5ー1 天なる怒りと神なる野望


「ぎ、ぃ……ッ!?」


 まただ。

 ロラントの完全なる死角から、後ろ首筋をめがけて振るったナイフが、彼女の振るった拳に軽々と防がれ……続けざまに顔面に拳を喰らってしまい、地面に叩き落とされた。

 先程から、ずっとだった。

 どれだけ速く、どれだけ手数を増やして、彼女の死角から襲い掛かろうが……まるで、何もかも丸見えと言わんばかりに、全てを防がれてしまう。


「ふむ。それは、俗に言う〈瞬間移動〉、というやつか?確かに速く感じるが……私にとって、脅威と呼ぶにはまだ足りん」


 〈瞬間移動〉。

 イオがあらゆる小世界を渡ることが出来るのは、この〈特性〉があるからだ。

 予め定められた座標を目印にして、一瞬の内に、自分の身体をその目印へと飛ばす能力。それを活用すれば、戦いの場においても、一瞬で相手の死角に回り込み、そこを突くことが出来る……はずだったのだが。


「……ペッ……口の中、切った……」


 イオは、口に溜まった血を吐き出しながら、余裕綽々と立つロラントを睨み上げる。

 異常な程の反射神経?

 いいや、それだけでは説明がつかない。

 こちらが〈瞬間移動〉で跳び、ナイフを振るうまでの時間は、コンマ一秒にも満たない。その間、何処から狙われているのか分からなくては、そもそも、防御態勢を取ることすら困難であるはず。あんな視界が悪そうな外見をしていれば、尚更だろう。

 つまり。

 それを可能とするには……予め何処から攻撃が来るのか分かっていなければならない、というわけだ。


「つまり……お前は、ハッキリと、見えている・・・・・……動体視力、反射神経、ではなく────『未来を見る力』、で」

「……喚きもせず、慌てもせずに、私の〈特性〉を見抜くか。ギルドメイド……厄介なものよ」

「……ども……」


 なんて、平静を装ってみるが……気分こそ、最悪だった。

 まさに、〈先見の明〉。その優れた判断力と洞察力により、事が起こる前にそれを見抜く力。

 ただ、ロラントのそれは最早、予言や未来予知と同次元だった。恐らく彼は、未来に起こる出来事を、ハッキリと情景として確実に読み取ることが出来るのだろう。

 そうなれば、こちらがどれだけ速く動こうが、彼はそれを鮮明に『先読み』が出来る為、まるで通用しない。

 未来を見越す〈先見の明〉……それはまさに、イオの〈瞬間移動〉に対する天敵も同然だった。


「……未来を、見れるなら……何故……滅亡を、避けようと、しない……?第三皇女は、未来を棄てた……人々を、見殺しにした…………なのに、慕う理由、ある……?」

「私は、第三皇女様に拾われた身だ。一族から見離されて途方に暮れていた、ゴミのような私を……あの人は、何も聞かずに受け入れてくれた。それで私がどれだけ救われたのか、貴様には分かるまい」

「……その第三皇女の、手で……私は、仲間を消された……世界も、崩壊し掛けている……その所業は、外道、以外の何者でも、ない……」

「…………外道……?貴様……あの崇高なるお方を……外道、だと……?」

「……!」


 刹那、ロラントを取り巻く気配が……激変した。

 全身から滲みて出ているそれは、怒りの感情だ。

 相手を殺そうとする時も、暴言を吐く時も、淡々とした態度で済ませてしまう彼が、今まで決して見せることがなかった感情。

 第三皇女に対する暴言……どうやらそれが、彼にとってのトリガーだったようだ。


「あのお人を貶めるような言葉は、例え、愚かな神どもが許したとしても……このロラント=エクリングだけは、何があっても────決して、許しはしないッ」


 そう宣言した、次の瞬間。

 ロラントを覆う包帯が、モゾモゾと蠢いたと思ったら……まるで殻を破るように、内側から一気に弾け飛んだ。

 破れた包帯の中から姿を現したのは、一人の長身痩躯な男性。

 ただ、それは決して容顔美麗という訳ではなく……元の白い顔面の大部分が、真っ黒な痣で侵食されていた。

 そして、何より目を引くのは……彼の背中に生えている、大きな『黒い翼』。左側の翼は、何かの衝撃で損傷したのか、半分程壊れていたが……その存在感たるや、あの第三皇女にも引けを取らないと言えるだろう。


「……お前……一体、何者……?」


 翼から溢れ落ちた黒い羽根が、宙を舞い踊る中、イオは目を見張ってロラントに問い掛ける。

 彼は、既に疲労困憊した様子で息を荒くしながら、自らの素性を名乗った。


「はーッ、はーッ……私は、かの台空の非人────『主なる空・ロ=ワ』より落とされた、『天僕てんぼく』と呼ばれる者……」

「……『天僕てんぼく』……!?」


 噂に聞いたことがある。

 ペデスタルの上方に広がる大空よりも、更に上……台空の非人『ロ=ワ』が領有する領域には、翼を持った人間が存在している、と。

 ただ、これまでその姿を目撃した者は誰一人として居ない為、ただのおとぎ話だとされていたが……まさか、本当に存在していただなんて……。


「『先を見越す力』は、『天僕』が持つ天性的な〈特性〉の一つ……あくまで、先を見る・・だけに限られた力に過ぎない。だが、第三皇女様より『黒』の知恵を授けられた時────私にも、私だけの《真器》が覚醒した」

「……じん、き……?」


 今度こそ、聞いたことがない単語に、眉を潜めて変貌したロラントを見据える。

 《じんき》、とやらが何なのかは不明だが……彼女が、何かをしようとしていることだけは直感的に察知していた。

 ならば、さっきと同じ様にその正体を見抜いて、即座に対策の一手を打つ。

 それしか、方法は無い。

 一方、短く息を吐いたロラントは、さて、と一言だけ口にしてから……イオを、視界に捉える。その目蓋を引き裂かんばかりに見開かれた瞳からは、一筋の赤い涙が零れ落ちていて……一瞬だけ、その指先がピクリと動いた。

 その時には。


 既に、イオは────何十本もの槍で、全身を串刺しにされていた。


「…………ァ…………ッ……?」


 何が起こったのか……認識すら出来ない。

 気付いた時には、もう、身体に槍が・・・・・刺さっていた・・・・・・。何処から飛んできたのか、どうやって飛んできたのか……全く分からないまま。

 辛うじて理解したのは……それが、致命傷だったこと。

 まるで記憶が蘇っていくように湧き上がってきた激痛に苛まれ、少しずつ、着実に、意識が身体から離れていった。


「〘牽引された未来刃アズ・トゥレイド〙────未来は、既に我が手にある。現実に囚われる貴様らに、最初から勝機などありはしない」







─※─※─※─※─※─※─※─※─※─







 樹海の非人から殺人を強要された時のこと。

 他者を殺すことに否定的になっていた彼女が考えたのは、どうすれば苦し・・・・・・・めずに殺せるか・・・・・・・、ということだった。

 記憶にこそ残っていなかったが……実験体であった当時から多くの死に直面していたキュロロは、人がどんな心理状態に陥ると死に至るのか、本能的に理解していた。

 人は、思い込みで簡単に死ぬ。

 つまり、死に至る時と同じ心理状態にしてしまえば、その人は死ぬ……という理屈だ。

 そこでキュロロが用いたのは、『音』。

 黒魔法の特性を活かして、人の神経を刺激する音の波を、独自の経験と直感で発声。それを一つの『旋律』として他者に聴かせることで、その人に穏やかな死を与えることに成功した。

 ただ、その旋律は自殺願望の強い人にしか、有効的な効果を発揮しないのだが……今、キュロロの記憶が偶発的に蘇ったことで、『旋律』の波長が確変。 


「すぅぅぅぅぅ…………………『死死死死死死死ィィイイィィィィィるるるルルルルァァァァァァアアァァァァァアアァァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!』」

「オ…………ッ!?」


 ────〘死誘曲しいんきょく第三番・痛響つうきょう〙。

 最早、その者の意志は関係ない。

 出来る限り苦しむように、可能な限り絶望するように……耳にした全ての者に対して、一方的な死を与える『旋律』へと変貌を遂げた。

 キュロロらしからぬ雄叫びと共に、辺りに鳴り響く不穏な『旋律』。

 そのまっ最中に立っていたフィリ=オディスは……。


「グキッ、ゴッ、ォ……ッ……!」


 全身の穴という穴から鮮血を撒き散らしながら、身体が内側から爆散し……。


 ────バラバラになって、絶命した。


 『旋律』の正体にいち早く気付いたフィリは、慌てて耳を塞いだが……『音』は、身体に浸透するように響く為、全くの無駄な労力だった訳だ。

 人を人だと思わない非道な魔法師の最期は、自らが生み出した殺人兵器とは……まさに、彼女らしい最期といえるのではないだろうか。


「……フーッ、フーッ……お父様、みなさん……仇は、取りました……これで……」

『───ア゛ハッ』

「……ッ!?」


 突如、まるで泥沼に石を落としたかのような、低く不気味な嗤い声が、一瞬だけ鼓膜を打ち、心臓が跳ねっ返りそうになる。

 それが何者なのかは、考えるまでもない。

 だが、その人物は目の前で鮮血と肉片を撒き散らして転がっている……もはや、喋るどころか、生きている筈がなかった。

 それなのに……この怪物みたいな恐ろしい声は、一体何処から聞こえてくるのか……?


『ァハッ、バラバラッ、身体ッ壊レヂャッダッ、ビャハッ、ァハッアハハハッ!』

「な、に……なにが、起きて……ッ?」

『人体ッデ脆弱ッダガッラッ、アダシッ、人体ヲッ捨デタッ。身体ッ、徹底的ニクジテッ、黒クッ黒ク黒ク黒ク黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒ッ黒ッッ黒ッッッ!!』

「……まさか……あなたもそうなんですか……?あなた自身も、私たちと同じ────『黒の被験体』だったんですか……!?」


 声の主……フィリ=オディスと思われる人物は、既に自らの身体をも実験の材料として使っていた。

 だが、違う。この世界で数多く産み出された、私たちのようなコクモノとは、決定的に何かが違う気がするのだ。

 いいや、そうではない……私は、知っている。

 姿形が見えないのに、嫌にハッキリと感じる存在感……まるで、別次元から語り掛けているかのような神秘さを思わせる特異的存在……思い当たる節は、一つしかなかった。

 今、彼女は────極めて、神に近い存在・・・・・・に成りかけている、と。


『人ハ皆、ッダヨォ?アダシハッ、ヲッ、解キ明カス為ッ、ニナッタッ。アァッ、アァァッ……感ジルッ、感ジルヨォ……ガ、アタシノ身体ニ染ミ込ンデ来ルゥ……アハッ、アハハハッ、アハーハーッ!』

「……?……?……?」


 言葉を重ねれば重ねる程に、その語りは流暢に、その存在感は大きく鮮明なモノとなってくる。

 何をしようとしているのかは微塵にも理解すら出来ないが、とにかく、放っておいたら危険だということだけは分かる……だが、何を、どうすればいい?


『アーッ、アーっ、あーっ、あ〜っ…………ふふっ、ありがとッ、ねぇ、キュロロちゃん。君のお蔭でッ、あたしはッ、限りなくッ真理・・に近付いたぁ』

「真理……?」


 もしも、全ての人類を『生み出す者』と『使う者』に分けたとしたら……『生み出す者』の比率は、極めて少ないだろう。

 フィリ=オディスは、紛れもなく『生み出す者』の内の一人。コクモノ、魔具、白魔法……常人では到底考えつかないような代物を、彼女はこれまで幾つも創り上げてきたのだから。

 そんな彼女が言葉にするからこそ、現実味を帯びてくるのだろう。例えそれが、どれだけ現実離れした結論だったとしても……。


『これならぁ、ペデスタルを牛耳る三元域をも支配してぇ────新たな世界の、唯一神・・・になれる』


 馬鹿げている。

 神を支配するならばまだしも、自らが、あの非人様方々と同等の存在になるだなんて……絶対にあり得ない話だ。

 だが、フィリならば、やりかねない・・・・・・

 どんな理屈で、どんな手段が働いているのか、もはや想像もつかないが……それを口にしたのが彼女である以上、冗談だと笑い飛ばすことは出来ない。

 それ故に、確信した。

 例えペデスタルが消滅しようが存続しようが、このフィリ=オディスという存在だけは────決して生かしておいてはならない、と。


「……ふざけないで下さい。この世界は、あなたの玩具なんかじゃない……私達は、あなたの都合の良い道具なんかじゃない……」

『あはっ?』

「その馬鹿げた理想を抱いたまま、死ねっ……すぅぅぅぅっ────『荒荒アアァぁぁッ!!』『起起オオァぁぁッ!!』『開開アアァぁぁッ!!』『呼呼ココォぉぉぉッ!!』」


 ありったけの[旋律]をやたらめったらに、放って、放って、放ちまくると……周囲の枝木は瞬く間に細切れとなり、地面にはヒビや亀裂が立て続けに広がっていく。

 [旋律]は、一つの暴風雨の如く荒れ狂い、辺り一帯を荒野と化した。

 逃げ場は無い。もしも、フィリがその詭弁で私を翻弄し、実は物陰に隠れていただけなのだとしたら……今ので、確実に死んでいる筈だ。


「はぁーッ!はぁーッ!けほっ!こ、これで……」

『────んねぇねぇ、なぁに一人で喚いちゃってんのかなぁ?』

「……!?」


 退屈そうなフィリの声が聞こえてきた時、ふと、違和感に気付いた・・・・・・・・

 左腕が、なにかおかしい……左腕の付け根が、萎んでいる……いいや、違う────捻れている・・・・・……?


「………ぁ……が……ッ!?」


 そこまで認識して、初めて……自分の腕を蝕む激痛に気付いた。

 自分の意志とは関係なく、勝手に動いた……そうしか言いようがない程に、自然に、何重にも、何重にも、左腕の付け根が捻れていたのだ。

 まるで人形の腕を、素手で捻じり取るような感覚で。


『なるほどぉ、こういう感じかぁ。今ぁ、この空間はあたしに成った・・・・・・・ぁ。その中の空間の一部である君はぁ、即ちあたしそのものぉ……あはーっ、何でも出来んじゃーんっ』

「……ッ……ッ…………ッ……!!」

『あはーはーッ!その諦めないって顔ぉ、やっぱりぃ、何度見てもゾクゾクするねぇ。イイよイイよぉ。だったらさぁ、あの時の実験の続きぃ、ここでやっちゃおっかぁ……この世界が終わるまで、ねぇ』

「……ッ!!」


 また、気付けば……私は宙で上下逆さまになっていて、限界までに広がった四肢を見えない何かでガッシリと拘束されていた。

 最早、勝つとか、抗うとか、そういう次元の話ではない。

 そもそも今の彼女に、人の身でありながら対峙すること自体が、無駄だったのかも知れない、と。

 ミシミシと、心の中に立っていた芯が音を立てて崩れ落ちそうになった時だ。

 突如、激しい地響きが世界を揺らした。


「ぅ、ぐ……ッ!?じ、地震……!?」

『あはーっ、どうやらあっち・・・の方も順調にいったみたいだなぁ。お誕生日おめでとぉ、新世界の……いんやぁ、あたしの新しい眷属ちゃぁん』

「眷、属……ッ?」

『この地には、既にが深く深く染み付いていたからさぁ。それを利用させて貰ったんだよぉ。かの“母なる大地・イヴゥヌス”に代わる、新たな神の一角としてねぇ』

「そ、ん……な……ッ」

『なんならぁ、キュロロちゃんもあたしの眷属にしてあげよっかぁ?その場合ぃ、一生このあたしの愛玩奴隷だけどねぇ?アハッ、アハハハハッッ!!』


 第三皇女の目論む世界消滅の影には、新世界創生を目論むフィリ=オディスの姿があった。

 このまま、事態が彼女たちの思惑通りに進んでしまえば……今度こそ、人類に抗う術は無くなってしまうかも知れない。

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