4ー6 世界に根を張る
瞬間────
ほんの数秒前の震災が嘘であったかのように、小世界そのものを揺るがしていた振動は止まり、静寂が戻ってきた。
代わりに、地面からは幾多の樹根が突き出ており、それがまるで布地を縫い合わせる糸のように、開いた亀裂を穴無く塞ぎ合わせていたのだ。
そして。
小世界の何処に居ても目の当たりにすることが出来る、一本の巨大な『大樹』が、空高くそびえ立っていた。
いち早く、小世界の異変に気付いたフィリ=オディスが、驚いた様子で周囲を見渡す。
「あ、れぇ……?これって、もしかしてぇ……崩壊が止まったぁ……?」
有り得ない現象だった。
第三皇女の『オド』の力は、確実にこの小世界を崩壊に貶めた筈だ。
防ぐ手段は、存在しない。
それこそ、例えば……小世界そのものを片手で支えられる位に強大な存在でなければ……。
「────もう大丈夫だよ、キュロロ」
気遣うような言葉と共に、キュロロの隣に姿を現したのは……一人の人物。
それが、答えだった。
その姿を見た瞬間に、フィリは事の状況を全て把握し、ニタリと笑みを浮かべる。
「あはーっ、だよねぇ?『オド』の力に匹敵してぇ、世界そのものに根を張り巡らせるなんて芸当はぁ……君にしか出来ないもんねぇ?」
「────『ツムギ』、さま……ッ」
彼は、目の前に散らばる白い灰……『樹海の非人』の亡骸をすくい上げ、それをギュッと握り締めると、キュロロに向かって小さく頭を下げた。
「……俺が、もう少し早く来れていたら……ごめん……」
「……(ふるふる)」
「あのぉ、横やりを入れちゃって悪いんだけどさぁ?今更来たところで何か変わるぅ?セデ村の方にはロラントくんが居るんだよぉ?例え世界の崩壊が避けられたとしてもぉ……今頃、彼が反乱因子を皆殺しにしちゃってるかもねぇ!あぁはーっ!」
傷口を抉るような挑発を意気揚々と発するフィリを前に、ツムギは少しだけ口をつぐむも、堂々とした目つきでこう返した。
「……確かに、駆け付けるには少し遅かったのかも知れない。だから、俺たちが来たんだよ……これ以上、あなたたちの好きにはさせない為に」
「……あはっ?」
……。
…………。
………………。
問いかけてみた。
あなたは、自分が村長として相応しいと思っているのか、と。
元々、リネットの父親が村長として村人たちを仕切っていたのだが、病により急逝。世界粉砕によって人々が死を実感し、生存の道を見失っていく中、幼いながらも村長として皆を導く役目を担うことになったらしい。
そんな彼女が、こちらの質問を聞くと、困った様な苦々しい笑みを浮かべながら、こう答えた。
「えっと……実は、私も未だによく分かっていないんですよ」
意外な答えだった。
確かに、他の小世界で出会ってきた長たちと比べても、リネットには未熟な点が多く見受けられる。
それでも、彼女が村長の座に居続けるのは、彼女の中に何らかの自負心があるのだと思っていたが……どうやら彼女は、自分自身でも相応しいのかどうなのかすら分からないまま村長を続けているらしい。
普通なら、途中で挫折してしまいそうなのに……何故、そんなことが出来るのだろうか。
「だけど、私の存在が皆の助けになるなら……私が先頭に立つことで、皆が安心してくれるなら……私は、村長として出来ることをしたい……ただ、それだけなんです」
理解は出来なかった。
しかし、何となく、何となくだが……彼女の、そうしたひたむきな姿勢が、周りの人々を認めさせているのではないかと、そんな感じがした。
相応しいか、適しているのか……こんな消極的な視線ではなくとも、人は役割に準ずることが出来る。リネットは、それを象徴するような人間だったのかも知れない。
そんな彼女が、彼女らしく、最後にイオにお願いしてきたことは……今も、イオの脳裏にしっかりと焼き付いていた。
「イオさん。ユニスト協界のイオさんに、セデ村の村長として……お願いがあります。もしも、私の身に何か起こったら、その時は……どうか、セデ村とコクモノの皆を、守ってあげて下さい」
………………。
…………。
……。
「う、ぅぁぁッ……そんなッ、そんなことって……ッ」
「村長ッ……エルミリオッ……ごめん、ごめ、ん……ッ!」
「クソッ……ナンデダッ、クソォォ……ッ」
雨が、降り始めていた。
その場に広がるのは、痛々しいまでの悲哀の声。
辛うじて生き残ったセデ村とコクモノの面々は、誰もが絶望と悲しみに打ちひしがれ、ボロボロと雨に濡れた涙を溢していた。
「……愚かな。長の身でありながら、誰よりも先に心中を計るとは……それは、
淡々と非難の言葉を浴びかせるロラントの眼前には、折り重なる形で倒れるリネットとエルミリオの姿。
彼女らにはロラントが振り下ろした一本の槍が突き立てられていて……。
────二人は既に、冷たく、変わり果てていた。
コクモノたちの身体を侵食していた『不治の病』……それは、『黒の地』より先に広がる『第四領域』から蔓延したと言われている正体不明の病。
第三皇女の手によって施されたのは、あくまで延命処置に過ぎず、彼らの身体が完治した訳ではなかったのだ。
「花嫁よ……貴様は、長失格だ。民を残し、自身だけは、この地獄から脱却しようとする、極悪非情な行為……せめてあの世で、その罪の重さに苛まれ続けるがいい」
放っておけば死に至るその病は、他者との濃厚接触によって感染のリスクが高まってしまう。
当然、リネットもそれを承知していた筈だ。
だが、その前にロラントの反感を買ってしまったエルミリオが殺されるのも、最早時間の問題だった。
だから、彼女は────命を捧げたのだ。
自分の愛した人を、孤独のまま死なせない為に……せめて自分だけは、彼と生涯を懸けて一つで在り続けると、その身で証明する為に。
リネットは、非情な人間なんかではない……誰かの為に、自分の身を張ることが出来る、強い人物だったのだと。
気付けば。
雨でぐしゃぐしゃになった地面を蹴り上げ、絶望に暮れる人々の間を、駆け出していた────彼女が命懸けで残して逝った遺志を、この身で証明する為に。
「────それを、強要したのは……お前たち、だ……」
「……ッ!?」
身に着けた黒いメイド服を棚引かせ、降りかかる雨を弾き飛ばしながら────殺意の飛び蹴りを、ロラントへと放つ。
彼は、足元に落ちていた剣を拾い上げて、それを防ぐが……即座に、粉砕。
勢いの止まらない飛び蹴りはそのままロラントを捉え、モロに、彼の顔面を蹴り飛ばした。
「……覚悟しろ、ロラント=エクリング……ユニストの、名に懸けて────お前はッ、イオが倒す……ッ!!」
─※─※─※─※─※─※─※─※─※─
「なるほどイオちゃん、かぁ…………んでぇ、ツムギくんはぁ?まさかぁ、シーナちゃんを助けに行くとか言うつもりじゃないよねぇ?」
「何かおかしいことでも?」
「あはーっ、残念だけどそれは無理かなぁ。『深み』と呼ばれているあの場所はぁ、ペデスタルから隔離している特別な領域でねぇ────今のところ、第三皇女様しか落ちる事が出来ないんだよぉ」
『深み』……世界の根底に根付く『永遠の不変地点』、とエァヨセが言っていた。
『それ』は、人の深層意識と同じく、その者自身が認識することすら出来ない、未知なる領域のことを指す。つまり、世界自身が認識すらしていない為、その領域への通り道は
『そこ』に辿り着く手段を明確に知る者は、ごく僅か。仮に、何らかの形で、無意識の内に『深み』へ落ちてしまった場合……そこから脱出することも、救出することも、ほぼ不可能だという。
何が起こるのか分からない……故に、
要は、通常ならば決して落ちることは出来ない正体不明な領域……それが、『深み』と呼ばれる場所だ。
「当初はそんなつもりは全く無かったけれど……まさか、シーナにプレゼントした『あれ』が、こんなところで役に立つなんてね」
「……?」
フィリの言う通り……『深み』とは、非人であろうとも容易に立ち入れない領域。加えて、第三皇女と同じ『深み』に落ちるなんて、その性質上、絶対的に不可能だった。
しかし。
多分、これまで俺は何度か、『深み』と呼ばれる場所に足を踏み入れたことがある。いいや、むしろ連れ込まれた、という表現が正確だろうか。
それに、あの時シーナに手渡したネックレスの気配は……今も尚、微かに、残り香のように感じ取っていた。
その経験と気配があれば─────おのずと、『深み』の存在を認知することが出来る筈だ、と。
「そう……きっと、
何かに導かれるように、目の前の虚空……何も無い空間に、手を浮かべる。
ネックレスの気配で、辿り着く場所はある程度検討がついている。あとは、その場所を頭の中で念じながら、指先でほじくり出すように、虚空を指でなぞり……指先が“何か”に引っ掛かったような感覚と共に────一気に、
次の瞬間。
俺の目の前に、布地を引き裂いたような不揃いの亀裂が走り、先が見えない真っ黒な穴が出現した。
「あはぁっ!?うっそぉっ!?なんでぇっ!?」
珍しく驚愕の声を上げるフィリを背に、ジッと穴を見つめていると……間違いなくその穴の先から、ネックレスの存在を感じた。
つまり、これが『深みへの道』。
この得体の知れない道の先に────シーナと、そして第三皇女が待ち構えている。
突入する準備は整った。あとは……。
「……」
俺はその穴に片足を掛けてから、項垂れたまま身動き一つ取らないキュロロへと、肩越しに視線を向ける。
それから、精一杯に思考を回転させながら、彼女へと自分なりの言葉を投げ掛けた。
「俺は、俺の生きたいように生きる。だから、キュロロ。あなたも、あなたの生きたように生きて。人が先に進めるのはきっと、それからだと思うから」
「……!」
台樹の非人は、『深み』へと落ちていった。
こちらに手を加えることも無く、何か残すことも無く……何もせずに、茫然自失のキュロロを置いて、この場から立ち去ってしまった。
突如現れた彼を警戒していたあたしは、その状況に安堵し、思わず歓喜の声を漏らす。
「……あはーっ、アハハハーっ!『もう大丈夫』って、そういうことかぁっ!ツムギ君は気が利くなぁ。あたしに、キュロロちゃんの面倒を見る機会を与えてくれたんだねぇ?」
「……」
警戒すべきなのは、台樹の非人ただ一人だった。
その彼が『深み』に落ちたとなれば、事が済むまで戻って来ることはないだろう。オマケに、彼が世界の崩壊を繋ぎ止めてくれたお蔭で……キュロロと戯れる猶予が増えたことになる。
ここから先はどう足掻いても、あたしの独壇場だ。
こうなれば徹底的、イジメて、痛めつけて、精神的に追い詰めて……二度と逆らえない身体にしてやる。
あの『黒の被験者』たちと同じ様に。
「それにしてもキュロロちゃんさぁ……さっきのは、ドラマチックな茶番劇だったよねぇ?私怨に駆られて、第三皇女を恨み、君をも利用した偽善者が今更、あはっ、命の尊さ、だってさぁ!アハハハっ!勘違いも甚だしいよねぇ!?もう最っ高に面白くて笑いが堪え切れなかったよぉ!」
「……黙って下さい」
「……は?」
なにか、妙に強烈な
ゆっくりと視線を下ろすと、フラフラと立ち上がるキュロロが……いつの間にやら、いつもの仮面を被っているのが目に入った。
彼女は、その仮面に指先を添えると……ピシッと音を立ててヒビ割れ始める。
「……これ以上、私の大切な人たちを、私の誇りを、その薄ら寒い嘲笑で汚すつもりなら……」
ヒビ割れた仮面が崩れて塵となっていくと、その塵が、彼女の頭頂部に二本の『捻れた角』を形作っていく。
そして、途轍もない殺意を滲み出し、まさに獣らしく鋭い眼光を発してこちらを睨み付けてきたのだ。
「────コロス」
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