5ー2 母



「母、ですか?」


 あぁ。このペデスタルの大地ってのは、『三元域』の一角、『母なる大地・イヴゥヌス』そのもので、ペデスタルの生きとし生ける者たちはかの母の上で平穏に生きていられる。

 あの『黒の地』もそうさ。あれは、俺たちコクモノがイヴゥヌスに受け入れられている証拠らしいぜ?


「……でも、台海の非人様と違って、気配も何も感じられませんけれど……本当に、存在するんでしょうか?」


 んなこと俺が知るかよ。

 もしかすると、今はただ居眠りしているだけだったりしてな。いっそのこと、こっちから大声張り上げて呼び掛けてやりゃぁ、ビックリして跳ね起きてくるかも知んねぇぞ?

 まぁ、もしもそうなったら……この小世界がどうなるのか分からねぇのが、ちょっと怖ぇけどな……。


「……神を、叩き起こす、ですか……」


 それはともかくよ、外からやって来た同胞と話すのは初めてなんだ。もっと俺たちに色々と話を聞かせてくれよ、キュロロ。

 まずは、あれだ……例の、樹海の非人の話だ!その非人の中で、今までどんな生活を送っていたんだ?


「あ、は、はい……!えっと、ですね……」






   ◆ ◆ ◆ ◆ ◆






 これまでは、あくまでも自然的に発生していた地震だった為、それに巻き込まれるかどうかは天命に任せるしかなかった。

 しかし、『それ』は違う。

 一発、身体が放り出されそうな巨大な地響きが鳴った後、大地から這い出るように姿を現したのは……全身が土と岩石で構成された、山のように大きい一体の巨人だった。

 「ドォォナッテェェンダァァァコリャァァッ!?」と、奇妙な雄叫びを発していたのは少し気に掛かるが……何か明確な自我を持って動き出した『それ』は、周囲に居る人々にとっては、恐怖と絶望の対象にしかならなかった。

 村一つを丸々踏み潰すであろう大きな足が大地を踏みしめれば、途轍もない地響きが世界を襲う。ひとたび雄叫びを上げれば、大地に亀裂が走り、強烈な突風があらゆる物を吹き飛ばす。

 『それ』は、まさに大地の怒りそのもの。

 いつまでも死を決めあぐねている人を、神が自ら粛清しようと降臨したのかも知れない、と……人々の恐怖は、最早計り知れない程に膨れ上がっていた。


「うわぁぁぁぁッ!!」

「もう、無理だっ……オシマイだぁぁ……ッ!」

「モタモタスンナッ!!早ク『船』二乗リ込メェッ!!」


 辛うじて生き残った人々が大慌てで乗り込むのは、台海の海岸線に停泊していた一隻の木造船。

 本来ならば、台海の存在もあって海に繰り出すことは無く、船なんて一隻も無かったのだが……リネットからの要請を受けていたイオが、万が一の為に用意したらしい。

 しかし。

 かの神の下僕が、そのような行為を認める訳がない。

 村人たちが次々に船舶に乗り込む中、「マテェェェェオレォォォツレテェェケェェェェッ!!」と、恐ろしい雄叫びを上げて地面を踏み鳴らしながら、あっという間に目の前まで急接近してきた。


「き、来た……ッ!!」


 人々には、神に抗う術は無い。

 このままでは、あの巨体に船を踏み潰されて……それで、終わりだ。

 ある者は恐怖に震え、ある者は絶望で途方に暮れ、ある者は身体を震わせながらただ祈りを捧げる……少なくとも、その巨人に抗おうとする者は、誰一人として存在していなかった。

 そして。

 海岸線にまで迫った巨人が大きく腕を上げ、それを振り下ろそうとした……その時だ。


「────はっはっはっ、少しギルドを空けてみれば、奇想天外なことが起きておられますなぁ」


 この小世界では見たことがない長身初老の男性が、両手では収まり切れない分厚い本を手に乗せ、群衆の真ん中に立っていた。

 彼はその本を手の上で開き、迫り来る巨人の拳に向けて掲げると……何者かに・・・・呼び掛けた・・・・・


「────ねじ伏せなさい、〘第二の忌音ビエラ〙」


 すると、まるでその呼び掛けに呼応するように、開いた頁から『大量の文字』が噴出。

 それは空中で一つに結集していき……黒いメイド服を身に纏った、一人の女性へと変化していった。

 あの時、ユニスト協界で塵となって消失した────『ビエラ』の姿に。


「〜〜〜〜ッッッッしょぉぉぉぉッッ!!」


 本から表れ出た彼女は巨人を見上げて、ニヤリと不敵な笑みを浮かべると……船体を蹴り上げて大きく飛翔。

 空中で身体を捻りながら大きく振り上がった、彼女の華奢な脚は────巨人の拳を蹴り飛ばした。


「なんっだぁぁぁぁぁぁぁぁッ!!?」

「嘘ダロ……!?巨人ヲ……蹴リ飛バシタッ!?」


 驚きの声を上げる人々を背に、男性は満足げに笑みを浮かべて頷くと、開かれた本を前に掲げて、もう一度それへと呼び掛ける。


「────繋ぎ付けなさい、〘第十九の忌音シャノン〙」


 本から噴出された文字の波は、巨人をすり抜けて小世界に降り立つと……再び、ビエラと同じ、黒いメイド服の少女に変化。

 彼女は、両腕に何重にも巻き付いた光り輝く鎖を手に握り、目の前の巨体へと投げ付けた。


「……お任せを、マイマスター」


 投擲された鎖は蛇のように宙を駆け、瞬く間に巨人に巻き付くと、シャノンはその端を片手で握り締めて力を加えた。

 そこへ、巨人の目と鼻の先にまで飛翔したビエラが、超人並みの脚力でその顔面を蹴っ飛ばす。

 その衝撃で巨人は地響きを立てて横転し、全身に巻き付いた鎖で、ガッチリと地面に固定されてしまった。


「シャノーンっ!ナイッスーっ!」

「な、ないっすー……?」


 陽気にハイタッチをして喜びを分かち合う二人を見ながら、男性は本を閉じる。

 そこで彼は何かに気付いたかのように顔を上げ、少し困惑した様子で苦笑いを浮かべると、唖然と立ち尽くす人々へと声を掛けた。


「おや?むむ、これは、もしや…………セデ村の皆様、今すぐに脱出を。どうやら────『母なる大地』が、大層ご立腹のご様子ですぞ」


 次の瞬間。

 まるで男性の言葉に呼応するように、巨人の周囲の地面が沈下。

 突如現れた大穴に落下して嵌った巨人を、触手のように蠢き始めた土の塊が締め付け、その巨大な全身を地中に引きずり込んでいく。

 その最中で、実は、人々の耳には届かない言い争いが起こっていたことは、誰も知りようがないだろう。




 ……。

 …………。

 ………………。





 ────テッッメェェェッッ!!なに勝手なことしでかしてんだゴラァァァアアァァァッッ!!


 ────ドワァァァァッ!!?ナンダァァッ!?


 ────世界が消滅するってのは許容範囲だから、まだ許せるけどなぁ……この『母』に代わって、世界を支配するってのはどういう了見だオラァァァァアアァァッ!!?


 ────ギャァァァァッ!!?オレタダマキコマレタダケナンデスケドォォォォッ!!?


 ────つべこべ言ってんじゃねェェェッ!!だったらそれを実行しているテメェも同罪だボケがァァァァアアァァァッ!!


 ────イヤァァァァァァッ!?ゴメンナサイィィィィィィィィィィッ!!





   ◆ ◆ ◆ ◆ ◆





 神になってみたいだと?


「誰しもさぁ、一度は思ったことあるんじゃなぁい?」


 ペデスタルには、『三元域』を始めとする神々が既に存在している。連中を押し退けて、自ら新たなる神になるのは、恐らく、容易なことではないぞ。


「困難、不可能……そういった事柄に挑戦することがさぁ、人類に与えられた至高の幸福でしょぉ?」


 忘れてはいないだろうが、私はこの世界を破壊し、完全に消滅させるつもりで動いている。

 その過程で、万が一にでも、お前が新たなる神になったとしたら……それは、私に対して反旗を翻した、と……そういう認識を持って構わないんだな?


「……あーはーっ。それもそれで面白いかもねぇ?」


 精々気を付けることだな、フィリ=オディス。

 そうやって何もかも分かっているようなつもりでいると……必ず、足元を掬われるぞ?

 


 


    ◆ ◆ ◆ ◆ ◆





 [白魔法・贋神現界がんしんげんかい]。

 それにより、『贋神』に変貌を遂げようとしたフィリ=オディスだったが……『母なる大地』が、目を冷ました瞬間、彼女は自らの違和感に気付いた。


「…………あ、れぇ……?なんでぇ……?どうしてぇ……?」


 それは、綻びだった。

 本当ならば隙間なく身体を守っている筈の鎧が、少しずつ朽ち落ちていくかのような……そんな全身を蝕んでいく感覚が、フィリの不安をかき立てる。

 同じ領域を支配する神は、ただの一体だけ。

 それが複数体存在したとしたら、強い方が君臨し続け、弱い方が淘汰されていくのは、自然の原理だ。

 まさか、その原理の元で……自分の存在が、『母』の存在と拮抗……いいや、むしろ押し負けている・・・・・・・とでもいうのだろうか、と。

 その不安は……的中した。


「────捉ッ、えた……ッ!!」

「な……ッ!!?」


 地を蹴り、跳び上がってきたキュロロが……フィリの襟首を掴み取り・・・・、そのまま地面に引きずり落としたのだ。

 『母』に存在的に圧倒されていたフィリは、神としての領域から無理矢理追い出され……既に、人間の姿に・・・・・戻り始めていた・・・・・・・

 それを、キュロロは見逃さなかった。


(そんな、馬鹿な……ッ!)


 だが、あまりにもタイミングが良すぎる。

 これまで気配すら感じさせなかった『母』が、何故このタイミングで、唐突に姿を現したのか。そんなこと、こちら側から、誰かが呼び掛けたりしない限りは絶対に有り得ない筈だ。

 そこまで考えたところで、フィリの思考は一つの結論に辿り着いた。


「ま、さかぁ……ッ!あの[旋律]……ッ!?」


 未だ推測の域を得ないが……まさか、先程キュロロが放っていた[旋律]……あれが、攻撃の為ではなかったとしたら?

 やたらめったらに放っていたように思えたのは……音を、『母』に届く波長に調整していたのだとしたら?

 彼女は、常人とは異なり、樹海の非人と言葉を交わすことが出来る希少な存在……つまり、彼女ならば可能なのかも知れない。


 例えば────その[旋律]で、『母』を呼び起こすことさえも。


「これで、ようやく……対等……」

「……!」

「もう、何処にも逃しません、フィリ=オディス……あなただけは、絶対に……ッ!!」


 地面に仰向けで倒れたフィリに、覆い被さる形で馬乗りになるキュロロが、自身の腕を[黒槍]に変形させ、凄まじい殺意を全身から滲み出している。

 『母』が世界に君臨している以上、もう神になることは不可能……つまり、今、キュロロがもたらす『旋律』に対応出来る、唯一の手段が失われた、ということだ。


(………………これはッ……ヤッ、バい……ッ!)


 もはや、状況は八方塞がり……逃げ場は、何処にも残されていない。

 「必ず、足元を掬われる」……第三皇女が、何かを見透かしたように口にした言葉が頭の中で反復するのを感じながら……目の前のキュロロが、その[黒槍]を振り下ろすと……。


 ────小世界に、痛々までの甲高い悲鳴が一つ、大きく響き渡るのだった。


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