4ー5 絶体絶命



 その時、エルミリオは初めて気付いた。

 追い込んでいたのではない……ただ、彼が行動を・・・・・起こしていなかった・・・・・・・・・だけ。

 つまり、これは形勢逆転なのではない……明確な力の差が、現実にハッキリと現れただけなのだ。


「バ……カ、ナ……」


 だからこそ、そう呟かざるを得なかったのかも知れない。

 それは、攻守が逆転してからほんの数十秒後の出来事だった。エルミリオの視線に映っているのは……意識を失い、地面に倒れているセデ村とコクモノの連合の者たち。

 立っているのは……『へブロス』のロラントだけだ。

 彼は真っ直ぐに、息も絶え絶えなエルミリオを見下ろし、セデ村の人々が使っていた槍の切っ先を、その頭に向けて突き付けている。

 これで終わりだと、言わんばかりに。


「……貴様らは、第三皇女殿下に反逆した……その愚かなる行為は、万死に値する。よって、今ここに────断罪の手を下そう」


 思い知らされた……勝てない、と。

 渾身の一斉攻撃でさえも、一対多の乱戦でさえも、ロラントには、指先一つ・・・・触れること・・・・・さえ出来なかった・・・・・・・・のだから。

 最早、勝利どころか抵抗さえも不可能……そう理解して絶望に暮れていたエルミリオは、それ以上足掻くこともせず、その切っ先の行く先だけを唖然と眺めていた。

 すると。


「────辞めてッ!!」


 何者かが、両手を広げて切っ先の前に割り込んでくる。

 その後ろ姿を目の当たりにした瞬間、エルミリオは即座に正気に返った。何故なら、そこに居たのは……およそ、こんな血みどろな戦いには似つかわしくない、純白の花嫁姿の人物だったからだ。


「リネッ、ト……ッ!?」

「……花嫁。庇い立てをしたところで、もう間もなく世界は終わる。そうやって必死な形相をするのも、最早無駄な労力に過ぎん」


 ロラントが呆れたように言いながら、その切っ先をリネットの首元に向ける。

 それを見たエルミリオは、傷付いた身体に鞭を打って上体を起こし、彼女の後ろ姿へと必死に呼び掛けようとした。


「逃ゲ、ロ……俺ニ、構ウナ……ッ!セメテッ、オ前、ダケデモ……ンムっ!?」

「ん……っ」


 しかし、その言葉は最後まで続かなかった。

 突如として、エルミリオの正面に向き直ったリネットが、その黒く大きな身体に身を任せて……なんの脈絡もなく、優しく、柔らかく、唇を重ね合わせたからだ。

 あまりにも思い切った行動に、無防備な背中を晒されたロラントでさえも、ピタリと動きを止める。

 今だけ、ほんの短いだけ構成されたのは……たった二人だけの時間。

 その中で、何処か名残惜しげにゆっくりと顔を離したリネットは、天を仰ぎながら瞳を閉じ、かの者へと誓いの言葉を述べ始める。


「第三皇女様、お聞き下さい……貴女様の名の元に、私は、永遠の愛を誓います」

「……!」


 第一印象は、とても情弱な人間の娘。

 セデ村の戦いの中では、気に掛ける価値もない弱小な存在に過ぎなかった。

 そんなリネットが、恐怖を押し殺し、涙ながらに、たった一人でアジトに乗り込んできて、話し合いを持ち掛けてきた時から……何かが変わっていったのかも知れない。

 人間とコクモノの因縁を断ち切りたい。それを実現する為に、互いに考えを巡らせて、共に行動を起こしていく内に……いつの間にか、お互いにとって無くてはならない存在になっていたのだ。


「良き時も悪き時も、富める時も貧しき時も、病める時も健やかなる時も……そして、この命が落ちる時も、私は永遠にあなたといる。それが、あなたの妻としての、私の在り方だから」


 だから、直ぐに分かった・・・・・・・

 リネットが、何故わざわざ危険を犯してまで『へブロス』の前に現れて、何故こんなことをし始めたのか……理解してしまった・・・・・・・・

 だとしたら、こんなに嬉しいことはない。

 人の上に立つには相応しくなかった彼女は、いつの間にか、人々を導き守る長として何よりも立派な存在になっていた。そんな彼女が、今、目の前に対面する人物として、自分を選んでくれた。

 その覚悟と、想いと、信念……それら全てを称えて、一人の男として応えなければならないのだろう。


「────幸セニスル……例エ、ココデ、全テガ終ワッタトシテモ……オ前ノコトハ、必ズ……」


 エルミリオが囁きかけるように口にした言葉を前に、リネットはとても嬉しそうに頬を染めながら……優しく、明るく微笑んだ。

 そして、互いの気持ちを分かち合い、ゆっくりと、一つに混じり合っていくように……もう一度、互いの身体を強く抱きしめ合う。


「愛している、エル」

「俺モダ、リネット…………アリガトウ」

「……ふふっ。うんっ、こちらこそ」


 人間とコクモノが育んだ、『愛』の形。

 それはきっと、結ばれる筈がない……いいや、成就してはならない『愛』だったのかも知れない。

 そう運命が決定づけられていたのだとしたら……この『愛』も最早、祝福されるべきなのかすらも分からない。

 だが、紛れもなく二人は幸福の中に居た。

 その事実は、例えどんな運命を辿っていたとしても覆ることは無い。

 だからこそ。


「貴様らの覚悟は、しかと見届けた。ならば────両者共に、華々しく死ね」


 ハッキリと言える。

 ここから先、例え、何が起きようとも────思い残すことは何も無い、と。





─※─※─※─※─※─※─※─※─※─





『ぐッ、ぁ、ぁ……ッ!?』


 この木々は、即ち非人そのもの。

 それが炎に焼かれているということは……非人そのものが、炎に焼かれているに等しい。

 いつもならば、更に木の数を増やして、逆に炎を押し潰して鎮火させる筈なのに……かのお方は、そうする気配を見せようとはしていなかった。 


「非人の残り滓風情が、同じ[白魔法]を使うあたしに敵うとでも思ったぁ?馬鹿だねぇ、どうしようもないお馬鹿ちゃんだねぇ。あはーはーっ……そのまま燃え尽きちゃえよぉ、バーカぁ」


 このままでは、炎に燃やし尽くされて、最期には……。

 あまりにも非情な未来が見えてしまった私は、慌てて立ち上がり、炎に見舞われる非人に駆寄ろうとする。


「非人、様……ッ!」

『……殺しが忌むべき行為だとするならば……それを生まれながらに宿命付けられた者は、存在してはならないのか……?』

「……え?」


 まるで、来るな、と言われたかのように、非人が呟き始めた言葉を耳にして、私は反射的に足を止めて口を噤む。

 目の前には燃え盛る木々……いいや、違う。

 炎に包まれながらも、勇ましく仁王立ちをして、大きな背中で語る……非人の後ろ姿が見えた気がしたからだ。


『……己の欲望がままに、無差別に殺しをしては、それはただの殺人鬼と変わらない……だが、この世界はあまりにも特殊だ……キサマのように、殺しを宿命付けられた者もいれば……殺されることを望む者もいる……』

「あ……っ」


 その時、私はようやく気付いたのだ。

 今この時間は、非人様から私への────最初で最後の教示である、と。


『……忘れるな……命とは、尊いモノだ……それを奪う行為は、必然的に、一生拭えない業を背負うということ…………キサマは、それを理解出来るまで成長した……そうだな、キュロロ・・・・……?』

「……ッ!!」


 非人様によって名付けられた、人としての、私の名前……。

 その時以来、一度も非人の口から聞くことがなかった名前……。

 それを耳にした瞬間……私の心の奥から、熱過ぎる感情が、一気に込み上げてきた。

 忘れていた……いいや、思わないようにしていたのかも知れない。

 例え道具も同然な扱いをされても……そこに愛情とか団欒が無かったとしても……私は、ずっと…………ずっと、この瞬間を、心の何処かで待ち望んでいたのに……。


『所詮、オレも私怨に駆られて、オマエという存在を利用しようとした悪人……然るべき罰が、今、ここで、オレに下された……ということだな……』


 きっと、最初からそのつもりだったのだ。

 いつ消えてもおかしくない程に弱ってしまった存在を引き摺って私を庇い、そして、消える……それが、非人様の策略だった。

 非人様の声が小さくなる度に、少しずつ、その気配が炎の中に薄れていくのを察すると……私は、ボロボロと涙を溢しながら、必死に訴えかける。 


「い、や…………いや……っ!いかないで……いかないでください……っ!私はッ、わたしは……これまでずっと、ずっとッ……非人様に、守られてきたのにッ……そんなことも気付かないで、わたしは……ッ!」

『……だが、こんなワタシでも…………オマエの、親代わりに、なることは出来ただろうか……?』


 その問い掛けに、私は説得の言葉が詰まり、視線が落ちる。

 説得なんて、何の意味もない。

 非人様が聞きたいこと、私が言いたいことは……そんなことではないのだから。

 だから、私は答えるのだ。

 涙を溢しながら、沸き上がる感情を、必死に呑み込み……精一杯の笑顔と、心の底からの尊敬と、私の中にある苦くも温かい記憶と想いを……たった一つの言霊に乗せて。


「…………私という存在に、かけがえのない誇りを与えてくれたのは……あなたです────お父様・・・

『………………これで……オレの、前世も……少しは、報われたな………………ありがとう…………そして、すまなかった…………』


 そして。

 崩壊が目前に迫った世界で……台森の非人は、静かに燃え落ちたのだった。





─※─※─※─※─※─※─※─※─※─





(────そぉそぉ、付いてくるだけで良いんだよぉ。そしたらぁ、これからのガラクタ買取額をぉ、更に十割増しにしてあげるからさぁ?)


 フィリ=オディスの、そんな甘い囁き誘われ、まんまと『ヘブロス』として同行してきたのだが……時が進めば進む程、状況は悪化の一途を辿るばかりだった。


「ひぃ〜っ、おっかねぇおっかねぇ〜っ。こんな危ねぇことに付き合ってられるかってんだよ」


 このままでは、流石に自分の方が危ない……そう直感したジギンは、ロラントにバレないようにコッソリとセデ村から離れて走っていた。

 といっても、逃げる宛は無い。

 せめて第三皇女が居たセデ村から離れれば、被害は小さくなるはず……と、考える者は多かったようだ。少しばかり離れた、『黒の地』にある丘の上で、一足先に逃げていたセデ村の住人たちがゴチャゴチャとざわめいていた。 


「大丈夫か!?誰かッ!こっちに手を貸してくれッ!早くッ!!」

「世界が、震えている……来たるべき時が、遂に来てしまったということか……」

「第三皇女様は、死ねと仰られた……だったらもう、生きようとする意味なんて無いんじゃ……」

「だ、だけど……こんなに早いなんて……まだ、俺……」

「馬鹿ッ!滅多なことを言うなッ!お前、第三皇女様の御意志に逆らうつもりか……!?」


 確かに、先程から不気味な地震は一向に止む気配は無いし、心なしか空気が重く感じるような気がする。立ち止まると、その重苦しい空気に押し潰されてしまいそうだった。


「第三皇女信仰派は健気だねぇ……あ〜いやだいやだ、こんな状況でウダウダしていられる余裕あるかね普通?」


 あんな風にモタモタしている暇はない。

 ジギンは進行ルートを変えて、セデ村の住人たちの目に入らないように丘を回り込もうとするが……それに気付いた住人の一人が、慌てて声を上げた。


「お、おいっ!!そこのあんたっ!!危ねぇぞっ!?」

「へっ?」


 次の瞬間、ジギンの足元が────抜けた・・・

 第三皇女が放った『オド』の影響で、小世界は既に風前の灯火。表面上に変化は無くとも、その内部には無数の亀裂が走っており……少し力を入れるだけで、まるで水に張った氷のように、簡単に崩れ落ちるようになっていたのだ。 


「どぅぅぅゥゥゥッ!!?何で俺だけぇぇぇェェェェェェェェェ…………」


 間抜けな絶叫が、奈落の下へと消えていく。

 地面が抜けた下方に広がるのは、何処までも続く奈落。

 その先がどうなっているのかは、誰も知らない。ただ一つ、そこに落ちた者が永遠に帰って来ることは無い……それだけは、疑いようのない事実だった。


「お、落ちたぞ……?」

「馬鹿っ!!ボーッとしてんなっ!!このままじゃあ、俺たちも……っ!!」


 一人の見ず知らずの男が不幸に見舞われた瞬間を目撃してしまった村人たちから、サーッと血の気が引いていく。

 しかし、それは決して他人事では済まない光景だった。

 ジギンの落下を皮切りに、内側を侵食していた亀裂は、一気に地上にまで到達し────遂に、小世界は崩壊を始めたのだ。

 地上に立つ全ての者たちは、成す術なく、奈落へと真っ逆さまに落下していく。


「うわぁぁァァァッ!!?」


 世界とは、人の舞台。

 舞台が崩壊すれば、人は消える。

 へブロスでさえも、魔法師でさえも、殺し屋でさえも……例え、どれだけ強い力を、どれだけ強い執念を、どれだけ強い覚悟を持っていたとしても……誰も、世界の崩壊には抗えない。

 この瞬間。

 小世界は消滅し、そこに居た全ての者たちの物語もまた────等しく、終わりを迎えようとしていた。





─※─※─※─※─※─※─※─※─※─





「────結局、貴様はいつまでも悩んだままか、ギルドメイドよ」


 あの時。

 リネットと会話をしながら、共に披露宴の準備を手伝っていると……相変わらずの不気味な風貌をした男、ロラント=エクリングが姿を現し、呆れた口調で声を掛けてきた。


「自分の成すべきことも分からず、ただ呆然と生きているだけの輩が、私たちと相対するなど……不愉快極まり無い────貴様は、小世界の外側で指を咥えて見ていろ」


 答えの出ない、自身の存在意義。

 的確に急所を突いてくるロラントの言葉に、イオは何も言い返すことも出来ず……その隙を狙われ、沿岸部から突き飛ばされて、台海に落とされてしまったのだった。




 ………………。

 …………。

 ……。





 ロラントに落とされた『台海』の中で、イオは全身が硬直したかのような感覚に苛まれ、身動きが取れないまま、遥か上方にある小世界の様子を睨み付けていた。

 沢山の命と、沢山の想いを、無惨に巻き込み……小世界が崩れ落ちていくのが、嫌というほどに分かる。

 あの中には、自ら死を望む者も沢山居るだろう。

 だが、これから先の未来を求める者も居る筈だ。

 たった一人取り残されたユニスト協界の一員として……この状況を黙って見ていなければならない程に、屈辱的なことはなかった。


(……このまま、何も出来ずに……やられっぱなし、なんて………………悔しい……くや、しい……ッ)


 いつかマスターが言ったように、ユニスト協界が世界に及ぼす影響力なんて……第三皇女や『傷』に比べたら、微々たるものだ。

 現に、ユニスト協界は第三皇女に破壊され、取り残された自分は身動きすら取れない上に……小世界そのものが、崩れ落ちようとしている。

 無力な自分が、憎い。

 誰も守れない自分が、憎い。

 だが、どれだけ憎んだところで何になるのか。

 こんな、世界そのものを揺るがす事態なんて、それこそ『神』にでも祈るしか……。


 ────終わらせないよ。


 その時。

 まるで海を揺らす波間のように、空間を漂う『声』がゆっくりと脳裏に届く。


(…………この、『声』、は……)


 それを聞いた瞬間、今にも海に溶け落ちそうだった意識が、少しずつ覚醒していった。

 寝ている場合ではない……諦めている訳にはいかない、と。

 そして、まるで手を差し伸べるように、何者かの『声』は、自分に向かってこう懇願してくるのだ。業務上で、いつの間にか形作っていた、一人の友として。


 ────一緒に戦ってくれ、イオ。あなたの力が、必要だ。

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