1ー1 『お父さん』に漂う大樹


 壁に掛けられた全身鏡の前に立ち、衣類を全て脱ぎ捨てる。

 鏡に映るのは、自身の裸体と、それを縛り上げるように首から足先まで何重にも張り巡らされた樹の根。一見すると、まるで樹の根に寄生されているようで気味が悪い印象も受けるかもしれないが……これは決して、危険な代物ではない。

 簡単に言えば、『全身動作補助機』。

 完全に感覚が無いという訳ではない。ただ、今の私は、ツムギが操る樹の根が全身の動きを補助してくれないと、身動き一つ取るどころか、立ち上がることすらままならない状態なのである。

 それは、私の身体が『器』だからだと……『あの人』は言っていた。

 『器』としての役割を果たす為だけに存在しているから……動くだとか、話すだとか、考えるだとか、そういった人間らしい機能・・・・・・・は本来必要ないのだと……。


「あっ!今晩の夕飯っ!何が食べたいのか、ツムギに聞いてこなくちゃ!」


 ハッと思い立って私は急いで新しい服に着替えると、不思議な温もりを感じさせる木製の扉を開いて外に飛び出す。

 そこは、私達の居住地。

 広大な『台海お父さん』に樹の根を張り巡らせて渡航する、巨大な『台樹ツムギ』の内部だ。



─※─※─※─※─※─※─※─※─※─※─※─



 一つの山脈と背比べをしてみれば、互角と言える位の背丈はあるであろう巨大な『台樹』……それは、『台樹の非人』である俺の、もう一つの姿だった。

 全ての人の侵入を拒み、幾多の小世界を隔てて広がる『台海』は、例え泳いで渡ろうとしても、船を浮かべたとしても、容赦なくそれらを呑み込んでしまう。

 普通では、決して渡れない海。

 ならば、それを渡ることが出来るのは、極めて特殊な事例に限られる。

 そこで、『台樹』の出番という訳だ。

 『非人』である俺一人だけならば人間の姿で泳いで漂うことも出来る。ただ、今はシーナという同行者も居る為、彼女も共に台海を越えられるように、多人数が同時に過ごせる大きな生活空間を維持しながら『台樹』を形成した。

 即ち、この『台樹』は、渡し船風の居住地と変化したのである。

 あとは、目的地のことを頭の中で念じておくだけで、台樹は台海にその図太い根を張り巡らせながら、自動で少しずつ進んで行ってくれる。

 当然、俺自身が常に集中をしていれば、台樹の動きを一挙一動制御することも可能だが……最近はこうして移動している間だけ、台樹の淵辺りに腰掛けて、のんびりと釣り糸を垂らして釣りをするのが日課になっていた。

 台海を漂っている以上は、どうしても関わらなければならない話し相手も居る故に……。


「え、『演出』ってなに!?人のことぶっ殺しておいてどんな言い分だよソレ!?」

『かかかっ!そうかっかするっての、ツムギぃ!お蔭様で、面白いパフォーマンスになったではないか?むしろ、オマエの引き立て役を買ってやったワレに感謝して欲しいものだなぁ、んん?』

「はぁ……『お父さん』の殺人欲の捌け口になってやってるこちらの身にもなってよ……」

『誰がお父さんだ!?あと、ワレに殺人欲なんて感情は無ぇッ!これでも人々から『神』と崇められている存在を軽々しく殺人鬼扱いするんじゃねぇわッ!』

「……え?誰が神?」

『ワレッ!神ッ!』


 この、脳中に直接口喧しく語り掛けてくるのは、『台海』……またの名を『台海のエアョセ』だ。

 俺が非人となったばかりの時……力の使い方とか、『ペデスタル』のこととかを教えてくれたのが、このエアョセであり、今では、親しみと尊敬を込めて『お父さん』と呼んでいる。本人曰く、ちょっぴり気に食わないようだが。


『しかしまぁ、ツムギよ。オマエは相変わらず、男なのか女なのか、よく分からない外見をしているなぁ』

「なんですか、急に?」

『率直に聞くが……オマエ、男と女のどっちの方が性的に見えるんだ?』

「それ絶対に聞き方オカシイやつだよね?まぁ、俺自身、自分は男だと思っているけれど……それがどうかした?」

『んん?女だったら、一生ワレ無しでは生きられない身体にしてやっても良いと思ってなぁ?』

「……うそでしょ?」

『かかかっ!そう警戒すんな!ただ、人間の男と女は違うもんだ。だったら、扱い方が変わってくんのも当然な話だろ?』

「なんかそれっぽいこと言ってるけど、お父さんこそ、性別がどっちか分からないよね?」

『お父さん言うなッ!ワレらに性別なんてモノは無ぇんだが……まぁ、ともかくだ。男だろうが女だろうが、付き合うにしても、あのシーナとかいう女子だけは警戒しておけ?』


 何やらエアョセらしくない神妙な口調が耳に引っ掛かり、瞬時に意識を釣り竿からそちらへと向けてから、「それは分かっているけれど」と……そう返そうと口を開いた時。

 後ろの方からパタパタと誰かが駆け寄ってくる音と共に、当の彼女本人の陽気な声が聞こえてきた。


「ツムギーっ!何か釣れたー?」

『あっとぉ、本人のご登場だ。オマエもえらく懐かれているもんだなぁ』

「一緒に旅している身なんだから、ギスギスしているよりは良いでしょ。それよりお父さん、そろそろ何か魚とか釣らせて貰えない?さっきから、ガラクタばっかり釣れるんだけど」

『誰がお父さんだッ!いいか?釣りに必要なのは、忍耐力だ!粘ってりゃ、いずれ釣れる。まぁ、誰かさんの気まぐれで変なもんが釣れる可能性は無きにしもあらずだがなっ!かかかっ!』


 この不良め……絶対に邪魔する気だ……。

 そもそも、台海に漂うモノは全て等しくエアョセの支配下だ。つまり、台海で何が釣れるのかは、エアョセの気分や采配次第で左右される、ということである。

 そこへ、俺の隣で両膝を抱えるように屈んだシーナが、不思議そうな表情で首を傾げた。


「もしかしてツムギ、お父さんとお話しているの?」

「今日は釣らせてやらないってさ」

「あらっ、気分屋さんなのね。お父さーん!私たちにお魚さんを恵んで欲しいのー!そうすれば、お父さんの分も一緒に作ってあげるわー!」

『かかかっ!お前までお父さん言うかッ!そんな手に乗ると思ったかよ、小娘ェ!そもそもワレらに食事は必要無ェ!魚と同等に料理エサで、このワレを釣ろう等とは!浅はかが過ぎて逆に殺意が沸くわ阿呆め!』


 エアョセの声は、同じ非人である俺にしか聞こえないらしいのだが……俺を介して罵られたところで、何も聞こえないシーナは微笑みながら首を傾げるしかない。

 それでも聞こえもしないエアョセに向かって会話をしようとするシーナの純粋な姿は、見ていて微笑ましいものだ。

 しかし、流石に大人げないだろう。

 そう感じた俺は、素っ気無い態度のまま、それとなくこんな事実を口にしてみた。


「シーナの料理、絶品なんだけどなぁ」

『…………なに?』

「そんじゃそこらの料理人とは桁違いよ?もう、こう、ほっぺたが落ちそうになる」

「ほんとうっ?ふふっ、ありがとうツムギ!お父さんっ、聞いた聞いた?私、とっても褒められたわっ!」


 とても嬉しそうに、ピースサインを繰り出すシーナ。

 そうなのだ、彼女はただ気分の赴くままに走り回るお転婆娘という訳だけではなく……料理を始めとする家事全般はお手の物である、とても家庭的な一面を持っている。

 実は先程、セデ村を出発する際に村人と怪物にお手製のお菓子を奮ったところ……あまりの美味しさに、全員を号泣させるという事件を起こしていたのは、また別の話。

 そんな話も聞けば、食事は必要ないというエアョセも、流石に興味を示してきたようだ。


『…………そんなに、美味なのか?』

「マジ美味、保証する」

『………………よし!ならば今日は大盤振る舞いよ!小娘!このワレの舌を唸らせる料理を提供してみるが良い……あん?なんだ、魚ども。食べられたくない?ウルサイわッ!ワレに食われればどう食われても同じだろうがッ!黙って栄養になっとけッ!!』

「あの……もう少し魚を労ってあげて……?」


 黙って栄養になっとけって……そんな暴言、今までに一度も聞いたこともないんだが、どんな暴君なのか……。

 食物連鎖の頂点に立つ我々人間が、自らの食物となる食材たちの気持ちなんて考えたこともないだろうが……今回ばかりは、ヒィィっ、と狼狽える魚たちの姿が目に浮かんできた。


「あらっ、波の動きが変わったわ!お父さん、承諾してくれたのね!」

「シーナ、今夜のご飯は期待してもいい?お父さんも待っているって」

「えぇっ!任せておいて!お父さーん!必ず美味しい料理を振る舞うと約束するわー!」


 その場で立ち上がったシーナは台海に向かって大きく手を振り、全身を使って感謝の意を、エアョセに伝える。

 すると、一拍の沈黙の後、ワナワナと怒りを押し殺したような口調で、エアョセがこんなことを口にした。


『……オマエら、揃いも揃って……ワレをお父さん・・・・と呼ぶなァァァァッ!!』


 次の瞬間。

 台樹のすぐ近くの海面が、大爆発を起こした。

 大きく立ち上がってから降り注いでくる水飛沫が、台樹の淵に居た俺とシーナを一瞬で水浸しにするものの……同時に、海中から打ち上げられたと見られる大量の魚たちが、雨のように空から降ってきたのだ。


「きゃあぁぁっ!スゴいスゴいっ!波が歌い出してお魚さんたちが踊っているわっ!あはははっ!」

「釣りの定義は何処へ行ったのッ!?」


 一応、釣りをする為にここで釣り糸垂らしていたんだけどなぁ。

 心の中で溜息を吐きながら、悪態をつくが……俺の隣で楽しそうにせっせと魚を集めているシーナの姿を目の当たりにすると、そんなことはどうでも良くなってしまう。

 それから、俺とシーナは一緒に全ての魚を拾い集めてから台所に向かい、今夜の晩ご飯作りに精を出すのだった。

 晩ご飯の感想?

 そんなモノ、わざわざ聞くまでもないだろう。

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