サイコシルバー

ファイル001 突撃! 婚活サイト

 恋愛がしたい。

 五年前の先輩が、夫も子供も居るにも関わらず言ったその言葉を、花村繭里はなむらまゆりは思い出していた。


 ――やだな先輩。あんなに素敵な旦那さんをもらっといて。


 順調な家庭を築いた先輩が、どうしてそんな事を言うのかわからないまま。それを一種のボケと解釈したので、繭里は突っ込みを入れた。

 けれど、それは違ったらしい。


 ――結婚するのってね、ある意味では一つの失恋なわけよ。

 ――恋人だった人が家族に――言い換えれば“同居人”になる。

 ――だから、また付き合いはじめの刺激がほしいから、不倫なんてものが起こるのかもね。私はしないけど。


 何となく、理屈はわかったつもりだった。

 けれど、先輩ほどのおしどり夫婦でもそれくらいの感傷はあるものだろう、と軽く考えていた。

 その後ほどなくして、繭里自身も最後の(と決めた)恋愛をし、結婚した。

 そして今に至り、先の先輩の言葉が脳裏をよぎったのである。

 今度は、その言葉の真意がしっかりと実感できた。

 彼女の結婚は、恐らく失敗だった。

「やり直せたら、な……」

 その寂しい呟きを耳にする者は、誰も居ない。

 

 

 

 婚活と言う言葉が世の中に浸透してきた。

 パーティしかり、SNSを利用したマッチングサイトしかり、まだ見ぬパートナーを求めて無数の男女が彷徨う時代がやって来た。

 そんな世情にあって、一つのマッチングサイトがオープン。話題を呼んだ。

 "婚活サイト・リトライライフ"。

 人生のやり直し、とでも言う名のそれは、真っ当なサイトでは無かった。

 何故なら、このサイトに登録する条件とは"既婚者であること"なのだから。

 当たり前の事だが、婚活と言う言葉は未婚の者だけに許された事である。配偶者が居ながらにして婚活現場に赴くは、不倫相手を探す事に他ならない。

 だが、リトライライフは違う。

 サイトを立ち上げた張本人・南郷愛次なんごうあいじは、確信に満ちた眼差しでパソコンのディスプレイを見詰めていた。

 円満で悔いの無い夫婦であれば、こんなサイトには見向きもしない。

 いや、どんな夫婦にでも多少なりとも不満はあるだろう。しかし、こんな胡散臭いサイトにすらすがり付かねばならない者こそが、今、救いが必要な人物だ。

 リトライライフの登録者数は、全国で五万人に届こうとしている。

 南郷は、管理者権限によって登録者の情報データベースを開く。そして、別のアプリを起動して、およそ五万人の情報を瞬時に分析。

 ネットの匿名性が無くなってきた現在。

 昔のいかがわしい出会い系サイトと違って、今の婚活サイトは現実の個人情報をそれなりに要求する。だから、登録者の身元もかなり信頼できるようになっていた。

 それでも怪しい業者の回し者や冷やかし目的の登録者は一定数居る。これを分析アプリでふるいにかけ、すげなく抹消。

 南郷はかつて、人間の心を正確に読み取る人工的な読心プログラムを作り上げたほどのオーバーテクノロジーなプログラマーでもある。

 そのシステムを応用したこのアプリの信頼性は完璧であった。

 また、真面目な登録者であっても、(喧嘩などによる)一時の感情で登録した者や、“一定値以上の迷い”のある者も例外なく看破し、強制退会させた。

 そうした人達がこのサイトを使って今の配偶者と別れれば、きっと後悔する。

 南郷がこのサイトを用いて救うべきは、本当に追い詰められて退きならなくなった人だ。

 そこまで条件を絞り込めば、該当者は数えるほどしか残らない。

 後は強いて選ぶ必要も無い。ヒーロー結社を通して各地方の他ヒーローに呼び掛け、解決を依頼。

 そして南郷自身は、自分の足で行ける範囲の登録者を助けに行く。

 花村繭里。

 最初に見つけたのは、三十歳の女性。結婚三年目、両親とは別居、子供は無い。

 彼女が書いた自己紹介文の記述からその"本心"の文法を精密に読み解き、南郷は、その苦しい胸の内を余すところなく悟った。

「可哀想に。すぐにでも助けてあげなければ」

 居ても立っても居られず、彼はチェザレ・アットリーニの白スーツを脱ぎ捨てつつ、クローゼットを開け放つ。

 そこにあるのは、銀色がまぶしいオペコットスーツ。

「変身ッ!」

 サイコシルバー、出動。

 

 

 

 午後六時。

 家に居ると言うのに、繭里の神経が最も張り詰める時間帯。

 七時過ぎに帰宅する夫を迎え入れる為、夕食を作成しなければならない。

 およそ二四時に床について夫が眠りに落ちるまで、安息は無い。

 全方位的に、完璧に振舞わなければならない。

 いや。

 この家庭と同じ条件に立たされて、一体何人の奥様がたが、そのノルマをクリア出来るものか。

 今日は特に、自嘲の笑みが浮かんだ。気を抜けば、泣きそうにもなる。

 必死の手際で、栄養バランスと夫の好みを考え抜いたメニューを作り上げ、あっと言う間に七時十五分。

 かちゃり、と玄関のドアが開いて、夫が声も無く帰宅。

「おかえりなさい」

 返事の無い、一方的なそれを声掛けし、

「ご飯、もうできてるよ」

 もはや無味乾燥なルーチンと化した言葉で迎え入れる。

「……はぁ」

 聞こえよがしに大きなため息に、繭里の背中がびくりとはねる。

 もう、骨の髄まで染み込んだ恐怖である。戦時中の空襲警報、と喩えればわかりやすいだろうか。

「そうか、こんだけ疲れて帰って来てんのに気遣いの言葉は何も無しか」

「ぁ」

「いいよいいよ、言われてからの気遣いなんて、意味無いし。あーあ、家族って何なんだろうな」

 また会社で嫌な事があったのだろう。

 彼は、開口一番……早すぎも遅すぎもしないタイミングで、繭里に悟って欲しかったのだ。

 それに勘付くのが遅れてしまった。これは、相当の失点だ。

 家庭がどういう状況にあろうと、そこの住人は栄養を摂取しなければならない。二人は、食卓についたが。

「何? ポークソテー? どこ産よこれ」

「ちゃんとした、県内産の……」

「はぁ!? 国産かよ! 何、無駄にお高い肉買ってんの? 俺の給料、そんな余裕あるって言ったっけ?」

 昨日、アメリカ産の肉を使って責められたばかりだ。

「なんかさ、ほんと変わったよな繭里って。結婚する前はもっと――」

 過去の自分を美化してくれているだけ、このあたりの物言いはまだ救いがあった。

 けれど、そんな事は何の慰めにもならないので、繭里の耳は彼の言葉を脳に伝えない事にした――のだが。

 

「やっぱ、元カノの香奈実のが良かったわ。あの時、あっちとうまく行ってれば――妥協してお前なんか選ばなかったのに」

 

 ――。

 この瞬間、繭里の“採点”は強制終了した。

「悔しいが俺もモテる方じゃないし、分を弁えたらお前レベルのしか残らなかったって言うね「別れてください」

 ……。

 ……、……。

 …………。

「は?」

「離婚してください。あなたとはもう、一緒にいたくないです」

「なに、何言ってんの? は? ねえ、もう一回聞かせてくれないか」

「離婚してください」

 そうして、まるで出来の悪いテレビドラマのように、離婚届を突き付けた。

 それだけでも、決死の覚悟だった。

 この男が逆上して、殴られはしないか。殺されはしないか。

 この男は狡猾な手合いで、これまで傷の残る強さの暴力は受けた事が無い。

 だからこそ、一線を越えてしまったら平気で死ぬような事をして来そうな予感もあった。

 だけど、今は――。

「テメェ、自分が何言ってんのかわかってるのか!?」

 椅子を蹴り飛ばし、男は飛び上がる。

 眉間を歪め、憎々し気に唇を吊り上げて。

 だけど、今は――。

 心強い、味方が居る。

 

 玄関のドアが、蹴り破られる――いや、最早粉砕されたと言って良い――破砕音と金属の叫喚が轟いた。

 


 暴音で呆気にとられた男をよそに、五人の人物が、この一般家庭の茶の間に闖入ちんにゅうしてきたのだ。

 黒い。

 突入して来た男達を見て繭里が思った言葉は、ただそれだけ。

 笑えるほど律儀に、喪服のような黒ずくめをした男達。

 安っぽい洋画で大統領でも護衛していそうな――もしくは、任侠映画で暴力団の幹部でもやっていそうな――絵にかいたような偉丈夫達だ。

 ただ、その中に一人だけ、更に異彩を放つ存在。

 銀色のオペコットスーツで全身を覆った、特撮ヒーローそのものが、スーツ姿の男達に混ざっていた。

「そこまでですよ、旦那さん。もう、貴方達二人の夫婦生活は終わったんですよ」

 どこからどう見ても不審者のそれでしかないヒーロー気取りの声色は、思いのほか柔和で優しく――なのに、有無を言わさぬ凄みがあった。

 

 おめでとうございます。あなたは“特別マッチング”の対象者として選ばれました!

 運営本部より、あなたが半年以内

に別の人と婚約出来る事を確約いたします!

 

 その胡散臭いにも程があるメッセージを受け取ったのが、つい一昨日。

 そして昨日、直接サイコシルバーと会って、面談した。

 そんな眉唾物極まりない怪文章にすら縋らなければならない程、繭里は追い詰められていたのだ。

 

「奥様にとっては、今夜が最後のチャンスだったんですよ。貴方に与えるチャンスでは無く、夫婦二人としてのチャンスと言う意味でね。

 今日、彼女は貴方の言葉全てを“採点”していた。ここで赤点になれば、離婚を決意しよう、と」

 今回、サイコシルバーには一言もそんな事を打ち明けていない。

 恐ろしい人だ。繭里は、ぼんやりそう思った。

 そして。

 この期に及んで、最後のチャンスなどと淡い期待を抱いていた、自分の未練を自嘲した。

「第三者だからこそ言わせてもらいますけどね。貴方のそれは、本当にひどい言いぐさですよ。

 恋をして、家族になった。その事を後悔しているだなんて……仕方なく選んだなんて、人として死んでも言ってはならない事だった。

 そんな暴言を、どうして何の疑問も抱かずに吐けるんですか?

 ……いいえ、返答は結構。

 つまるところ貴方は、この状況に慣れ切っていた。何を言っても彼女が受け入れてくれる、この惰性に。

 彼女を“いらないもの”扱いしながら、いざ別れを告げられて焦っている、貴方のその姿が良い証拠だ。本当に歯牙にもかけない相手であれば、別れを告げられた所でそこまで狼狽するはずもない。

 貴方が欲しかったのは彼女じゃない。"全てを許してくれる彼女"だったんだ。

 そして。言葉と言うツールが持つ力――殺傷力――を、貴方はとっくの昔に忘れ去っていたんだ。

 いえ、何なら、幼年期からそんなもの、持ち合わせていなかったのではないですか?」

 一般的に“殺す”という言葉が禁句で、時には法律で裁かれる事があるのは、ただ“人を傷付けるからよくない”という曖昧な理由ではない。サイコシルバーは、そう考える。

 お前を傷付け命を奪う。

 その文章を発声した時点で、その人は殺し合いの土俵をその場に作り出した。本来なら、それほどの覚悟を持たねばならない言葉なのだ。

 殺すと言う言葉の大半が戯言として許されるのは、ひとえに受け手の温情があってこそ。

 勘当や解雇クビと言う語句に入れ替えても、支障は無い。

 この男は、繭里の、妻としての尊厳を、言葉によって殺したのだ。

「南郷組、って知ってますよね? ニュースとかで悪いヤクザの代名詞みたいに扱われてるアレ。

 今日、ここに来てくれた彼ら四人は、その武闘派でもトップエリートな方々でして。

 おっと、信じないなら結構です。でも、彼ら四人の体つきを見たら、南郷組であろうが無かろうが、貴方にとっては同じですよね?」

「何だよ、暴力で脅して、離婚させようってか!?」

 ――ここは法治国家・日本だ! 警察に言ってやるぞ!

 相手の言葉の文脈から、サイコシルバーは、言外の思考までもを読み取っていたが。

「いいえ、俺達が救いに来たのは繭里さんじゃない。貴方がた夫婦二人ともだ」

 

 

 

 下村彩芽しもむらあやめは、人生に倦んでいた。

 理想的な夫だった。

 優しく、頭もよく、理念がしっかりしていて、一流企業の主任でもあり、将来を嘱望されている。

 だから、だ。

 ――私、このまま終わるのかな?

 彼女が満たされる事は、永遠に無い。そう、思われていた。

 

 

 

 サイコシルバーは、リトライライフの管理者ページから花村繭里の退会を確認した。

 一仕事、終えた。

 言葉の文脈から、本人も自覚していない本心を看破する。疑似的な読心超能力テレパスの域に達したサイコシルバーのセンスをもってして、現状に不幸を感じている夫婦を探す。

 そして、別れさせる。

 そして、バラバラになり“独身状態”に戻った男女の中から適切な組み合わせを選定し、紹介する。

 やがて彼ら彼女らは、再婚に至る。

 それが、既婚者専用婚活サイト・リトライライフの真の目的。

 旧姓:花村繭里には、彼女を最も尊重してくれる――そして、彼女を尊重する事に最も喜びを感じる――男性を紹介。サイコシルバーの宣言通り、来月には婚約が叶いそうだ。

 そして繭里の元夫である花村氏には、夫が優しく頼れ過ぎるが故に心が死にかけていた女性、下村彩芽を組み合わせた。

 こちらも、とんとん拍子で婚約の話が進んでいると言う。

 要するに。

 繭里の元夫である花村氏が求めていたものとは、母親に相当するそれ――無私の愛情だったのだ。

 言葉も喋れぬ赤ん坊は、泣き喚き、怒りを爆発させる事でしか、周囲に助けを乞えない。

 そして母親は、言葉を交わさずして、我が子のサインを受けとり、的確に対応しなければならない。

 それが出来なければ、赤ん坊とはあっけなく死んでしまうものだから。

 他人は母親ではない。そんな当たり前の事を、知り損ねたまま大人になってしまう人は相当数いる。

 だから。

 自己なんていらない。誰かに喜ばれたい。八つ当たりさえも愛おしいと思えるほどに。

 そんな気持ちを持て余したパートナーをくっつければ……ほら。

「皆、幸せになった。本当に良かった」

 南郷は、無事に調剤を終えた薬剤師のような安堵で、罪の無い微笑みを浮かべていた。

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