新しい日常、にて 2

 今日が部室の鍵当番だったことをすっかり忘れていた。バレーの練習が終わって、身支度を整えて職員室までダッシュ。制汗剤を使ったものの、これではまた汗をかいてしまうだろう。

 この角を曲がれば職員室というところで、急に現れた影とぶつかってしまった。

「きゃあっ!?」

「うっ!?」

 速度を落としていたからよかったものの、相手は廊下に尻餅をついてしまっていた。

「すみません!」

「いったーい」

 よくよく見ると、相手は生徒会長である赤城さんだった。

「大丈夫ッスか……!?」

 反射的に駆け寄って手を伸ばしたが、慌てて思い直して距離を取り直した。

「サーセンした! 急いでいて……」

「あなたは大丈夫?」

「全然平気ッス!」

 集会には遅刻するだろうけれど。

「それならいいけど、廊下は走っちゃダメですから」

 そう言って、会長は自分で立ち上がった。幸いなことに、どうやらケガはなさそうだ。

 マスクをしているから表情がわからないが、そこまで強く非難するような目つきではないのが救いだった。

「急ぎなのはわかるけど、これからは気をつけてね」

「ホントにすみませんっした」

 スカートを軽く払い、会長は去って行った。


「ついてねー……」

 会場に向かいながらも、先ほどのことを思い出してため息が出てしまう。

 別に好きだってわけでもないけれど、わざわざ嫌われることをしたいって思うほど、人生を投げ出してもいない。

「いやいや、ついてねーのは会長だっての」

 制汗剤は使っていたけれど、部活終わりの男にタックルされて廊下で尻餅つくなんて、災難もいいところだ。

 まぁ、美人で学力もトップクラスな生徒会長は、俺とは違う世界に住んでいる生き物みたいなもので、一定の距離を取って過ごしていくのがいいんだろう。

 グルグルと考えを巡らせているうちに、十数分の遅れで会場のあるビルまでたどり着いた。

 このビルの地下にあるはずだが、案内看板も何も出ていない。

 黒石にあらかじめメッセージを送っていたが、遅れても大丈夫だから入ってこいよという返事の後は、何も音沙汰がない。

 ここにきて不安が募り出したが、制服のまま繁華街で立ち続けているのも気が引ける。行くしかない。

 ライトが照らす地下への道を、踏み外さないように降りていく。その先には、黒塗りのドアに金色のノブ。

 開くと、薄暗い室内に、正面に木製の衝立ついたて。暖色のライトがぼんやりと照らしている。それを避けて進むと、

「いらっしゃいませ。チケットを拝見いたします」

 その奥にフロントがあった。

「――は、はい」

 キッチリした格好の男性は、制服姿の俺を気にする様子もない。カバンから取り出したチケットを渡すと、テキパキとバーコードをスキャンした。

「携帯電話やカメラ等、写真や音声が記録できるものはお持ちですか?」

「えーっと、はい」

「こちらを出られるまで、お預かりいたします」

「…………」

 だから黒石からの連絡がなかったのか。

 マスク越しでもわかる、有無を言わせない受付の圧力に負け、スマホを差し出した。

「ありがとうございます。では、体温を測ります」

 そう言って、手早く銃にも似た体温計を俺の方へ向けた。待つ時間もなく、体温が測定される。

「では、“マスク”の色は何色になさいますか?」

「え? えっと……じゃあ、青で」

 承知いたしました、と、男性は後ろを向いて、棚から何かを取り出した。 

「会場では今されているマスクを外し、こちらを身に付けてください。お着替えはこれからのようですので、右手の更衣室をお使いください」

 手渡されたのは鍵と、明かりにキラリと輝く青い……。

「こ、これって」

 仮面舞踏会というイベント名から察するべきだった。手渡されたのは口にするマスクではない。

「――それが、この会場での“マスク”でございます」

 これ以上の質問は無用だと、低く響く声音が語っていた。

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