第二話

夏、といっても、夜風が闇の間を縫って泳ぐので、あの、体が溶け出してるかのような、蒸し暑さは感じずにすんだ。私たちが、川のほとりにいたせいかも知れない。大きく轟々と音を立てて、真っ黒な水の塊がうねり合う様が、あたしは好きだ。世界ありのままを、表している気がする。あいつはこの音がどうしてもダメで、あたしが体育座りして、川を見つめている間、河川敷の端の方で、じっと虫を観察したり、花を見つめたりしている。あたしに用があれば…

「あ。」

  あいつが立って、こちらを見つめていた。あたしがそれに気付くと、飛び上がった。輝かんばかりの笑顔を放って、あたしを見つめてる。

「それは、カヤメ。」

 花の名前が知りたかったらしい。弧を描いた薄紫色の花弁を、顔を地面に埋めんばかりに近づけて、深呼吸で瞳を見開いて、一つ一つ、穴が開くほどに見つめている。あいつは、花を、消して摘み取らない。

「欲しくないの?」

  あいつは顔を上げて、ぽかんとした後、首をぶんぶん振った。振ったあと、すぐ視線を元の位置に戻した。あいつは言葉を発さない。言葉はわかるみたいだけど、舌も喉もあるのに、何度言葉を教えても、一言も喋らない。リアクションは大袈裟なくらいだけど、自分から、行動はほとんど起こさない。あいつとなら、あたしは沈黙も気にならなくなった。

「かも。」

 ふと、顔が見たくなって、あいつの頬の方向に手を伸ばして、やめた。あいつの黒髪を見て、満月なのを思い出したからだ。月は大嫌い。夜にまで、あんな光、ああいや。行き場のなくなった、右手を下ろし、土いじりをするふりをして、あいつを盗み見た。体のどの部位を、あたしと比べても、長く細く青白い。同じ背丈なのに、腰の位置が違う。体の線も細くって、あたしがボールペンの落書きなら、あいつはデッサン。しかも天才が命の最後に書いたやつ。あいつの手が好きだ。青い血管がほのかに浮かんで、柔らかい。空気を含んだ繊維みたいな温かみがあるのに、ひんやりしている。金属で、ふわふわの綿飴を作ったら、きっとこんな感じだろう。あの色味も好きだ。あたしの指にあいつの左手の指が絡まるのを想像してみる。境界面がはっきりして、決して交じわることがない。ああ、別種なんだと、はっきりわかる。

 そんなことにとても救われる。

 

 目が覚めたら、布団の中だった。真っ黒な天井を見つめたあと、身悶えした。顔を見ておけばよかった。明日、明日また。…明日か。

 朝は何よりも平等、平等で不公平。どうか、あたしに朝はきませんように。今日、世界に記録されたあたしが、明日に送られませんように。何を犠牲にしても、願いが叶いますように。

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