2ー5 樹海が、来る



 身体補助の為の根が消えてしまっていて、身動きを取ることは出来ないようだが……幸いにも、シーナの身体に傷は一つも付いていない。

 だが、本当に危なかった……。

 あと一秒でも庇うのが遅れていたら、今頃、串刺しにされていたところだっただろう。

 若干穴が空いた胸を撫で下ろして、小さく安堵の息を吐いた。


 その直後。


 突如として、ゴウッ、と風が勢い良く流れる気配がしたと思ったら────頭の上を、とてつもなく強烈な火炎放射が駆け抜け、向かいの壁を吹き飛ばして、風穴を開けた。

 予想だにしていなかった事態に、シーナ共々、表情を固めて硬直していると……背後から、『彼女』のハツラツとした声が聞こえてくる。


「あはーはーっ!!待たせたねぇシーナちゃぁんっ!このあたしが助けに来たからにはもう安心だんぐむぅっ!?」


 お前、マジで、この野郎。

 何処までもお調子者な彼女の口を、顎の下からアイアンクローをして塞ぎ、心臓が飛び出そうになりながらも、口をパクパクさせる彼女を脅し立てた。


「ねぇマジでなんなの?火ぃ辞めてって俺言ったよね?それでもやるってなんなの?いい加減にしないとマジで怒るよ?」

「ほほってふほほってふぅ(怒って怒ってるぅ)、もふほはってふほぉ(もう怒ってるよぉ)」

「ていうか、助けに来たってなに?最初からそんなつもりなかったよね?むしろ逃げようとしてたよね?ちょっと付いて来ちゃったから雰囲気だけ合わせとこーって魂胆が丸見えなんだけど?」

「ふゃぁお(わぉ)!ふぁっひあひひぃにぇ(察しが良いねぇ)!」

「よし、一発引っ叩いておこーか」

「にゃぁべぇぇへぇぇ〜(やぁめぇてぇ〜)」


 ペシペシと俺の腕を両手で叩いて、降参の意を示すフィリ。

 明らかに反省している様には見えないが、幾ら言っても無駄だと察した俺は、溜め息混じりに肩を落としてから手を離す。

 すると、フィリは自分の頬を擦りながら、興味津々といった様子で尋ねてきた。


「でもさでもさぁ、どうやってシーナちゃんのことを追跡出来たのかなぁ?もしかしてぇ、それも非人の能力だったりするぅ?」


 確かに、捜索自体は絶望的な状況だった。

 刻一刻と樹木が侵食していく宮殿内部では、時が経てば経つ程に、探索が難しくなってくる。オマケに、周囲には命を狙ってくるコクモノの大群もいた。

 恐らく俺とフィリだけでは、一生宮殿から出られず、永遠に彷徨い続けていたかも知れない。

 しかし。

 まさに、偶然と言うべきか……見えない蜘蛛の糸程度の一つのか細い気配が、俺の中に残っていたのだ。


「シーナ、もしかして……持ってる・・・・?」


 玉座に座って目を丸くしていたシーナに何となく尋ねてみると……彼女は、ハッと目を見開いてから、自身の右手に視線を向けた。


「えっ、持っているって……『これ』、のこと?」


 シーナの手のひらに乗っていたモノは、『小さな木片』だった。

 これは……間違いない。

 あの時、俺が伸ばした木の根を、彼女はスレスレのところで握り取っていたのだ。

 これだけでは、ただのゴミ屑にしか見えないが……逆にこれさえあれば、俺はその小さな気配を辿って何処までもそれを追跡することが出来るようだ。


「なるほどぉ、断片の気配を追跡、かぁ……そんなことも出来るんだぁ……?ねぇねぇツムギくぅん。お礼は弾むからさぁ、そこんところもう少し詳しく教えて貰えなぁい?」

「嫌」

「即っ答ぉ〜あはーはーっ」


 お礼とか言っているが、あのニヤついた顔は絶対に何か企んでいる顔だ。

 そう直感した俺は、即座に断りの言葉を入れてから、シーナの肩に手を乗せた。彼女の身体に意識を集中させながら、自身の手から木の根を伸ばし……彼女の全身に、今一度それを張り巡らせていく。


「なんにせよ、無事で良かった……っと。よし。シーナ、これで立てる?」

「……えぇ、立てるわ……」


 シーナは自身の手で上体を起こすと、少し苦しそうに呼吸をしながらも小さく笑みを浮かべた。

 身体機能は元に戻ったようだが、相当体力が消耗している筈だ。本当なら、今すぐにでも休ませてあげたいのだが……。


「ところで、ツムギくぅん。さっきから、『ちっちゃいの』が玉座の陰で縮こまっているだけどぉ……それ、なぁに?」

「ちっちゃいの?」


 フィリが指差した玉座の陰を彼女と並んで覗き込んでみると……確かに、両腕で包める程度の毛玉のようなモノが、ガタガタと震えているのが見えた。

 なんだコレ、と……純粋な興味心に促されて、その毛玉へとゆっくりと手を手を伸ばすと……。


「────はぅぅっ!?ごめんなさいごめんなさいっ!!殺すつもりはなかったんですっ!!本当にっ、本当なんですぅぅっ!!」

「…………はい?」


 毛玉に、謝られた……?

 呆気にとられて言葉を失いつつも、よく目を凝らしてその毛玉を観察すると……どうやらこの丸い物は、ただの毛玉では無い。

 二つの垂れ耳と、長い尻尾……綿毛のようなフサフサとした毛並みを持った『一匹の小動物』が、毛玉のように丸まっていただけのようだった。


「あっ!その『コクモノ』さん……『殺し屋』さんだわっ!」

「こ、『殺し屋』……!?」


 俺とフィリの上に乗っかるようにして身を乗り出したシーナが、少し驚いた様子で言う。

 『殺し屋』ということは、まさか……先程、シーナを殺そうとしていた、あの『仮面のコクモノ』のことだろうか。

 だとしたら、今は何よりも警戒しなくてはならない相手である筈なのだが……。


「あはーっ!捕まえたーっ!」

「ひゃぁぁっ!?許して下さい食べないで下さいぃぃっ!!」

「おぉぉー、これは中々ぁ……んんぅ〜、モフモフしてて気持ちいぃ〜」

「フィリ!私もモフモフしたいわっ!」

「モ、モフモフ辞めて下さいぃぃ……」


 何ヤッテンダ、コノ人タチ……?

 フィリが我先にと殺し屋を両手でガッシリと捕獲すると、意気揚々とシーナまでそこに加わり、二人してその毛並みを堪能し始める。

 殺し屋も殺し屋で嫌々言いつつも、されるがままにモフモフされまくっているので……当初の危険な気配なんて、これっぽちも感じられなかった。


「あの、お二人さん。楽しみは置いておいて、一旦外へ出よう?あまり長々とここ留まっていたら……」

「────樹海が・・・来る・・……ッ」

「え……?」


 それは殺し屋が口にした、恐怖を押し殺すような言葉だった。

 先程までとは、怯え方が明らかに異なり……フィリの腕の中でガタガタと震えながら、忙しなく辺りの様子を窺っていた。


「あぁっ、あぁぁぁ……ッ!だめッ、殺さないとっ……殺さなくちゃ……ッ!」

「わっ!?」


 激しく狼狽える殺し屋は、無理矢理フィリの腕から抜け出して、俺たちの方に向き直る。

 すると、突如としてその小さな身体が真っ黒に染まり、まるで粘土のようにグニャリと変形。次第に俺たちと同じくらいの背丈にまで身体を伸長させ、全身の黒染めが溶け落ちると……それは、一人の少女の姿に変貌していた。

 背丈はシーナと同じ位で、とても豊満な胸元に、ゆるいウェーブの掛かったふわふわな黒い長髪。側頭部には獣の耳が付いた、獣人の姿だった。


「……だから、殺させて下さい……ッ!殺すのが、私の役割……ッ!それを、裏切る訳にはいかないんです……ッ!!」


 その顔は、酷く強張っている。

 本当の姿を晒し、臨戦態勢を整えているわりには……焦燥、恐怖、絶望と、まるで何かに追い込まれているような様子が嫌という程に伝わってきた。

 そんな彼女に対して、誰よりも早く、シーナが声を上げる。


「だったら、無理して殺さなくてもいいんじゃないかしら?」

「なっ!?何を、馬鹿なことを……!」

「だって、殺し屋さん────本当は、殺しなんてしたくない・・・・・・・・・・んでしょう?」

「……ッ!!」


 その発言が、キッカケとなった。

 何か良くないスイッチが入ったのか、殺し屋が一気に目を見開くと……。

 銃弾の如く勢いで、床を蹴って飛び出した。


「シーナっ!」


 殺し屋がその目に捉えるのは、シーナ。

 瞬間的に危機を察した俺は、凄まじい速度で迫り来る殺し屋に立ち塞がるように、シーナの前へ飛び出そうとするが……それを、シーナ本人が手で遮って止めた。

 そして肩越しに、落ち着き払った口調でこう言うのだ。


 ────大丈夫、と。


 その時には、殺し屋は槍に変形した両腕を振り被って、シーナの目の前に立っていた。

 槍の切っ先が風を裂き、シーナの首へと迫る。


 しかし。


 それが、首を貫くことはなかった。

 切っ先は首の薄皮一枚程度だけ手前、スレスレのところで停止していたからだ。

 一歩間違えれば、確実に死んでいた。

 ほんの一、ニ秒だけの息飲む攻防の末に、殺し屋は酷く息を乱しながらシーナにこう尋ねる。


「……どうして、ですか……?さっきまで、あんなに・・・・死にたがっていた・・・・・・・・のに……どうして……?」

「そうなの?だとしたら、誤解させてごめんなさい。私は、殺し屋さんにそこまで無理をさせてまで殺されたくないわ」

「……ッ……だったら、私は……どうすれば……」


 この人は、本当に……時折、とてつもなく肝が座っている一面を見せてくれるものだ。お蔭様で、不死身の身であるといえども、こちらの心臓が保たない。

 一先ず、シーナのお蔭で窮地は凌いだ。

 これで僅かながらも一息付くこと位は出来るだろうと、胸を撫で下ろした時……。


『────オレに、逆らうか?』


 頭の中に、声が響いた。

 あからさまに脅し立ててくるような威圧的な声は、殺し屋へと向けたモノだったようだ。

 それを認識したのか、殺し屋は顔を歪めて困憊した様子で、何度も何度も許しを懇願していた。


「ひ、ぃ……ッ!?ま、待って下さいッ、殺します……ッ!殺しますからッ、どうか許して下さいッ、どうかッ、どうか……ッ!!」

「殺し屋さん?」

「どうしたのかなぁ、なんか、また急に狼狽え始めたねぇ?」


 まさか……シーナとフィリには、あれほどハッキリと響いてきた声が届いていない・・・・・・、とでもいうのだろうか。

 だが。

 それを目の当たりにしたお蔭で……ようやく、理解した。

 この小世界を不自然に侵食していた樹木……シーナとフィリ、一般的な人間には聞き取れない声……殺し屋が恐れ敬う者……。

 そう、俺たちは今まで、『そいつ』の腹の中でずっと彷徨っていたのだ。


 俺やエァヨセと同じ存在────『非人』の中で。


『ならば。ソイツら共々、お前にも思い知らせてやる────この、愚か者がァァッ!!』


 次の瞬間。

 足元の大理石を突き破り、幾多の樹の根が一斉に這い出てきた。

 あまりにも突然な襲撃に、俺達は全員逃げ出すことすら叶わず……押し寄せる樹根の波に、瞬く間に呑み込まれてしまうのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る