4ー3 第三皇女の目論見



 思えば、転生したばかりの当初もそうだった。

 第三皇女から、「シーナは殺さなくてはならない」、という言葉を聞いた俺は、素直にそれを受け入れることが出来なかった。

 何故、そう思ったのかは……分からない。

 ただ、シーナには死んでほしくなくて……無意識の内に、行動を起こしていた。

 片腕と片足が無い状態でも、唖然とするシーナの腕を引っ張って、第三皇女の目の前から、命からがら逃亡。

 片足でも、走って、走って、走って、シーナと共に走り続けて……気付けば、俺たちは見渡す限りの真っ白い異空間に立っていた。


 そこに現れたのは────『■■■■■』。

 

 灰色の長髪、痩せこけ爛れた身体の、まるで枯木のような見た目の、何者か。そいつは出会うや否や、けたたましい笑い声を上げながら、シーナを狙って襲い掛かってきた。

 俺も必死に応戦しようとするが……四肢を失った状況も相まって、そのデタラメな強さにアッサリやられてしまって……どうすることも出来なかった。

 だが。

 きっとその時の俺は、どうかしていた・・・・・・・のだろう。

 目の前でシーナが殺されそうになっているのを目撃した瞬間、もう自分の身体だとか痛みだとか、どうでも良くなっていて……一瞬の隙をつき、大口を開けて────『■■■■■』の身体に噛み付いたのだ。

 そして。

 次に目を覚ました時……俺は、『台樹の非人』の力を有していた。

 時折、頭の奥底で響いてくる、『■■■■■』の幻聴と共に。





 ────其は、何を望む?





 泥の中に落ちた筈なのに、美しい水に飛び込んだかのように視界は透き通って見えている。

 水の抵抗のようなモノで身体の自由は殆どきかないが……不快感だけしかないと言われれば、決してそんなことはなく、むしろ一種の温もりすら感じるモノだ。

 例えるならば、やり方は分からないけれど精一杯に抱き寄せてくれる、『父』の不器用な温もりのような……。


「────目覚めたか。久しぶりだな、ツムギ」


 ここ最近は全く耳にしていなかった聞き馴染みのある声が脳裏を撫でると、朦朧としていた意識が、一気に覚醒する。


「お、『お父さん』……ッ!なんで、なんで邪魔をした……!?シーナが、第三皇女に連れ去られて……ッ!」

「連れ去られて?馬鹿か、付いて行った・・・・・・の間違いだろ?」

「……ッ!」


 何だろう……物事をハッキリ言うのはエァヨセの特徴だが、今回ばかりは、若干の敵視感が織り混じっているような気がした。


「あぁ、『ここ』のことは心配いらんよ。『三元域』は非人の中でも特別でな。それぞれが固有の世界を持っている。例えペデスタルが消滅しようが、ワレらに影響は無い」

「そんなことを聞いているんじゃないッ!!シーナをッ、助けに行かないと……ッ!」


 あまりにも他人事な物言いに刺激されてしまい、姿も見えないエァヨセに対して、俺は半ば興奮状態で声を上げる。

 すると、エァヨセは考える気配もなく、ハッキリとした口調でこう言った。


「必要ない、辞めとけ」

「必要ないって……ッ」

「覚えているか?ワレはあの時、『何故、シーナと共に居るのか』と聞いた。対してオマエは、『シーナの助けになりたいから』と答えた。対して、今のアイツはどうだ?既に、自らの死に場所を見定めている。だとしたら、オマエの助けはもう必要ない筈だ。違うか?」


 全く持って、その通りなんだけれど……いよいよ反論のしようがない正論をぶつけられて、言葉に詰まりそうになる。

 そんな俺の脳裏に浮かんできたのは、お父さんに引きずり込まれる寸前に目の当たりにした、シーナの・・・・悲しげな横顔・・・・・・だった。


「…………死に場所を見定めているのなら、あんな風に引きこもったりしない……あんなに苦しそうな顔をする筈がない……だから、俺が……俺の手で、シーナを救わないと……ッ」


 それが、今の俺に出来る、精一杯の持論だった。

 焦燥、困惑、屈辱……あらゆる感情が渦巻いている頭の中から、何とかして捻り出した我儘も同然な言葉だった。

 いつもは重ねられていたシーナの手が、ここから先は、永遠に掴めなくなりそうな感じがしたから……。

 だが。


「────自惚れんな、非人の力を持っただけの餓鬼が」

「……ッ!?」


 空間の揺らぎと、爆発的に膨れ上がる気配と共に、エァヨセの叱咤の言葉が飛んできた。

 まるで、聞き分けのない子供に言って聞かせるような言葉は、グチャグチャになっていた俺の頭の中を、一瞬で真っ白にする。

 これまでも、エァヨセとは幾度も話をしてきたが……叱られるのは、これが初めてだったからだ。


「いいか?例えそれが、人であろうが、神であろうが、恋人であろうが、兄弟であろうが、親であろうが……所詮は他人が、人を救う・・・・なんてことは、絶対的に有り得ないんだよ。救われたという基準を決めるのは、オマエじゃない。その人物本人が救われたと思わなければ、そいつが救われたことにはならないからだ」

「……ッ!」

「お悩み相談やホスピタリティ、宗教とかカウンセラーも同じだ。救済だとか、救いだとか……そんな甘いものを匂わせているモノは、所詮ただの救いの押し付け・・・・・・・に過ぎない。そんなモノに身を寄せるのは、妄信的な馬鹿共のすることだ」


 気付けば、俺は口をつぐんで肩を落としていた。

 返す言葉も無い。

 叱られてヘコんだという訳ではなく、先程までの俺自身が、恥ずかしい位に動揺していたことが分かったからだ。

 一先ず、俺は空間の浮遊感に力無く身を任せて、虚空の一点を睨み上げながら悔し紛れに問い掛ける。


「父さんは……どっちの味方なんだよ……」

「どっちの味方でもなければ、どっちの敵でもない。ただ、第三皇女の奴とは知り合いでな。話す機会があったってだけの話だ」


 第三皇女と台海の非人は、知り合いだった……?

 今までにそんなことは聞いたこともなかったが、エァヨセの口振りを聞く限り、一度二度会った顔見知り程度の関係性ではなさそうだが……。


「ツムギ、もう辞めろ。これ以上、あんな面倒臭い問題に首を突っ込むな。シーナのことは綺麗さっぱり忘れて、ここでペデスタルの消滅を黙って見届けていろ。いいな?」


 いつもは、父さんって呼ぶな、とか言っているくせして、今回は完全に親面をしながら忠告してくる。

 要は、ここから先は第三皇女の好きなようにやらせろ、と言っている訳だが……当然、そんなこと言われても、俺自身は納得出来る筈がなかった。


「どうして……どうして第三皇女が、世界の滅亡とか、そんなおおそれたことを決められる……?身分の違いはあったって、あの人だってセデ村の人たちと同じ人間だろう……?それなのに…………あの人は、一体……何がしたいんだよ……?」


 その所業は、まさに神そのもの。

 人々は第三皇女のことを恐れ敬い、それがどれだけ理不尽であろうとも、彼女の言葉を絶対的に遵守する。

 仮に、人々にそうさせるだけのカリスマ性があったとしても……第三皇女がこの世界を滅亡させようとするだけの理由が、一向に見えてこなかった。

 自らが築き上げ、自らが成し上がった、自らの理想の世界を……第三皇女は、どうして自らの手で破壊しようと躍起になっているのだろうか、と。





─※─※─※─※─※─※─※─※─※─





 真っ暗な闇がドロドロとした汚泥のように、視界全体で絶えず蠢き続けている。今にも崩れ落ちそうな危なげな空間に見えるのに、前へと進む足は気味が悪いくらいスムーズに進む。

 本来ならば動かない筈である私の体でさえも、まるで、奥へ奥へと引きずり込むように────世界の根底に根付く、『不変の永遠地点』へ向かって。


「……ねぇ、第三皇女。もう、誰も見ていないから……サナ・・って呼んでも良いかしら……?」


 私は、前を歩くオリスト第三皇女……『サナ』へと呼び掛ける。

 彼女はこちらを振り返りもせず、歩くスピードもそのままに、言葉を返してきた。


「好きにしろ。記憶が戻ってしまったら、今更になって逃げ出すんじゃないかって危惧していたが……流石に、ここまで差し迫っていれば、受け入れざるを得なくなったんだろう?」

「それで例え逃げ出したとしても、あなたは必ずどこまでも私を追ってくるでしょう?勿論、分かっているわ。だって、あなたは……」

辞めろ・・・。私とお前は、赤の他人。妙な感情を抱かさせるな」

「……ごめんなさい……」


 怒りと苛立ち……心を打ち付ける位に強い感情をぶつけられて、私の言葉は胸の引っ込む。

 それから、どれくらい経っただろうか。

 一分か……?一時間か……?時間の認識すら歪み始める深みへの道を、しばらくの間無言で歩き続けていると、サナは静かに口を開いた。


「ほんの少し衝撃を与えるだけで、いとも簡単に世界を滅亡させてしまう『傷』……おいそれと手を加えることも出来ないデリケートな存在を、何の代償も無く完全に消し去ることなんて、不可能も同然だった」

「……だから、ペデスタルを・・・・・・粉砕させた・・・・・。理屈的に考えれば……世界粉砕によって小規模となった小世界の中に私を閉じ込め、そこで『傷』を殺してしまえば……代償となるのはその・・・・・・・・・小世界一つだけで済む・・・・・・・・・・。あなたは、それを可能とする『オド』を宿していたから」


 要は、『傷』による犠牲を最小限に食い止める為の策だ。

 『傷』が滅亡をもたらすのは、一個の世界。

 ならば、ペデスタルという大きな世界から、ほんの一部分だけに『傷』を乗せて切り離してしまえば、犠牲になるのはその一部分だけで抑えられる。

 それを実現させる為に、世界そのものを『粉砕』する『オド』の力と、粉砕した欠片を『小世界』として区切る境目である『台海のエァヨセ』の存在が必要だった、という訳だ。

 分かる……サナの考えていることが、手に取るように分かる。

 まるで、欠けていた記憶が・・・・・・・・少しずつ蘇ってくる・・・・・・・・・かのように……。


「だが、そこで一つの問題が生じた。シーナ、お前が処刑場であるノベスールから逃亡してしまったことだ。台樹の非人……奴に唆されてお前が消えてしまったことで、作戦は台無しになった」

「……その時の私は、記憶が無かった・・・・・・・わ。当然、計画のことなんて覚えている訳がない……ただ感じていたのは、自分の中にある『傷』が、どれだけ危険な存在であるかという恐怖心だけ……だから、私は……ツムギを、利用して……自分の死に場所を探すことにした……」

「そうだな……お前と台樹の非人がやってきた旅人じみた行為が……かえって、このペデスタルを追い込むことになっていたことも知らずに、な」

「……え?」


 身に覚えがない発言に、私は思わず声が詰まる。

 この世界を追い込んでいたつもりなんて、毛頭ない……私はただ、誰の迷惑にもならない場所を探して、誰にも迷惑が掛からないように死のうとしていただけだ。

 しかし。

 そこには、私もサナも認識していなかった、衝撃的な事実が存在していた。


「『傷』は、自らの宿主が足を踏み入れた世界に、律儀にマーキングをしていたんだ。自身の痕跡を、その小世界に残す為にな」

「そ、そんな……ッ!?『傷』に、元々そんな特性なんて無かったはずじゃ……!」

「意志あるモノに進化あり……それをあの『第一皇女』から聞いて、捜索を始めた頃には、もう既に手遅れだった。このペデスタル……少なくとも第三領域は、今や殆どが『傷』の縄張りと変わり果てている」

「……ッ!!」


 知らず知らずの間に……ペデスタルは、完全なる絶体絶命の危機に陥っていた。

 つまり、今、私が死ねば……。


 ────今まで私たちが降り立った小世界が、全て滅亡してしまう。


 絶句だった。

 頭の中が無茶苦茶にかき乱れ、サナの後ろ姿の映る視界がグニャリと歪む。全身は小刻みに震えて、呼吸は乱れて息苦しくなってくる。

 これまでの旅が無駄だったどころか、むしろ世界を危機に晒すことになっていただなんて……だとしたら……私は、一体何の為に……?


「『オド』の引き起こす破壊・・とは異なり、『傷』がもたらすのは滅亡・・だ」

「……サ、ナ……?」


 そこで、サナは立ち止まり、それに気付いた私はゆっくりと視線を上げた。

 視界が、開けている。

 暗闇の道を抜けて、ようやく、『深み』と呼ばれる場所に到達したのだ。

 だが。


滅亡した世界・・・・・・でも、人間は生きていられる。しかし、滅亡に晒された人間たちは、生きている限り、永遠の地獄を味わうことになる。お前の故郷────ここ、『ロオトの村落』と同じ様にな」


 途端に、空気が変わった・・・・・・・

 重く息苦しい空気が空間全体に漂い、そこに足を踏み入れるだけで、身体が重くなり、呼吸がし辛くなってくる。

 一面に広がるのは、山中に形成された小さな村落。

 そこには、黒い胞子のようなモノが無数に空間を飛び交い、木造の建物は腐り崩れている。上空に広がるのは灰色の空と、黒ずんだ太陽。それに照らされて、世界は灰色の光で照らされていた。


 そして、幾人もの『人』が────地を、這いつくばっている。


 全身が爛れ、液体のようにドロドロになり、人とは思えない呻き声を発しながら……意味もなく、辺りを這いず回っているのだ。

 まさに、当時のままだった。

 私に刻まれた『傷』によって、世界で一番最初に滅亡に見舞われた、ロオトの村落。

 それを目の当たりにした瞬間……当時の、地獄のような記憶が、頭の奥から一気に噴き出してくる。


「ひッ、ぁ……ッ!い、や……ッ!」

「そもそも、『傷』が降り立った時点で、このペデスタルは終わっていた。このままペデスタルの民を、永遠に続く地獄に晒す位ならば────私は、私の手で、私たちの世界を終わらせる。それが、オリスト第三皇女としての、最後の役割だ」

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