第12話

 楓は素早く踏み込み、鮮やかな動きで殴りかかった。

 見事に体重を乗せた一撃が、凄まじい速さで斜め下から泰明の顎へ迫る。

 並の魔物なら、間違いなく反応もできないほどの勢いだ。

 しかし泰明は瞬時に上半身を仰け反らせるだけで、難なく回避した。

 響き渡る風切り音。

 直後に拳を引き戻すと、楓は十分の一秒も間を置かず脇腹めがけて蹴りを放つ。

 やはり速いが、斜め下から猛烈なまでの勢いで迫る足を、泰明は一歩後退しただけで簡単に回避する。

 二度目の風切り音が鳴り響くと同時に、楓は力強く前進して距離を詰め、攻撃。

 彼女の拳が恐ろしい速さで空間に流麗な軌跡を描き、泰明の胸部へ向かう。

 だがこれも空振りに終わった。

 泰明が即座に真横へと動き、回避したためである。

 そして三度目の風切り音が響いた瞬間。

 泰明は楓の足首に、超高速で正確な蹴りを叩き込んだ。


「あっ……!」


 打撃音と共に体勢を崩し、派手に転倒する楓。

 慌てて立ち上がろうとするが、間に合わなかった。

 その前に、泰明が素早く無駄のない動きで再び蹴りを放ち、楓の側頭部に当たる寸前で止めたからだ。

 

「また俺の勝ちだな、楓」

「ええ……そうね」


 泰明の言葉に同意しながら、楓は立ち上がった。

 これが実戦なら、彼女は側頭部を強打されて気絶している。


「始めたばかりの時に比べると、かなり動きは良くなってきたぞ」


 そう言って足を下ろし、泰明は微笑を浮かべた。

 戦闘訓練を始めてから既に一ヵ月。

 闘争そのものに慣れていない楓は当初、向かい合っただけで緊張し、思い通りに動けていなかった。

 だが格上と何度も組み手を繰り返していれば、少しはマシになるというもの。

 まだ泰明や昌克には及ばないが、楓は着実に強くなっている。

 今では拳と足にしっかり体重を乗せ、体勢を崩すことなく高速で立て続けに打撃を放てるようになった。


「並の下級魔物が相手なら勝てるだろうが、上位の連中に通用するレベルではないな」

「下級魔物の上位は……父さんや昌克さんと同じぐらいの強さってこと?」

「ああ。達也も俺と大差ない強さだ」


 それを聞くと、楓は達也の姿を脳裏に思い浮かべた。

 過激派と戦っていくなら、否応なしに彼と再び会うことになるだろう。


(今の私では……達也に手も足も出ないってわけね)


 組み手で泰明に触れることもできず負ける程度なら、同格の達也と戦っても結果は見えている。


「もっと……強くならないとね」

「なれるさ」


 どこか優しさを感じさせる表情で、泰明は言った。


「戦闘訓練を始めたばかりでここまでやれるなら上出来だ。俺との差は、鍛えてきた年月と実戦経験の差でもあるから仕方ない。それに身体能力だけなら、今でも俺や昌克を上回っているしな」


 彼は少し間を置いて続けた。


「順調に訓練と実戦を積み重ねていき、驚異的な身体能力を最大限に活かせるようになれば、俺を超える日も遠くない」


 嘘や気休めを言っているわけではないだろう。

 そんなふうには見えない。

 楓は泰明の言葉を信じ、口を開いた。


「強くなるよ……絶対に強くなってみせる……!」


 その意気と執念があればこそ、楓は厳しい訓練を毎日必死に続けた。

 もちろん、鍛えることにばかり集中しているわけではなく、高校にも通っている。

 急に楓が姿を消してしまえば怪しまれ、余計な騒ぎになるからだ。

 共存派の若い魔物が、生徒という立場で何体か同じ学校に通っているということもあり、特に問題はない。

 授業が終わると、彼らと共に尾行を警戒しながら慎重にアジトへ向かう。

 そして泰明や昌克が用意した夕食を口にし、時間を置いて戦闘訓練。

 終了後はシャワールームで全身を丁寧に洗い、個室で就寝。

 このような生活が続いている。


「何だか私……世話になりっぱなしだよね」

「気にすることはない」


 穏やかに言って間を置くと、泰明は訓練部屋の天井を見上げながら続けた。


「それにしてもあれから一ヵ月……過激派が動きを見せていないのが不気味だな」

「確かに……ね」


 静かに同意する楓。

 誘拐被害者百人が救出されてから既に一か月経過したが、過激派が関与しているであろう事件は起きていない。

 皆無だ。


「アジトを一つ放棄しなければならないほど追い詰められたから、今まで以上に慎重になったってことかな?」

「かもしれん。何にしろ、このまま過激派が大人しくし続けるとは思えない。奴らの仕業と思われる出来事があったら即座に向かうつもりだが、お前はどうする?」


 視線が楓に向けられた。

 答えは最初から決まっている。

 考えるまでもないことだ。

 少しも迷いを見せずに、楓は力強く言った。


「その時は私も行く!」

「言うと思った。ならそれまでに、できる限り訓練しておこう」

「ええ。もちろんよ」


 会話を終えると、両者は訓練を再開した。



 ※※※



 それから、さらに三ヵ月が経過した頃。

 複雑な表情で、共存派アジトの廊下を歩いている青年がいた。

 昌克だ。


(今日でようやく二十人目の保護か……思った以上に難しいね)

 

 記憶喪失で家族と血のつながりがなく、数年前に引き取られ、焼けた黒い建造物近辺で拾われた。

 これらの条件の該当者を探し出し、保護することも共存派と警察の重要な役目。

 ところが今のところ、決して順調とは言えない状況だ。

 そもそも、魔物の存在を信じてもらうこと自体が難しい。

 加えて最近は事件が起きなくなったため、一般人の警戒が緩んでいる点も大きい。


(まさか過激派の魔物達が動きを見せていないのは……こんな状況になることを狙って……?)


 昌克は寒気を感じた。

 ありえない話ではない。

 被害者百人の救出から四ヵ月間も事件がなければ、一般人なら警戒を緩めてもおかしくないからだ。


(だとしたら……まずい)


 そろそろ警戒を解いて、一人で迂闊に動くような少女が出現するかもしれない。

 過激派の狙い通りに、だ。


(条件の該当者を、同意なしで強引に連れていくわけにもいかないしね。そんなことをすれば保護ではなく、誘拐になってしまう)


 どうしたものか。

 様々な方法を考えながら、昌克は歩き続ける。


(順調なのは楓ちゃんの訓練だけか)


 泰明と昌克が交代で指導している少女。

 覚えが早いこともあり、その成長ぶりは本当に素晴らしい。


(膨大かつ的確な努力の成果か、それとも元々の才能か、その両方か、あるいは魔王の力とやらと関係あるのか。いずれにしろ、大したものだね)


 異様な成長速度に驚きこそするものの、それを理由に恐れたりはしない。


(もう実戦に出しても大丈夫……かな)


 心の中でそんなことを呟くなり、昌克は唐突に足を止めた。

 自分の個室近辺に、泰明が立っているのが見えたからだ。


「帰ったか、昌克」

「どうしたんだい、泰明。もうすぐ楓ちゃんの訓練指導する時間だろう?」

「町で失踪事件が起きて、予定変更になったんだ」

「失踪……!?」


 昌克は一瞬で真剣な表情になり、言った。


「もしかして条件に該当する子……が?」

「そうだ。今回は失踪した場所が明確に分かっている。楓が通う高校近辺にある岩場だ。あそこに入ってから行方が分からなくなったという証言も多い」

「あの立入禁止区域か。確かにあそこなら住宅地が近いし、障害物も多くて誘拐は簡単だね」

「しかも高校への通学距離が大幅に短縮されるため、自分から入っていく者達がいることも判明した」


 おまけに、巡回の区域には入っていない。

 誘拐する側にしてみれば、楽に獲物確保できる場所というわけだ。


「まだ誘拐と確定したわけではないがな。もしそうなら、再び誘拐犯が来る可能性は低くないだろう」

「確かに」

「他の共存派魔物は大半が別任務を遂行中で、すぐに動けるのは俺とお前と楓だけだ。俺達で何とか対処するしかない」


 それを聞き、昌克は少し不安そうに呟いた。


「これが楓ちゃんの初実戦になるわけか……大丈夫とは思うけど本当に同行させる気かい?」

「戦うべき時は今だからな。楓も望んでいることだ」


 強固な意志と覚悟が込められた言葉。

 生半可な決心ではないことが、伝わってくる。


「分かったよ。元々こういう状況で僕達と肩を並べて戦うために、彼女は訓練を希望したんだものね」


 ならば、無理に止めるのは野暮だ。

 そう結論を出すと、昌克は泰明に問いかけた。


「で、これから張り込みに?」

「ああ。もし戦闘になれば、近隣住民を巻き込まないよう周辺の封鎖をしてもらわなければならないから警察も来る」


 もちろん、同盟関係の警官達である。


「では行こうか。楓が広間で待っている」


 その言葉に頷くと、昌克は泰明と共に広間へ向かった。

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