第4話 浅井さんの過去

 私はどうして浅井さんを好きになったのでしょう。

 きっかけはあの話だったと思います。


 東京からこちらに越してきた年の夏でした。

 確か世界的に有名なミュージシャンがこの地方にツアーで来た日です。

 その土地のバンドと即興で合わせて、一夜限りのライブを世界中で行っているミュージシャンでした。

 今までに味わったことのない感覚に、皆が良い気分になっていました。

 周りを見ると、片手にビールを持って踊っている人が多数いました。

 一夜限りのステージ。本当はどのバンドのライブも、一度限りなのです。

 この日、ライブハウスの入り口では蚊取かと線香せんこうの匂いがしていました。

 真昼は蜃気楼しんきろうが見えるほど暑かったのですが、夜になると涼しくなっていました。

 蚊取り線香をくライブハウスもおつだなと思えるほどには余裕がありました。

 その懐かしい匂いをまといながら、浅井さんが昔話を始めました。



 浅井さんは若い頃、東京に住んでいたそうです。

 東京では夜の仕事をしていたと言っていました。

 黒服をしてキャストを管理していたそうですが、キャストと寝ていたそうです。

 

「良い仕事をしてもらうためにそうしている。女性にとって身体からだのふれあいは精神にも作用する。これは俺にとって一つの手段だ。本人が嫌なら担当を変わる」

 そう店長に宣言していたそうです。浅井さん担当のキャストは売り上げも良かったので、しばらくは静観せいかんされたそうです。


「他の黒服がこのような行為をしているかは知らない。君も他言たごんしないように」

 キャストにはそのように言っていたそうです。


 その結果、浅井さんと一緒にいたくて続ける人、浅井さんを好きになって辛くて辞める人の二極分化にきょくぶんかしたそうです。

 そうしているうちに、浅井さんは地元に帰ることを決めました。



「仕事とキャストはどうなったんですか?」

 私は尋ねましたが、浅井さんは「どうだったかなぁ」とはぐらかしました。

 蚊取り線香はまだ、半分以上残っていました。


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