ファイル003 モンスター教師と陰謀を打ち砕け!
市立
ほぼ満席にも関わらず、しんと静まり返った三年二組の教室。
黒板には大きく乱暴な筆跡で、こう烙印されている。
学級裁判
「はーい、被告人・
嫌らしい朗らかさで宣告したのは、このクラスの担任・
久米島は俯き加減に立ち上がり、忠実に前へ進み出た。
「お前の罪状は、窃盗罪だ。これに間違いないな?」
踏みにじるような足取りで、前河教諭は被告人の男子生徒に近寄るが。
「僕は、何も盗んでませ」「しらばっくれんなや、コラ!」
前河教諭が教壇を蹴りつけると、久米島の背筋も勢いよく跳ねた。
「お前のやった事は、間違いなく窃・盗・罪・なの。窃・盗・罪」
久米島は、それでも頭を振る。
「僕の荷物、調べてください……。何も盗ってない」
「あのさぁ久米島よぉ、"返したから罪はノーカン"って、そりゃまさしく万引き犯の常套句なワケ。わかる?」
「……」
「やってしまった事は認めろよ。でないと、クラスみーんな、いつまでも帰れないぞ?」
教壇に立つ久米島へ、クラスメイト全ての視線が突き刺さる。
ある時から前河教諭が始めた、この学級裁判制度。被告人が罪を認めない限り、閉廷する事はまず無い。
過去にはクラス全員、夜の九時まで残された事もある。
この前河教諭に対しては、どうしたわけか、生徒の親もPTAも手出ししない。そのあまりの不自然さに、前河の背後には大きな組織が付いている、と言う稚拙な噂すら立っている。
とにかく、である。
この教室では前河がルール。久米島が窃盗の罪を認めない事には、今日も九時帰りになりかねない。
部活動に打ち込んでいる生徒にとっては、尚更迷惑な話だった。
――さっさと認めろよ。
その空気が飽和状態に達して、
「僕が、やりました」
自供が成立。
「よーし。わかった。じゃあ陪審員、判決を!」
「有罪!」「有罪!」「有罪!」「有罪!」「有罪!」
「有罪五名。刑を言い渡す。一週間の"休学"処分、および、新聞部は久米島の罪状を漏れなく周知させるように!」
ふっ、とクラス全体の空気が解れた。生徒たちは何事も無かったかのように帰り支度を始めた。
およそ一ヶ月後。
「被告人・
「何でっ、オレが」
「お前の罪状は、侮辱罪、名誉毀損……あとぉ、暴行罪も付け足して
「はぁ!?」
「お前はッ!」
前河教諭は教壇を力一杯叩いた。
「この二週間以上、久米島を執拗にいびり、あいつに対するあらゆる悪口を浴びせ、ネットで嘘も拡散した!」
教壇へ強かに打ち付けられた掌が痛い。だが、心はもっと痛い。いじめられていた久米島は、もっともっと痛かったんだ。前河はそう信じている。
「見ろ、とうとう久米島は学校に来なくなった!」
指差した席は、空席だった。その足元には、先程、前河が叩き落とした花瓶が転がっている。
「先生も言ってたじゃんか! 久米島は犯罪者なんだろ? 裁かれて当然だって」
「テメエは万引き犯見つけたら、そいつの頭をカナヅチでカチ割るってのか? あぁ? 社会ナメんなよクソガキ。この世のルールは法律だけであって、一個人が好き勝手にリンチかまして許されるなんて事は無いんだよ」
嘆かわしい、と前河は天井を仰ぐ勢いで嘆いた。
「お前のした事は、久米島の心を――ひいては脳を傷付ける暴力だ。先生はお前を許さないからな」
「……、……、…………罪を認めます」
岩田は、先の久米島よりは往生際を弁えていた。
「当たり前だタコ。お前には陪審員すら要らん。お前
魔女裁判でも判決と言う手順は踏まれていた気がするが、前河の知る所では無かった。
「ちょ、おい、そんな馬鹿な事」
「将来の夢は弁護士だ? いじめの主犯格が、笑かすな。先生が、お前の進路を断固食い止めてやるからな」
これにて、閉廷となった。
岩田の目の前も真っ暗になった。
前河には、そんなバカげた脅しを現実に実行するだけの力が、何故だかあるから。
トリニティ
現在、日本の新興宗教としては最も有力な教団である。
その最高指導者である“メシア・
「ご苦労様です、伝道師・前河よ」
前河教諭は跪き、メシア・栄心に対して頭を垂れた。
「“布教活動”は、順調ですか」
メシアが優しく問うのと対照、前河は溢れんばかりのエネルギーを漲らせて応じた。
「はい! 我がクラスではほぼ“いじめ問題”が消滅しつつあります。これもひとえに、メシアの御力あっての事。
ゆくゆくは、私の担当クラスのみならず全学年、全校のいじめ撲滅を目指してまいりますので、引き続き御力添えをお願いします」
前河教諭が独断で行っている、学級裁判。
それは、生徒間によるいじめ問題を完全に消し去る為の、儀式であった。
例えば“窃盗犯”として裁かれた久米島友也。
彼は元々、特定の生徒をいじめていた。
相手が持参していた――母親手作りの――弁当を鞄から抜き取ってはゴミ箱に放り込み、靴を隠し、教科書を隠して勉強出来なくした。
久米島による被害者は、これまでで三人。いずれも現在、登校拒否となっている。
前河が思うに。
いじめと言う言葉そのものが、そもそも間違いなのでは無いか。
久米島のように他人の物を奪えば、それは窃盗。
言葉で久米島を傷付けた岩田は、侮辱罪、名誉棄損罪、それで久米島の体調が崩れれば暴行・傷害罪。
生徒間の犯罪行為の全てが“いじめ”という大きくて曖昧な概念に包まれているから、学校の中はまるで治外法権では無いか。
これ以上の悲劇を生まぬためにも、メシアは前河に、この布教活動の使命を与えてくれたのだ。
「素晴らしい事です。貴方の行動は私も、そして黒神様も見ています。
貴方の姿が全国の教師の模範となり、この国からいじめによる悲劇が消え去らんことを祈ります」
「ぁ、ぁぁ……」
前河は
何と、何とありがたい。何と、勿体無い!
教団には、もっと、財界の重鎮や著名な作曲家だって居る。
なのに、こんな、一介の中学教師に過ぎない自分に、メシア自らが使命を与えて下さる、ねぎらって下さる!
信者冥利に尽きるとはこのことだ。
トリニティ黒神教が急成長したのは、実はここ三年以内の事である。
前身の“トリニティ教”時代からそれなりの規模で信者は居たのだが、黒神教に生まれ変わった今の比にならない。
教義のベースがキリスト教であるのも、元々の苗字である“家須”にこじつけただけであり、深い意味も無かった。
それが、メシアはある時、本当に“神”の言葉を聞いてしまった。
血肉を備え、肉声で啓示を下さる、黒き神。
今日もまた、神はメシアの元へやってきた。
全身を黒いオペコットスーツに包んだ、特撮ヒーローのような姿の神が。
「おお、我らが父たるサイコブラックよ」
メシア・栄心は枯れ木のような体を震わせ、焦点の合っていない眼差しで、サイコブラックを崇めた。
そして、供物のごとく、書類の束を捧げる。
「今月の、成果でございます」
「どれどれ……」
サイコブラックは、渡された書類を手早く読んでいく。
時には考え込む素振りを見せ、時には満足そうに頷き。
それらの書類は、メシアが教団の信者に行わせた“善行”のレポートであった。
そこに嘘は、一切あるまい。サイコブラックは、メシアを信頼しきっていた。彼は、自分に嘘を吐けるような人では無いからだ。
だが。
「……何、これ?」
サイコブラックの声が、不愉快な抑揚になった。
「何、と言いますと?」
メシアは、呆けたように返す。
「匡仁中学校の教師、前河光輝の事だよ。何だ、これ」
サイコブラックは、不愉快そうな造作で書類をぶちまけた。
「ぁ、ぁぁ……」
メシアは、たちまち絶望に打ちのめされ、腰砕けになった。
「貴方たちは、よってたかって子供を力で支配して……こんな事を、嬉々としてやっていたのか!?」
真心からの怒り。
確かに、いじめは許されない事だ。
それを消し去ろうとする事、それ自体は良き理想かも知れない。
だが、この手段は何なのだ。
学校に行けなくなった久米島友也の為に、未来を閉ざされようとしている岩田和重の為に、サイコブラックは怒りを露わにした。
こんな、こんな事を平気でさせる人間だったのか、メシア・栄心。
いや、改造人間003番!
「僕はもう、貴様に何も言わない。何も、言葉をかけない」
ヒーローは、踵を返した。まず今から、モンスター教師・前河を成敗しに行かねばならないからだ。そしてもう、メシア栄心とは会う事も無いから、ここに居続けても仕方が無い。
この教団には、過去の詐欺行為を罪状として、明日にでも潰れてもらう事に決めた。
それが“黒神”としての意思。
トリニティ教の教祖を改造し、教団そのものにもテコ入れをしたのは、サイコブラックがもっと能率的に正義の活動を行えるようにする為だった。
メシア・栄心こと改造人間003番が無数の信者に正義の代行を行わせれば、世の中がもっと良くなると、そう信じていたから。
だが、結果は悲惨なものだった。
やはり、改造人間が改造した――サイコブラックを“親”とするなら、孫・改造人間とでも言うべき――人間では、こうなってしまうのも無理は無いのかも知れない。
情報の伝達とは人数を介すほどに不正確になっていくものなのだから。さもなくば、伝言ゲームなど成立すまい。
あるいは聖書の通りなのかも知れない。
神を崇めるあまり神の教えを忘れた人々は、例外なく罰を受けたのだ。
「あ、ああ、アあぁアア嗚呼あああぁあァ!?」
既に壊れ始めた改造人間を放棄して、サイコブラックは夜闇へと舞い戻った。
「フハハハハハ!」
カルト教団によって狂わされた平和を、このサイコブラックが正してくれる!
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