5ー3 守りたかったモノ
やほ〜っ、イオ〜っ。
うはぁ、これは、何というか……こっぴどくやられちゃっているねぇ。
(……ビエラ……やっぱり、生きていた……)
まぁ、あの時は丁度マスターが別の小世界にお出掛けしていたから。お蔭様で死なずに済んだっしょ。
ところで、イオさぁ。正直そいつ、相手が悪いっしょ?セデ村の人たちは無事だよ、もう大丈夫。要件が済んだんなら、もう辞めておけば?
(今から────『
は、はぁっ!?
ちょっと待ってってばイオ!?それを使ったら、どうなるか分かってんの!?
今度こそ、あんたは不死身の身体じゃなくなる……下手をしたら────本当に
(……覚悟の、上……だけど…………イオの、役割は……きっと────まだ、終わっていない、から……)
………………。
…………。
……。
〘
『黒素』を取り込んだロラント=エクリングが長い修練の元に見出だした、[黒魔法]の到達点の一つ、[
その能力とは……〈先見の明〉によって露見された未来を、現実に具現化する力だ。
それを用いることで、ロラントは相対する敵対者に対して、あらゆる過程をすっ飛ばして、未来的に
つまり、避けることも、防ぐことも、絶対に不可能…………である、筈なのだ。
「……何なんだ、貴様は……どうして、全身串刺しになりながら生きている……?」
そう問い掛けるロラントの眼前には……まるで針山のような身体になりながらも、フラフラと立ち上がるイオの姿があった。
精神力だとか、頑強さだとか、そんな話ではない。
既に、心臓を貫かれ、その鼓動は止まっている筈だ……立ち上がる筈がない……動ける筈がない……そもそも、生きている筈がないのに……何故?
「……は……ぁッ…………この、程度……いま、さら……」
イオの声は、今にも大気に消え入りそうな程に弱々しい。死んでいないことは驚いたが、その身体は満身創痍だった。
一度、敵として対峙した以上……例えどれだけ弱っていようが、一切の手を抜いてやるつもりはない。
「……なら、幾度でも串刺しにしてやる。貴様の精神が燃え尽きるまでな……ッ!」
「ぁっ……はぁッ─────【我、誓約の名の元に、我が身を文献に捧げる】……」
「……!何だ、それは……?一体、何のつもりだ……?」
突如、まるで人が変わったようにイオが流暢に唱え始めた文言に、ロラントは眉を潜めてから、即座に対応に移る。
次に狙ったのは、イオの喉。
最早逃げようともしない彼女を狙うのは容易く、その華奢な首は、瞬く間に〘未来刃〙で串刺しになった。
しかし。
「ご、ォ……ッ!?ォ……ぁ……【我が身は数え言葉、即ち、我が言霊は歴史を記す】……」
「なに……!?今、間違いなく喉を貫いた筈だぞ……何故だ……!?」
不自然な程に止まらない文言を前に、次第に、ロラントの中にも焦りが芽生え始める。
こうなれば……それを発するイオそのものを、この場から塵一つ残さずに消し去るしかない。
そう決定付けたロミアの襲撃は熾烈を極めた。
足の先から、脚、腰、腹、胸、首、顔、頭の先に至るまで……幾千本もの槍が、隙間なく、イオの身体を削り落としていく。
その渦中にありながらも、イオの文言は……一切途切れることなく、結句にまで至った。
「【今、その忌まわしき意義を晒し、その豪勇たる真意を顕せ────我が名は、〘
その時、イオの目の前に『8』の文字が、立体的に浮かび上がった。
彼女は辛うじて残っていた片腕を伸ばして、それを手で包み込み────一気に、握り潰す。
ガラスが割れるような音と共に、『8』の文字は砕け散り……その破片は、彼女の周囲を旋回してから、身体の内部へと浸透していく。
「ぐ……!?なん、だ……!?」
動揺に暮れるロラントの前で、イオの身体から目映い光が漏れ始め、その輝きが徐々に強くなっていくと……瞬間、彼女を貫いていた全ての槍が、一気に弾け飛んだ。
まるで殻を破り捨てたように、槍の山から姿を現したのは……顔から足先までの全身に、見たこともない文字がビッシリと埋め尽くされた、イオの姿だった。
それは、天僕やコクモノとも異なる、得体の知れない存在……その頭角を現したイオは、不気味で、何処か儚げな視線をロラントへと向ける。
「自分が、忌々しいのは……イオも、同じ……」
「なに……?」
「……だから……来い、ロラント=エクリング…………イオの、全部を使って……お前の、全部……この身で、受け止めて、やる……!」
「……!」
……。
…………。
………………。
実質、『主なる空』に捨てられた時点で、私の命運は決まったも同然だった。
この黒い翼が示すのは堕天であり、空を飛ぶ権利が失われる。つまり、生涯において、使い物にならない『役立たず』の烙印を押されたことを、意味している。
そんな烙印を背負って生きながらえるくらいなら……いっそ、死んだ方がマシだ。
外界に落ちてから、一体、何度そう思ったことか分からない。
それを思い留まらせてくれたのが、かのオリスト第三皇女様だった。
────泣いているのか、ロラント?
それは、雨が降っていた日のこと。
周りの人間とはソリが合わず、自分の境遇に苦しみながら、それを相談する相手もおらずに、街の裏路地で一人縮こまって泣いていたのを、偶々あのお方に見られてしまった。
元天僕として、それ以前に一人の男として……こんな情けない姿、誰にも見られたくなかったが……既に精神的に参っていた私は、ポツリポツリと、自分の心境を第三皇女様に話していたのだ。
あのお方は、高貴な立場にありながら私の隣の地べた座り、静かに耳を傾けていた。
すると、やがて……。
────雨は、嫌いか?
そう問い掛けてくるのに対して、私は即座に嫌いだと答えた。
外界に恵みをもたらすとされる雨は……私にとっては、空からの侮蔑を受けているも同然の感覚だったから。
それを聞いた第三皇女様は、その場で立ち上がって屋根の外に出ると……雨に身体を晒し、自身の両手を空へと向けながら、こう返してくる。
────あぁ。私も、嫌いだ。
そして、第三皇女様が空高く掲げた両手を横に開くと────瞬間、空が勢いよく縦に裂け、目映いまでの太陽と、快晴の大空がそこに広がったのだ。
驚いて唖然とする私の前で振り返り、雨の雫で濡れた厳格な顔つきは……とても勇ましく、何処か神々しさすら感じた。
────烙印などという飾り程度で、お前の価値は到底測れるモノではない。
────『役立たず』の烙印が嫌だと言うなら、むしろ、それを堂々と振りかざしてやれるくらいに強くなれ。
────その道が雨に濡れ、歩み進むのがツラくなってしまった時は……。
────私がいつでも、この空を晴らし、お前のことを照らしてやる。
そう言って差し出された手を、私は顔を涙でぐしゃぐしゃにしながら掴み取った。
感謝と、尊敬と、崇拝の意味を込めて。
そして、誓ったのだ……例えどれだけ汚れた身に陥ろうとも、このお方の元に、私の生涯を捧げて仕えてみせる、と。
………………。
…………。
……。
あの時と、似ている。
私という存在に正面から向き合い、まるで天に昇るかのような開放感を与えてくれる者。
それを、まさか……敵対勢力でもあるユニスト協界の人間から与えられることになるだなんて……考えもしなかった。
「…………受けて立とう、ギルドメイド。他の者は、もうどうでもいい…………ぎッ、ぎぎぎッ、ぉああァァァァァァぁぁぁぁぁぁぁ……ッ!!」
背中の黒く変色した翼に、全神経を集中させる。
飛ぶ力は損なわれ硬直し、片翼だけしか残っていないが……関係ない。
途轍もない激痛と違和感を死ぬ気で堪え、根本から、羽先まで、意識を張り巡らせて────地面から、羽撃く。
「……あ……っ」
気付けば、私はギルドメイドを遠く下に眺めていた。
全身のバランスは不安定ではあるが、依然として問題はない。
────飛べている。
その事実だけで、充分。他の支障など、些細な問題にしかならなかった。
「貴様だけは、『へブロス』の名にかけて────この手で、討ち滅ぼしてくれる……ッ!!」
翼として機能したことで、その羽根の意義も大きく変わった。
手のひらに乗せられた黒い羽根を一度強く握りしめると、手の中で一本の[黒槍]に変貌。
私と一心同体のその槍は、私の認識のままに、自由自在に姿を変形させることが出来る。そこに、私の《先見の利》にまで補正がかかり……その命中率は、確固たるものとなる。
「────〘
確実にやれるという確信と、どこまでも込み上げてくる力……それらをこの一本に集中させて、絶対不可避の槍を
終わりだ。
心の中でそう呟き、一秒後に死ぬ運命に当たるイオを見下ろしていたが……。
「……」
槍は、イオの少し右側の地面に衝突。
岩盤を抉り、地響きと共に砂埃が舞い上がり、その渦中に立つイオは、微動だにせず私のことを睨み上げている。
今、何が起きた……?
「────
「未来は……最初から、確定して、ない……人が、踏みしめた、一歩……それが、未来に、成る……!」
今の一瞬で、イオが
その正体は分からないが……槍自体が完全に消失した訳ではない以上、彼女にとってもこれが精一杯である筈だ。
つまり、勝機はある。
「ならば、私がその未来と成ろう。貴様を、過去に置き去りにしてな」
「……上等……!」
そこから先の戦いは、熾烈を極めた。
イオは地面に刺さった数多の武器を駆使し、瞬間移動で、空に飛んでいる私の死角を確実に狙ってくる。
一秒につき、数十回以上の襲撃速度だ。
そのおぞましいまでの襲撃を、私は〈先見の明〉で確実に弾いて、弾いて、弾き返し……コンマ一秒の隙があれば、〘未来刃〙を未来から飛ばし、絶対不可避の一撃を狙っていく。
しかし、ことごとくが
確実に当たる筈なのに、どうしても決定打にならない。
(あぁ、まったく、一瞬の油断も出来ない…………だが……ここまで心を満たせてくれる戦いを、させてくれるとはな……)
今、私は第三皇女様の為に
一撃一撃、攻撃が交わる度に、自分の存在意義を証明しているようで……とても、とても心地がいい。
願わくば、叶うならば……いましばらく、このまま戦いを続けていたい。この開放感を、いつまでも堪能していたい。
「はぁッ、はぁッ……どうした?息がッ、上がっているぞ?」
「ふッ、ふッ……それは……あなたも、同じ……ッ」
「ならッ、簡単に倒れてくれるなッ?まだッ、私は…………ゴッ、ふ……ッ!?」
あぁ、せめて、今だけは忘れられたら良かったのに……もう目の前まで、
「…………ばか……ッ」
戦いの最中、ロラントが勢い良く黒い血を吐き出した。
戦闘によるダメージではない。それに関して言えば、彼よりも戦闘能力が低いイオの方が、むしろ損傷は大きかった。
そう、彼は……とうの昔に、限界を越えていたのだ。
あの血の色……恐らく、『黒素』を自らの身体に取り込んだことが、彼の身体を蝕む要因となったのだろう。
「ぁッ、ォッ……はッ……遂に来てしまった、かッ……よりによってッ……こんな時に……ッ……はッ、はッ……」
「……やっぱり……
「…………第三皇女様はッ、反対していたがなッ……『天僕』に『黒素』を用いればッ、どんな反応を起こすかッ、分からないと……ッ」
恐らく、『台空』から落とされた時には、既に瀕死寸前の状態だったのだろう。そこでロラントは第三皇女の力となる為、『黒素』を取り込んで延命することを決めた……自らの身を危険に晒すことも厭わずに。
その結果、悪い方向へ傾いてしまった。
確かに、身体に『黒素』を取り入れることで、一時的に爆発的な力を得ることが出来たのかも知れない。
だが、その代償は……あまりにも重かった。
恐らく、どのような処置を施したところで、もう彼の身体は……。
「はッ……はぁッ………………
「……………………(コクッ)」
第三皇女がこの戦いを最期にするつもりなのに倣い、ロラントも最期のつもりで、この戦いに臨んでいる。
それが、分かってしまった。
分かってしまったからこそ……イオは、自らを懸けて、彼女と戦うことを決めたのだ。
それ以外に方法は無いと、そう思ったからだ────ロラント=エクリングという存在を、この手で『守る』為には。
「……………」
「……………」
互いに武器を携え、無言のまま、相手から一時も目を離さずに、対峙。
もう、時間も気力も残されていない……次の一撃が最後、それで、勝敗が決まる。
そして。
「────これで……ッ!!」
「────終わりだッ!!」
瞬間移動、飛行移動……それぞれが持てる限りの全ての力を尽くして、最後の一撃を振るう。
一発の衝突音と、一発の落下音。
そこから先は、ただただ静寂……即ち、両者の間に決着の時が訪れた。
「…………ゴッ……ボ……ッ!」
先に膝を着いたのは、今まで以上に激しい吐血をしたロラント。
それは、身体と精神の限界を越え、もう二度と立ち上がれないのことを示している。
そして、彼の手にしていた〘真器〙は……。
────イオの胸を、無惨に貫いていた。
イオの振るった剣は見事にへし折れ、その破片は近くの地面に転がっている。
既に使い古された武器を利用したのが仇となったなか……いいや、そうではない。きっと、新品の武器を使っていたとしても、同じ様にへし折られていたことだろう。
ロラント=エクリングは……イオよりも、格段に強い存在なのだから。
「……解せん、な……貴様は、何故……そんなに、なってまで、戦う……?」
ロラントは膝をついたまま、直立不動のイオに向かって、途切れ途切れな問いを投げ掛けてくる。
胸の真ん中から全身に拡散していく激痛を全力で堪えながら、短く息を吐き、カタカタと震える声で、今も鮮明に見えるビジョンを口にした。
「ヒュッ…………未来が、見えた……一つの、大きな大樹の上で……カフッ…………沢山の人達が、楽しそうに笑う……そんな、未来が…………ヒュッ」
「……あの、台樹の非人か……なるほど、な……私では、理解出来ようもないのも納得だ……」
「ケホッ…………あなたも、自分の、幸せ……願う、権利は、ある……」
「……ふん、そんなもの……私に、ある訳が、なかろう……」
少しずつ、少しずつだが、ロラントの声が小さくなっていく。もう喋ることすら、相当ツラくなっているのだろう。
自身の命まで懸けて、第三皇女に尽くしてきたロラントには、もはや、自分の幸せなんて、もう考えられないのかも知れない。
だけど、イオのビジョンの中には、第三皇女の隣で優しい笑みを浮かべるロラントの姿もあって…………やはりそれは、決して有り得ない光景なのだろうか。
「…………ゲホッ……だが……もしも……もしも、そんな未来が……許されるのならば……」
「……!」
苦しそうな咳払いと共に、そう切り出したロラントは、小刻みに震える手を懸命に空へと伸ばしながら……今まで聞いたこともないくらい、穏やかな声でこう呟く。
まるで、届かないことが分かっている未来を、思い焦がれるかのように。
「せめて、一度、だけでも…………あの、晴れ渡る、空の下で……シヴェラーナ様と……共に、過ごしてみたかった…………な…………」
そして、ロラントの言葉がピタリと止むと……空に向けた彼の指先から、その全身が、少しずつ黒い塵となって、虚空へと消えていく。
ただ、その身が消滅していく時でも……彼は倒れない。
毅然とした佇まいで、まるで消滅すら受け入れるかのように……最期の最期まで、その姿が完全に消えて無くなるまで、威風堂々とした姿を見せられてしまった。
彼がやった行為は、到底許されることではない。
だが、その信念と生き方は……何よりも、勇ましい。
だから、どうか安らかに……ロラント=エクリング。その誇り高き名を、イオは、決して忘れないから。
……。
…………。
………………。
……じゃあ、イオは……もう、死んでいるの……?
……そっ、か…………別に、謝らなくて、いい……自分でも、何となく、分かってた、から……。
…………ぅっ、うぅぅぅっ……ど、して……イオ、だけ……みんな……お父、さん……お母さ、ん……さみしいッ……さみし、い、よ……ッ……う、ぇぇ……ッ……。
────おっ、あんたがマスターの言っていた、イオって子?
……だ、れ……?
────あたしは、ビエラ。これから、同じ境遇の仲間としてヨロシクっしょ、イオ!
………………。
…………。
……。
「……お疲れさん。カッコよかったよ、イオ」
全てを見届けていたあたしは、前のめりに倒れそうになったイオの元に駆け寄り、その小さな身体を抱くようにして支える。
胸を槍が貫き、小刻みに震える彼女は、あたしの肩に顎を乗せたまま……酷く弱々しい声で、こう言った。
「…………ごめん、なさい……」
「ちょっとちょっと、なに謝ってんのさ?イオは、何も悪いことしてないじゃん?」
「……勝手な、こと、ばかり……ごめん、なさい……勝てなくて……ごめん、なさい……」
「もう、イイよ……もう謝らないで……?」
考えないようにしていた。
無理矢理そこから目を背けて、気付かないふりをしていた。
だが、イオが必死に絞り出している言葉を受けて……あたしは、嫌でも気付かされることになった。
これが、イオにとって────
「……イオ、幸せ、だった……マスターと、ビエラと、色んな仲間、出来て……幸せ、だった……」
「や、やめてよ、イオ……そんな、まるで、今生の別れみたいな、さ……っ」
こんな時に限って……都合のいい言葉が、何も出てこなかった。
言いたい事は、沢山ある……言わなきゃならない事は、沢山ある……ただ、一つだけ確実に言えることがある。
イオは、文字通りその身を懸けて────この場に居る全ての人々を救ったのだ。
あんなに、自分の存在に疑問を持っていた不器用な彼女が……今や、誰よりも誇り高い存在になったこと……ユニストの仲間たちも、マスターも、イオ自身も、きっと泣いて喜ぶ筈なのに……。
「……あとは、お願い、ビエラ……イオの、代わりに……世界を……どう、か……まもっ、て………………………」
「……イ、オ……?」
そして……イオは、静かに眠りについた。
それが、永遠に還らない物だと悟った時……あたしは、声も漏らさず静かに涙を溢し……その力無い小さな身体を、壊れないように、優しく優しく抱き締めるのだった。
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