうせ死ぬなら、私は……『ツムギの中』で、死にたい。




 シーナの震える手が俺の手を掴み、ここよ、と誘導するように自身の胸に当てる。

 そこから少し力を入れて、胸の奥へと手を沈めると……心臓の鼓動の代わりに、何か、手で包める位の塊があるのを感じた。

 それを包み込むように掴み、一度、シーナの顔を見下ろす。

 尋常ならざる激痛を伴う筈なのに、俺と目があったシーナは、とても穏やかな笑みを浮かべていた。だから、俺も……今にも泣き崩れそうになるのを必死に堪え、彼女の想いに応えるように、精一杯の笑みを見せて……。


「────ごめんね、シーナ……ッ」


 その心臓部にある小さな塊を────力のままに、握り潰した・・・・・

 同時に。

 俺の視界は真っ黒に染まっていき、萎むように力を失っていくシーナを抱いたまま……その場で力尽きる。

 今度こそ、完全に意識を失っていく中……とても切ないようで、噛み締めるような声が、微かに聞こえたような気がした。




 ────あなたに会えて……私、幸せだったわ。ありがとう、ツムギ…………大好き。



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