第17話:After end Company ~プレジデント・オフィス~

日本で最も高いビルは、どこにあるか。

答えは、群馬県である。


高さ400メートル。2年前に完成したばかりのできたてホヤホヤな、真っ白なビルだ。

ビルの名前は『After End Company本社ビル』。ヘブンズワールドの売り上げだけで作られた事と、ビルの屋上に天使の輪の様な大きなヘリポートがついていることで『天国の塔』とも呼ばれている。


地価が安く首都にも近いと言うだけで、群馬に居を構えた『After End Company』だが、今やその会社のお陰で、群馬の地価も上がり続けている。

ビルのしたに広がる街は、まるで城の回りに広がる城下街の様に活気に溢れ、他のビルや建物も続々と出来てきている。


だが一番大きく広がっているのは、ヘブンズワールドに使用するサーバーが置いてある建物だ。

脳のデータによる膨大な個人データや、数多のワールドの状況を保存する進行データを管理するには、大量のサーバーが必要なのだ。


そしてその建物の回りにはサーバーを管理しているだけとは思えない厳重な警備が引かれている。

宗教上の理由でヘブンズワールドを潰そうとするやからもいないとは限らない。サーバーを壊されれば、会社の信用もがた落ちだ。警備が厳重なのに越したことはない。



そんな城下街を、天国の塔の最も高い部屋……社長室から見下ろしながら、ぼーっと物思いにふける男が一人いた。

黒縁眼鏡をかけた中肉中背で、黒い巻き髪の男。年は60を半ば位だろうか。


彼の名は因幡 大護(いなば だいご)。『After End Company CEO 兼 代表取締役社長』である。



「社長、聞いてますか、社長。……また考え事ですか?」


上等なスーツを着た太った男が、困った様子で訪ねる。彼はAfter End Companyの専務である。

彼と大護は古い中で、社長は一つ考え事を始めると人の話を聞かない所があるのをよく知っているので、うつつな大護に慣れた感じで話しかける。


「……ああすまない。なんだったかな」


「政府が今国会で話している内容についてですよ。今年の自殺者の数が既に前年比の280%になるそうで、それが我が社のせいだと」


大護はそれを耳にして、専務しか聞いていない事を良い事に静かに笑う。


「ああそうだったね。ははは。別に良いじゃないか。死んでより幸せな所に行けるのだから。何も悪い事なんて無いだろう」


「社長。そうは行きませんよ。もし国で禁止されたら、我が社もおしまいですよ」


大護は机に肘をつく。専務の心配など何も気にしていないように。


「心配しなくて大丈夫だよ。政治家だって死ぬのは怖いからね。僕らの会社を取り締まりなんかしないよ。それにもし規制されそうなら別の国に移ると言えばいい。そうしたら僕らの事業を取り締まる法案なんて、白紙に戻るよ。今現在、最も他国からの利益を上げている会社はうちなんだからね」


「それは……そうですが……」


専務は額の汗をぬぐう。国会で審議されているという事で、会見などを開いているが、社長は一切おおやけな場に顔を見せず、そう言った行事は全て専務が事に当たっているのだ。

なので社長がいくら問題は無いといっても、記者の前に立つ専務は気が気ではない。


それを察して大護は語りかける。


「申し訳ないね。専務。昔からそういう面倒事を全て君に押し付けてしまって。……僕はただの技術者だ。社長と言っても飾り物に過ぎない。全てはアークの導きだしね。実際、会社の運営だって君がいないと成り立たない」


それを聞いた専務がとんでもないと首をふる。


「社長。それは言わない約束でしょう。私はあなたのプロジェクトに乗っかって、あなたがやる必要の無い雑務をやっているに過ぎません」


「……すまないね。これからもよろしく頼むよ。もし僕が死んだら、その日からここは君の会社でも僕は構わないよ」


「社長。私の方が年上ですよ。私の方が先に死にますよ。ははは……おや、もうこんな時間だ。会議なのでこれで失礼しますね」


大護は手をヒラヒラと振る。


「ああ、頼んだよ。またね、専務」


専務はお辞儀をすると、部屋から出ていった。



一人残された社長室で、大護はまた窓から城下街を見下ろす。


「全く、よくここまでになったものだ」


誰に聞かせるつもりもない、独り言だ。


彼の目には覇気は無く、世界でも指折りの大富豪であるのに、そのオーラの欠片もない。

彼にはもう目標が無いのだ。やるべき事を全てやったのだから。

自らに望むものは何もなく、己の為に願う事は何もない。死すら待ち遠しい……そんな状態だ。



大護は最近、これまでの人生をよく振り返る。



頭に浮かぶ始まりは、ちょうど30年前、いつも妻が死んだ所からだ。

その時の大護は、発展途中だったAIの研究者だった。


まだ大護が30代半ばだった頃、彼の愛していた妻は心臓病で、彼を残して亡くなった。


何より大切な人の死だったが、大護には悲しんでいる暇はなかった。

妻が遺した、まだ生まれて1年の娘がいたからだ。


男手一つで、娘を育てるのは大変な事だったが、全く苦ではなかった。

娘は妻にとても似ていて、よく笑い、よく遊び、よく寝る、天真爛漫な子供だった。

妻の忘れ形見の娘を、大護はとても大切に、大切に育てた。


だが、娘が5歳を越えた頃、娘に一つの異常が発見された。

妻の心臓病が娘に遺伝していることが分かったのだ。


それからは一転、生きていることが苦しくなった。

娘の心臓病の進行はとても早く、7歳になる頃には病院から出ることもままならなくなった。

それでも笑顔を絶やさず、父の事を気にかける娘を見ると、大護は妻の最後を思い出さずにはいられなかった。彼の妻も死に貧したとき同じように笑っていたのだ。


彼は来る日も来る日も泣きながら必死に娘を助ける手を探したが、病状が良くなる事はなかった。いくら金を払っても、どんな治療を試しても一切効果は出なかった。


何より辛いのは笑っている娘の目の下に、泣いた眼の腫れがいつもある事だった。



娘が12歳を越えた頃、大護はある事を思い付いた。

AIの技術を応用し、娘の意識を機械に移し、機械の体で延命させるという方法だ。


それから大護は研究に没頭した。

寝る間も惜しみ、悪魔に取りつかれた様に働き続けた。


それに伴い娘と会う頻度も減った。

娘に会えないのは辛かったが、娘の苦しんでいる姿を見たくなかったという想いもあった。


それが一生後悔する。いや後悔してもしきれない出来事の切っ掛けだった。



娘が17歳になって、しばらくした頃、彼の勤める研究室に一本の電話が入った。

それは娘の容態が急変したという病院からの電話だった。

研究に没頭するあまり、一ヶ月近くも娘と会っていない日の出来事であった。



大護が病院につくと、娘は既に亡くなっていた。看護師曰く、最後の言葉は「お父さんに会いたい」だったという。



殆どの時間を病院で過ごし、やつれはて、最後の1年は身を起こす事さえできなかった娘の……最後の時にさえ居てやれなかった事を彼は悔いた。

そして彼はひとしきり泣いた後、何を思ったか娘を冷凍保存することにした。


その時の大護は誰が見ても狂っていた。

娘を機械の体にしようとAIの研究を続け、娘の葬式も行わずに冷凍保存を行い、娘を生き返すと公言してはばからないのだから。


それからの大護はさらに人が変わったかのように研究に入れ込んだ。

研究室に入り浸っているのに、彼が寝ている姿を見たものが居ないほどの入れ込み様だった。


娘を生き返す猛執にとりつかれ、死ぬ手前まで働き続ける彼に近寄るものは次第に少なくなっていた。

既に彼は狂人と化していたのだ。


口を開けば『人の脳をAIにする理論』やら『死を克服する方法』など常人には理解できない事ばかりを言っていた。


そんな大護は誰からも見放され、研究室をもクビになった。

それでも彼は娘を生き返す為に、私財を投げ売って研究を進めた。研究所のデータも秘密裏に盗み出した。


人の脳をAIに落とし込む研究も進み、身元不明の死体を金で買って研究に使うなど、法に触れる様な事も何度もした。



娘を甦らせる為なら、なんだってやった。生き返らせる為ならどんな事も些事に思えた。

その時の彼は完全にイカれていた。



だが、何年も研究を重ねた結果、人類の脳を模倣したAI『アーク』が完成した。

アークは人間の脳が持つ『成長』の能力を持ちつつ、人間を遥かに凌駕した知能を持つAIだった。



そこからは、研究は一人ではなくなった、アークと共に二人での研究生活が始まったのだ。


大護はアークと話し合い、当初の目的を変更することにした。

彼は妻と娘を失い、仕事も無くし自分の命さえも削りながら生活する中で、この世界が嫌になっていた。


こんな世界に娘を生き返しても、娘は喜ばないと考えたのだ。


そこで考え付いたのが、『天国を作り出す』事である。

人の脳を取り込み、データとして幸せな仮想現実の世界で暮らして貰う事で幸せになって貰うという方法だ。


脳のコピーであるデータが、人の魂を持つのかという考えは彼には無かった。

彼は神も魂も信じておらず、脳の『意識』と『記憶』こそが、人を人たらしめる要素だと考えていたからだ。



アークは人間の何倍も賢いが為、それからは金に困る事は無くなった。まずは投資で大金持ちとなった。

また、アークとの研究は今までとは段違いに進みが早く、人の脳をAIへと変換する技術も完成した。



そしていよいよ、天国となる仮想空間……『ヘブンズワールド』の製作に取りかかった。

アークの指示に従いながら、ヘブンズワールドを作る事業に必要なメンバーを集め出した。



専務もそこで出会った人の一人だ。専務はチームの人心掌握に長けた人間だった。


そして数年後、集めた優秀なメンバー達、そしてもちろんアークの力があってヘブンズワールドは完成した。


集めたメンバー達には、アークの指示でヘブンズワールドはビジネスのために作ったと言っていたが、本心は変わっていなかった。

全ては娘の為だった。ヘブンズワールドに数多の人間を呼ぶのも、娘に人間の友達をつくってもらいたいが為にだった。


それに大勢の脳を吸収すればするほどアークは進化していった。まさにアークは天国をしきる『神』だ。

アークが進化するほど、新たなワールドの創造もできるし、美しさや面白さや感動などを理解するえる能力も多く得られた。



大護は、ヘブンズワールドが起動して4年経った時、満を持して娘の冷凍保存を解き、その脳をヘブンズワールドへと送り込んだ。

4年間に集めた人間は彼にとっては安全を確かめるためのモルモットに過ぎなかった。



そして計画は完全に成功した。

娘はヘブンズワールドで生き返り、第二の生を歩み出した。あれ程嬉しかったのは、娘が生まれた時以来だった。

とは言っても、大護は何を話していいかわからず、あまり会話は出来ていないのだが。


目的を完遂した時、気がつくと会社はとてつもなく大きくなり、金も無限に手に入る様になっていたが、彼にはそんなもの興味はなかった。


精魂燃え尽きたのだ。彼にはもう何も残っていなかったのだ。たった一つのモノを除いて。



「なぁ、アーク……娘は元気かな」



一日一回必ず訪ねる質問だ。彼に残されたたった一つのモノとは生き返った娘だ。娘の幸せを願う感情だけが生きていた。

ヴーンという音と共に、彼の机の上のパソコンが勝手に起動する。そこに青白いシルエットの男が写し出される。アークだ。


「大護、あなたの娘は今日も元気です。元気すぎて回りから引かれる程に」


アークは人間の脳から作り出したAIなだけにユーモアを解する。アークの返答に大護は笑う。


「良かった。元気ならそれでいい。僕も早く、娘に合いたいな」


「大護、それはダメだと娘に言われているでしょう。『自分の生きれなかった世界を楽しんで、精一杯生きてもらってから死んでほしい』と、娘さんが言っていたのですから」


大護は苦笑する。アークから何十回も聞いたフレーズだ。

アークは大護がやって来た事をなんと娘に話してしまい、父が自殺を考えている事を直感で感じ取った娘は『お父さんに伝えてほしい』とアークに伝言を残したのだ。


「楽しんでって言われてもなぁ……何をすればいいのやら」


「では、娘さんと話を会わせるために、乗り物の運転でもされるのはいかがでしょう?」


大護は思い出す。そういえばベッドの上でしか生活できない娘は、どこにでも行ける乗り物にとても憧れていた。


「車とかかな?」


「最初は車で、オートバイ、ヘリやセスナと段階的にやっていくのです」


大護はため息をつく。娘は相変わらず妻に似てる。大護はスピードの出る乗り物は苦手だが、妻はバイクや車がとても好きだった。


「……他の楽しみを見つけるよ。……なぁ、アーク、いざ会う時に……僕は娘に嫌われていないかな。僕は娘の死に目にも会いに行ってやれなかった。恨まれて、ないかな……」


これは始めてアークにする質問だ。娘に嫌われている事実を知る事を恐れて、一度も口にした事が無かった。


聞いてから、帰ってくる答えが怖くなり、大護はデスクの上に置いてある瓶から、棒つきキャンディーを取り出して口に放り込んだ。

技術者時代から続いている癖だ。頭に糖分を送る為、彼は棒つきキャンディー……それも好きなラムネ味をいつも舐めていた。


「大護。あなたは嫌われてなんていませんよ」


「…………そういえば、君は娘の頭の中が覗けるんだったな」


「いいえ、そんな事せずとも、見ていれば分かります。ラムネ味のキャンディー……あなたの娘も、いつもそれを舐めています。大好きな父親のマネをするように。……運営で働いているのも大護への恩返しのつもりでしょう」


大護はポリポリと頭をかく。

娘が、せっかく作った天国で遊ばないで、名字を隠して運営で働いていると聞いた時は、自分への反抗だと思っていた。


帰ってきた答えは嬉しいが、かなり気恥ずかしいものだった。

だがこの答えは、大護の考えを一変する大きな言葉だった。



大護は改めて街を見下ろす。

豆粒のような人々が、沢山イキイキと動いている。そういえば自分が最後に楽しいと感じたのは何時だっただろうか……思い出せない。

こんなんじゃ娘に合わせる顔がない。アークの言うとおりどうやらまだ娘に合うには早い様だ。今会えば、本当に娘に嫌われてしまう。


せっかく金が使いきれない程あるのだ。それでこの世の楽しさを思う存分満喫してやろう。

それを元に新たなワールドを作り上げ、娘にも楽しんでもらうとしよう。


彼の目には長く、とても長く失われていた光が再び灯っていた。



ああ、生きるのが楽しみだ。そして、死ぬのも、楽しみだ。



因幡大護は口の中のキャンディーをカランと転がしながら、そう思った。







【 プレジデント・オフィス編 完 】

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