5ー6 可能性、拓く



 勝てない……戦いの最中でそう直感した。

 力も、思想も、覚悟も、全てにおいて、オリスト第三皇女は俺を完全に上回っている……ただ一つ、俺の中に当初から潜んでいるおぞましい気配・・・・・・・を除けば。

 『そいつ』に頼れば、或いは、第三皇女と互角に渡り合うことが出来るかも知れない。ただ、下手にそれに身を委ねれば、俺は、一生帰ってこれない……という危惧もあった。


 だから、俺は────第三皇女を、信じてみる・・・・・ことにしたのだ。


 あの第三皇女ならば、俺の中に潜む化け物を打ち破ってくれる筈だ、と。彼女の、シーナや『傷』に対する執念は相当のものだ。それと同等格の存在が目の前に現れれば、彼女はそちらに釘付けにならざるを得なくなる。そうすれば、その一瞬を突いて、彼女を出し抜くことが出来るのではないか、と。

 彼女を心理的に利用することになるのは気が引けたが……結果、作戦は成功。

 これまで『オド』を立て続けに喰らっていた影響で、剥離しかけていた非人の力を脱ぎ捨てるのは、思いの外簡単だったが……その反動は、途轍もなく大きかった。

 そもそも、台樹よって生き長らえていたも同然な俺がその力を脱ぎ捨てるのは、自殺行為にも等しい。

 実際その瞬間には、怠惰感と激痛が全身に襲い掛かり、一歩足を踏み出しただけで転倒してしまいそうだったのだから。

 だが、全力で歯を食いしばって、全身全霊で走った。

 そして、シーナの閉じ込められている結界の前に辿り着くと……自分の中に残っていた一割にも満たない小さな小さな非人の力を振り絞って、辛うじて結界に穴を開け、転がり込むように中へ突入することに成功したのだ。


「は……ッ!は……ッ!よう、やく……ここまで、来れた……ッ…………シーナっ、シーナは……?」


 あの第三皇女を出し抜いて、ようやく結界の中に辿り着いたものの……身体に力が入らず、倒れたまま動けない。

 何とかその場で寝返りを打ち、床を這うようにして顔を上げる。

 すると、そこには……。


「────ツムギ」


 らしくもない悲しげな表情を浮かべるシーナが、目の前で両膝をついて、俺のことを見下ろしていた。

 相変わらず、その顔から足先まで、今にも砕け散りそうな位にヒビか走っているが……どうやら、タイムリミットには、間に合ったようだ。


(よかった……)


 心の中でそう安堵の声を漏らして項垂れてから、彼女の手を借りて、壁に背を預けて座らせてもらう。

 その間、彼女はずっと押し黙っていて、目の前で膝立ちなっても同じ表情のまま、俺の顔をジッと見つめ続けている。


「シーナ……?」


 何だか少し不安になって恐る恐る声を掛けると……不意に彼女は、握り拳を作って俺の胸をポカポカと叩いてきた。


「…………バカ……バカっ、バカバカバカっ……ツムギの、バカ……っ!」

「えっ、いやっ、あの、ちょっと、シーナ、痛いっ、痛いって……」

「死のうと、思っていたのに……!これで終わらせようと、思っていたのに……!どうして、来ちゃったの……!?私っ、望んでいなかったわ……!ツムギに、助けなんてお願いしていなかった……!それなのに……!どうしてっ、どうしてっ、どうして……っ!!」

「……」

「…………分からないわッ……どうして、そんなになってまで……来てくれたのッ……?ツムギだけは……あなただけは、せめて、この瞬間だけでも、巻き込みたくなかった…………それなのに、どうして……ッ?」


 ひび割れた身体から破片がボロボロと零れ落ちていくのも構わず、震えた声を絞り出しながら、何度も俺の胸を叩く。

 その動作がまるで、自分なんかの事よりも、俺の身を案じて怒ってくれているみたいで……お互いに絶体絶命な状況なのに、不思議と心を温かくさせてくれる。

 俺は、そんなシーナの頭に手を当てて、優しく彼女を胸に引き寄せた。


「……ぁっ…………ツ、ムギ……?」


 小さく驚きの声を上げるシーナと密着して、その耳元でこう囁き掛ける。


「……ごめん、シーナ。俺、さ。シーナの望むことをしてあげたいって、そう言ったんだけど……もう、辞めるね」

「……どう、して……?」

「────シーナと、一緒にいたいから」

「……ッ!」

「だから、死にたいだとか、終わりにしたいだとか……そんなこと、言わないでほしい。本当は、こんな状況で言うべきじゃないのは分かっている……だけど、それだけは、シーナにちゃんと伝えておきたかった。ごめん……ごめんね、自分勝手なことばっかして……」


 実際、もう喋ること自体が相当ツラかった。

 もっと声を大にして主張したいし、言葉にしたい想いは数え切れない程に心の中で渦巻いている。それを、少しでも伝える為だけに、こうして彼女の元にやって来たのだから。

 すると、少しの間だけ俺の胸に顔を埋めて無言でいたシーナが、弱々しい力で俺の胸元をギュッと掴み、ポツリポツリと、絞り出すように答えた。


「………………ずるい……そんなの、ずるいわ、ツムギ……」

「シーナ……?」

「……わたし、だって……わたしだって、もっとずっと前から……っ!」


 不意に顔を上げて、何かを口にしようとした時……ピシィッと鋭い音を立てて、シーナの顔面に深い亀裂が走り、その口を苦痛の悲鳴で遮る。


「ぅ、ぁ……ッ!」

「……もう、時間がない……シーナ。その身体の中にある『傷』を、俺に移して。そうすれば、少なくともシーナの身体が崩れることは防げるはず……」


 俺が慌ててそう提案するも……彼女は顔を苦痛で歪めつつも、小さく首を横に振った。


「……あなたの気持ちは嬉しいわ。でも……それは、ダメ。確かに、この瞬間を防ぐことは出来るかも知れないけれど、結局、同じことの繰り返しになっちゃうわ。それに……あなたに、私と同じ苦しみを味わって欲しくはないもの」

「でも……」


 馬鹿か、俺は……少し考えれば、分かることだ。

 ここまで、自らの身を犠牲にして『傷』を抑え続けてきたシーナが、今更、誰かにそれを押し付けて逃げ出そうとする訳がない。彼女は、そういう人間だ。

 だとしたら……折角、こうして想いを伝えられたのに、結局のところ何も変えられないのか……そう思うのは、勝手なのだろうか。

 到達点には、辿り着いた。だが、その先には何も無い。そんな虚無感と自らの無力感を悔やみ、唇を噛んで言葉を失っていると……ふと、首を傾げたシーナが、こう問い掛けてくる。


「…………ちょっと待って、ツムギ。どうして、私の『傷』を、あなたに移せると思ったの?」

「え……?いや、だってその『傷』って、事象と同じモノでしょ……?全く同じって訳じゃないけれど……でも、うん、すごく似てる気がしたから……まぁ、ただのなんだけど……」









 不思議な感覚だった。

 まるで、自分の頭の中に、外側から知識を押し込められたような感覚。

 だけど、それは不快なものではなくて……欠けていたピースが、隙間なくピッタリと填まったかのようだった。

 それを、見えない所から実現してくれた人がいる。

 力を貸してくれるの・・・・・・・・・?という問いに対して、『彼女』は……元のあるべき・・・・・・形に戻っただけだ・・・・・・・・と、それだけ答えていた。


「……事象の流れ……非人……『傷』……」


 自分一人で、『傷』を抱えて、孤独に死んでいく……それだけを考えて、私は生きてきた。だからこそ、思い付きもしなかったのかも知れない……。


 ────生きる為に戦う・・・・・・・、なんて。


 そんな思考が芽生えた中で、これまで『彼女』が蓄積し、洗練され続けてきた知識とが合わさった時……突如、八方塞がりだった闇の中に、一筋の光が灯った。


「────いける、かも知れない……」

「え……?いけるって、何が……?」


 ただ、それはまだ淡い朧気な光だ……辿っていくには、まだまだ頼り甲斐が無さ過ぎる。

 だが……違う、そうではない。

 例えそれが、小さな小さな可能性だったとしても……私はもう、立ち止まる訳にはいかないのだ。

 私が、シーナとして、決して諦めら・・・・・・れない理由・・・・・を……彼は、その手で与えてくれたのだから。


「……ツムギ。私はこれまで、あなたから色々な助けを貰ってきたわ。だから、今更こんなこと、図々しいだけかも知れない……」

「シーナ……?」

「だけど。どうか、もう一度、だけでいい……もう一度だけ────私と一緒に、『傷』と戦って下さい」


 拒否されたらどうしよう、と……軽蔑されるのはイヤだな、と……こんな状況なのにも関わらず、今まで考えたこともない不安がどうしようもなく頭をよぎってきた。

 今、私は……ツムギだけを見ている。

 ただそれだけなのに、はち切れそうな位に胸が鳴り響き、今にも、ヒビだらけの身体が崩れてしまいそうだった。

 だからこそ。


「────任せろ。俺で良ければ、幾らでも手を貸すよ」


 彼も、本当はツライ筈なのに……本当は苦しい筈なのに……。 

 ツムギが自身の胸に拳を当てて、小さく笑みを浮かべながらそう言ってくれた時は……本当の意味で、心が、救われたような気がしたのだ。

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