第11話

 翌日から、泰明と昌克は目が回るような忙しい日々を送った。

 共存派の魔物達や警官隊と共に、条件に該当する者の保護や過激派のアジト捜索などに奔走し始めたからだ。

 さらに、楓の訓練指導も怠ってはいない。


(楓の奴……かなり動けるようになってきたな)


 慣れるための訓練を始めてから五日。

 泰明達の指示に従って素早く走り、跳び、空中回転する。

 まだ完璧とまでは言えないが、力加減に慣れてきたようだ。

 驚異的な身体能力と五感に振り回されることなく、縦横無尽に動く楓を見ながら泰明は思った。


(あそこまで滑らかに動けるなら、戦闘訓練に入っても問題ないな)


 両腕を組み、心の中で続ける泰明。


(それにしても凄い身体能力だ……俺や昌克を上回っているぞ)


 どう考えても尋常ではない。

 楓は一体、何をされたのだろうか。


(過激派が具体的にどんな実験をしていたのか気になるが……今は訓練指導に集中するべきだ)


 そう思った直後。

 泰明は自分の隣へ顔を向け、口を開いた。


「昌克。もう楓は戦闘訓練に入れると思うが、どうだ?」

「確かに、そろそろ頃合いかもね」


 泰明の意見に同意すると、昌克は楓に対して言った。


「休憩にしよう、楓ちゃん。いよいよ戦闘訓練に入るから、しっかり休んでね」

「はい!」


 元気に返事をすると、楓は壁際へ向かい、背中を預けて座り込んだ。

 そんな彼女を静かに眺めながら、泰明は呟いた。


「まずは楓の適性や長所を見極めて、それに合った戦法を伝授するとしよう」

「長所か。だったら素早さと身軽さだね。凄まじい身体能力の中でも、この二つが特に際立っていると思う」

「ああ。あれだけの高速移動や高速跳躍ができるなら、格闘技を覚えさせれば相当な使い手になれるだろう」


 泰明は実際に道場を開いている身。

 もちろん、格闘技を教えることは極めて得意だ。


「他にも覚えさせなければならないことは……山ほどあるがな」

「そうだね。いちいち挙げていけばキリがないよ」


 闘争において、身体能力と戦闘技術だけが重要なのではない。

 素早く危険を感じ取る鋭さ、相手の動きや考えの予測、状況の的確な見極め方など、実に様々な要素が勝敗を左右するのだ。

 

「組み手とかもやるのかい?」

「実際に戦ってみないと分からないこともある。言うまでもないが、手加減することが前提だぞ」


 泰明達は強い。

 身体能力で劣っていようと、実戦経験や技量では楓よりも遥かに上。

 本気で組み手などしたら、殺す気がなくとも死なせてしまう可能性が高い。


「分かっているよ。そこまで馬鹿じゃないさ」

「なら良い」

「彼女を死なせてしまったら本末転倒だし、僕だってそんな事態は絶対に嫌だからね」


 言うなり、昌克は静かに顔を上げた。

 視線を向けているのは、訓練部屋の中に設置された時計だ。


「三十分ほど休憩してから、やろう」

「そうだな」


 会話を終えると、両者は全身の力を抜き、その場に座り込んだ。



 ※※※



 大勢の男女が周囲を見渡しながら歩き回り、何台ものパトカーがサイレン音と共に走っている。

 その光景を、ビルの上から静かに眺める者達がいた。

 達也と雪華だ。


「パトカーの数も、パトロールに出ている共存派や私服警官の数も、以前の倍ぐらいになったね」

「当然だわ」


 達也の呟きに対し、雪華は冷静に言葉を返した。


「どれだけ探しても見つけられなかった被害者百人を遂に救出し、過激派にアジトを一ヵ所放棄させてもいる。この勝利をきっかけに、奴らが一気に私達を壊滅させてしまおうと考えても不思議じゃないわ」

「数年も僕達に出し抜かれっぱなしだったんだからね。確かにそれも当然か」


 そうなのだ。

 少し前までは、過激派が圧倒的に優勢だった。

 極めて慎重かつ素早く動き、誰にも見られることなく誘拐を続けていたからだ。

 おかげで自発的な失踪なのか、それとも事件なのか判断が難しく、魔物が関係しているかどうかさえ共存派は分かっていなかった。

 全て、順調に事は進んでいたのだ。

 このままなら共存派に何も気づかれず、邪魔もされることなく目標達成できるはずだった。

 状況が一変した原因は、達也が楓誘拐に失敗したことだ。

 そのせいで過激派が動きにくくなってしまったため、彼は今でもあの失態を悔やんでいる。 


「で、しばらく僕達は何もせずに大人しくアジトで待機か」

「ええ」


 即座に肯定すると、雪華は静かに続けた。


「この状況でも誘拐できなくはないけど……あまりにも手間がかかり過ぎるわ」

「だから動かず、共存派や人間達の警戒心が緩むまで待つわけだね」

「そうよ。被害者百人が救出されてからしばらくの間、新たに誘拐される少女が一人もいなければ、警戒は緩むはず」

「確かに、一般人ならそうなるかもしれない」


 少し不安そうに達也は言った。


「でも共存派や警察はプロなんだよ。どんなに時間が経過しても、僕達過激派を壊滅させるまで気を抜いたりしないと思うけど」

「一般人はプロじゃないわ」


 達也の方へ視線を向け、静かに口を開く雪華。


「しばらく何も起きなければ勝手に気を抜き、勝手に動く。人目のない近道とかも利用し出すでしょうね」

「近道?」

「楓が通う高校近辺にある立入禁止区域。元々は採石場だったそうよ」


 雪華は両腕を組み、続けた。


「有名な企業が、放棄された採石場の土地を買い取って大型ビルを建てようとしたらしいわ。地盤が脆くて危険だと分かったから結局は建設中止になり、封鎖されて立入禁止区域になったけど、ここを通ると住宅街から高校までの距離が大幅に短縮される。だから利用する高校生も少なからずいるのよ。実験体の少女達も含めてね」

「岩場なら隠れる場所も多いし、誘拐も簡単ってことかい?」

「その通り。しかも共存派や警察の巡回区域にも入っていないの。厳重に封鎖された危険な土地を利用する者がいるとは思っていないようね」

「もし共存派に察知されて大勢が来ても、隠れる場所が多いから対応できる。実験体を誘拐するついでに、共存派の魔物も連れ去って尋問し、アジトの位置を聞き出すこともできるかもしれないわけだ。でもどうして今までその作戦を実行しなかったんだ?」

「実行しなかったのではなく、できなかったの。少女が次々と姿を消しているという状況で、人目がない上に危険な近道を利用しようとする馬鹿なんかいないわよ」

「まあ……そうだね」


 納得したように呟くと、達也は雪華を見た。


「実験体達が警戒を緩めて再び近道を利用するようになるまで待つ、か。どれぐらい待つことになるのやら」

「一ヵ月や二ヵ月では済まないでしょうね」

「随分と気の長い話だ……仕方ないことではあるけどさ」


 それが分かっているからこそ、達也も反対はしない。


「神威さんも理解を示して許可をくれたけど、今回の作戦に不満を持っている魔物は少なくないよ。大丈夫かな?」

「そう……ね……星司せいじあたりが特に危険かも」


 星司。

 下級魔物の中でも、泰明や達也に匹敵する実力の持ち主。

 しかし気が短く、トラブルを起こしがちなことでも知られている。


「不安材料ではある。でも、この作戦は神威さんの許可をもらった上でやっていること。トラブルを起こして邪魔などすれば制裁が待っているわ」

「……」

「神威さん直々の制裁を恐れないほど、星司も向こう見ずじゃないわよ」


 神威の強さは凄まじい。

 共存派リーダーの時雨以外は、誰も彼に歯が立たない。

 それほどまでに圧倒的な実力差があるのだ。


「だと良いけど、ね」


 言うなり、達也は雪華に背中を向けた。


「さて、このまま奴らの様子を見下ろしていても仕方ないし、僕は一足先にアジトへ戻らせてもらうよ」

「どうぞ。私は、もう少しここにいるわ」


 雪華の言葉に頷くと、達也は屋上のドアめがけて歩き出した。  

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