3ー1 あなたに問いたい



 跡形も無く消滅してしまったノベスールを後にして、大量の黒者たちを乗せた台樹は、穏やかな台海の波間に身を任せるように漂う。日の光も地平線の彼方へと沈み、淡い月明かりだけが照らしている。

 瞳を閉じればそのまま眠りに落ちそうな薄闇の中で、俺は一人で台樹の縁に座って、静かに波音を立てる台海を眺めていた。

 台海エアョセは、未だに静まり返っている。

 あの絡みが時折鬱陶しく感じることもあるが、こうして一度も言葉を交わさないと、ちょっとばかり物悲しく感じてしまうものだ。


「ツームギっ」

「おっと、シーナ?」


 シーナの声が聞こえてきたと思ったら、彼女は後ろから俺の両肩に手を乗せて寄りかかってきた。

 視線を上げて上から覗き込むのは、浴衣風の寝間着を身につけるシーナ。彼女と目が合うと、彼女は満面の笑顔を浮かべてから、俺の隣にちょこんと腰を下ろす。


「コクモノたちの面倒、お疲れ様でした。大丈夫だった?」

「えぇ!それも、ツムギが皆を受け入れてくれたお蔭ね!最初は何でかすごく怖がられちゃったけれど、段々慣れてきてくれたみたいなの!」

「それは何よりだね。じゃあ、もう全員お休み中かな?」

「大樹のあっちこっちで気持ち良さそうに寝ているわ!」

「あー、あんまりバラバラになるのはちょっと勘弁して貰いたいかも……なんだか、全身がむず痒いし……」


 今、台樹の内部は殺し屋を始めとする多数の黒者で埋め尽くされている。元から大多数の人が住める程の生活空間であった為、彼らを収容するスペースには困らなかった。

 ただ、台樹とは即ち俺だ。

 感覚的には、身体の中で沢山の人がウジャウジャと動き回っている感じなので、どうにも落ち着かなかったのである。


「あっ、そうだわっ!私、ツムギに返したいモノがあったのっ!」


 シーナが何かを思い出したように、ポンッと手を叩いて、振り袖の中を探り始める。


「返したい?俺、シーナに何か貸していたっけ?」

「えぇっ、『これ』」

「『これ』って……」


 そう言ってシーナが差し出してきた手のひらには、小さな木の破片が一片だけ乗っていた。

 これは、『ノベスール』で探知器代わりになった、台樹の破片だ。

 そう言えば……。

 あの小世界から出た時から、何故かシーナが右手を閉じっぱなしにしていたのは気付いていたのだが……もしかして、ずっと『これ』を握っていたからだとでもいうのだろうか。


「これって、もうただの木の破片だよ?別に捨ててくれても良かったのに、どうして……?」

「ちゃんと言っておきたかったの────助けてくれてありがとう、って」

「……!」

「本当は、御守として持っておきたかったのだけれど、これはツムギの一部だから。私が持っているよりも、ツムギの元に還る方がこの破片も嬉しいと思うわ」


 ニコリと優しい笑みを浮かべながら言うシーナを前にして……言葉では到底言い表せられない、熱い感情が胸の奥から湧き出てくるのを感じた。

 こんな木の破片一つで、こんなにも心を温かくしてくれるなんて……卑怯な人だ、本当に……。


「御守、か……」

「ツムギ?」

「シーナ。ちょっとだけ、そのまま持っててくれる?」

「勿論、良いわ。どうしたの?」

「うん、ありがとう。それじゃ……」


 切り離されている破片とはいえども、元は俺の一部。それを自分の好きな形に加工するのは、案外、簡単に出来ることだった。

 シーナの手のひらに乗っている木の破片に手をかざし、意識を集中。

 歪な破片の周りを削っていき、小さな円柱型に形を整えていく。形が完成したら、紙やすりで擦るように全体を摩擦させて光沢感を際立たせる。全体の調整を終了させると、台樹の頑丈な木の根を編んで、首に掛ける紐として接着した。


「うわぁ……っ!きれい……っ」


 お手製の円柱型ウッドネックレスの完成だ。

 自分の手の中で、ネックレスが仕上がっていく様を目の当たりにしたシーナは、眼を輝かせながらそれを見つめていた。


「『それ』、受け取ってくれないかな」

「…………えっ!?こんな素敵な物を、私に……?」

「まぁ、シーナの言う通り、非人の一部なんて得体の知れない物体でもあるから、無理にとは言わないけど……」

「そんなことないわっ!ツムギの物を貰えるなんて、なによりも嬉しいものっ!あっ、違うの、そういうことじゃ、ないのだけれど……」


 シーナは手のひらに乗せられたネックレスを見下ろしながら、少しばかり言葉を詰まらせる。


「シーナ?」

「……私の身体が動いているのは、ツムギが矯正してくれているから。私は、ツムギから貰ってばかりで、何も返していないのに……」

「それは違うよ。俺は、シーナからいつも沢山のモノを貰っている。これ一つだと到底返し切れない位に、沢山の、大きなモノを」

「私、が……?」

「うん。だから、たまには俺からも何かお返しさせて欲しい、かな?俺はシーナと違って、こういう形でしか想いを伝えることは出来ないけどさ」

「……!そんな、こと……」


 第三皇女の居城で絶望に打ちひしがれていた時から始まり、シーナの明るさと優しさは、いつだって俺に生きる気力を与えてくれていた。そんな彼女と一緒に旅を続けてきたからこそ、彼女の為に頑張りたいと思うし、彼女の願いを叶えてあげたいと思うのだ。

 そんな俺の思いを伝えた一方で、シーナは無言で首を横に振ってから、また少しだけ無言になると……手の上のネックレスを俺へと差し出しながら、こうお願いしてきた。


「……ツムギ。これ、私に付けて貰えない?」

「えっ、俺が?」

「んっ……」


 シーナは一度小さく頷いてから眼を瞑って顎を上げ、ネックレスを掛ける首を無防備に晒す。

 彼女が無防備なのは今に始まったことではないが、このように正面切ってお願いをされると、流石に動揺無しで引き受けることは出来なかった。


「そ、それじゃ、失礼して……」


 ネックレスを手に取って、それをシーナの首に掛ける……たったそれだけの動作なのに、まるで厳かな儀式を執り行っているようで、異常な程に緊張してしまった。

 短いようで異様に長く感じた授与式を終えると、シーナは自身の胸元に垂れ下がるネックレスを見下ろしてから、上目遣いになって俺の顔を見上げて首を傾げる。


「……ツムギ、どう?私、似合うかしら……?」

「うん、似合ってる……」

「ほんとう……!?うふふっ、嬉しい……っ」

「……!」


 あれ、何だろう……この、いつもと違う感じ……。

 いつもみたいに、天真爛漫に笑う時とは違って、シーナがお淑やかに小さく微笑む姿は……まるで、闇夜に浮かぶ淡く儚い光のように……一人の女性として、とても魅力的に見える。

 シーナでも、こんな顔をするんだ……そんなことを思いながら、目の前の美麗な少女に見惚れていると、不意に彼女が口を開いた。


「……ね、ツムギ。一つ、聞いても良い?」

「あっ、う、うん。良いよ、俺が答えられることなら、何でも」


 快くそう答えると、シーナは少しばかり視線を落として、何かを考えるように沈黙を続ける。

 しばらくの間、俺は黙ってシーナの問い掛けを待っていると……彼女はバッと顔を上げて、ゆっくりと口を開いた。


「……正直に、率直に、あなたの言葉で、答えて欲しいの……」


 そう、この時はまだ、俺は何も気付いていなかったのだ。

 シーナが、何を抱え、何を思い、どんな気持ちで、この問い掛け・・・・・・を、何故、俺に投げ掛けたのか……その真意を。

 もし、その真意に気付いていたら……きっと、あんな風に後悔することもなかったかも知れないのに。


「────やっぱり私って、死ぬべきなのかしら?」

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