第10話

 楓が自分の身体能力に慣れるための訓練。

 その第一弾として、昌克は横に跳躍することを提案した。


「反復横跳び……ですか?」

「ああ。跳躍力の調整から始めよう。あまり勢いよく跳躍すると壁にぶつかってしまうから、力加減に注意してくれ」


 言いつつ、昌克は顔をしかめた。


「この部屋は訓練中の事故も想定した構造だから、もし高速でぶつかっても大怪我はしないけど結構痛いからね」


 実際に高速で天井や壁に激突してしまったことがあるのだろう。

 昌克の表情と言葉には、そう思わせるほどの感情がこもっている。


「分かりました」


 返事をすると、さっそく楓は床を蹴って横へ跳躍。

 硬い音が響き渡り、彼女の肉体は一気に壁付近まで到達した。


(ぶつかる!)


 警告されたばかりなのに早くもこれだ。

 力加減を知らないため跳び過ぎた。

 楓は冷や汗を流したが、幸いにも激突寸前に何とか止まれて、事なきを得る。


(危なかった……もう少し力を抜かないと)


 心の中で呟くと、今度は反対方向へ跳躍する。

 ところが、今度は加減し過ぎたらしい。

 跳躍距離は先ほどの半分にも満たなかった。


(難しい……わね)


 最初から分かっていたことだ。

 そう簡単に、急上昇した身体能力を完全制御できるわけがない。


(何度でもやってやるわ!)


 すぐに気を取り直すと、楓は再び横に跳躍。

 その後も延々と同じことを繰り返した。

 やはり力の加減を何度も間違え、思い通りにいかない。

 しかし跳躍回数が百を過ぎた頃になると、さすがに少しは慣れた。

 完全な制御には程遠いが、訓練開始時よりは上達したことが自分でも分かる。


(こんな感じ……かな)


 色々と試行錯誤しながら楓は動き続ける。

 壁に激突することなく十数メートル横の床へ着地し、直後に反対方向へ跳躍。

 これを彼女は何度も繰り返した。

 少しでも集中が途切れたら即座に加減を間違え、壁へ激突するだろう。


(一瞬たりとも……気は抜けない……!)


 そして、百五十回目の跳躍をしようとした瞬間。

 訓練部屋のドアが静かに開き、誰かが入ってきた。

 泰明だ。


「父さん……!」


 楓は跳躍を中断すると、泰明に駆け寄った。

 そして彼を両手で抱き締め、呟く。


「無事で良かった……!」

「心配かけてすまなかったな……楓」


 泰明が申し訳なさそうに言った瞬間。

 静かな足取りで昌克が彼に歩み寄り、口を開いた。


「さすが泰明だね。まさか過激派のアジトへ乗り込んで無傷だなんて」

「それなんだが……な」


 昌克の称賛に対し、泰明は複雑な表情を浮かべた。


「あのビルに、過激派の魔物は一体もいなかった。修平達と、あいつらに同行した警官隊が確認したから間違いない」

「えっ?」


 どういうことだろうか。

 楓は両腕を泰明から離し、問いかける。


「それって、父さんが倒した過激派魔物達が嘘をついていたってこと?」

「違う」


 泰明は即答した。


「あそこは間違いなく過激派のアジトの一つだった。奴らは、俺達が突入する前にあのアジトを放棄したようだ」

「すると誘拐の被害者百人は?」


 そう問いかけたのは昌克だ。

 今度も、泰明は即座に答える。


「地下の牢屋に閉じ込められていた。もちろん救出後、全員を家まで送ったよ。共存派の魔物と、警官隊が護衛についてな」

「良かった……誘拐された人達は家族の所へ帰れたのね」


 呟き、心底安堵したような表情を浮かべる楓。

 昌克も同じだ。

 しかし、重々しい口調で泰明は言った。


「ああ。だが結局、誘拐の目的は分からないままだ。しかも今回、過激派は被害者全員を置き去りにしたままアジトを放棄している」


 そこで泰明は少し間を置いて続けた。


「証言によると、地下にあった奇妙な機械に一人ずつ入れて、何か検査していたらしい」

「検査って何の?」


 楓が問いかけるが、泰明は首を横に振りながら答えた。


「分からん。実験体だとか、魔王の力が宿っていないから失敗作だとか言われたらしいが、詳しいことは誰も聞かされていないそうだ」

「魔王の……力……?」


 言いつつ、楓は心臓の鼓動が早まっていくのを感じた。

 思い当たることが、あるからだ。


(まさか……私の異常な身体能力は……?)


 魔王の力の片鱗ではないだろうか。

 昌克も同じことを考えたようで、少し冷や汗を流しながら楓を見ている。


「……」


 彼に対して頷くと、楓は泰明に顔を向け、言った。


「父さん……話しておきたいことがあるの」


 意を決して楓は語る。

 共存派リーダーの時雨から訓練許可をもらったことや、自分の身体能力が不自然なほど急激に上がった異常事態について、説明した。


「……」


 楓の話に、何も言わず耳を傾ける泰明。

 そして聞き終えると同時に、彼は心配そうな表情で口を開いた。


「身体能力急上昇以外に……異様な変化は?」

「ないわ。今のところは、だけど」


 少しだけ表情を曇らせながらも、楓は言った。


「実験体とか、魔王の力が宿る宿らないとかの話からすると、過激派は無差別に誘拐していたってわけじゃないみたいね」


 冷静にこんなことを口にしている自分が、酷く不思議だ。

 不安がまったくないわけではなく、次にどのような変化が起こるかも分からないのに、なぜここまで落ち着いていられるのか。

 奇妙だと思いつつ、彼女は言葉を続けた。


「実験体なんて呼ばれていることから考えると、被害者全員が過激派の実験で何かされたってことかしら。実験に付き合ったのか、それとも無理やり付き合わされたのかは、分からないけど」

「それは……どうなんだろうね」


 確認するように、昌克は泰明へ視線を向ける。

 楓も、半ば反射的にそちらを見た。

 泰明は両者の視線を受け止め、静かに首を横へ振る。


「彼女達は全員、過激派のメンバーとは面識がないと言っていた。何かの実験に付き合った覚えもないそうだ」


 そこまで言うと、急に泰明は黙り込み、顔を横へ向けた。

 これは、楓に聞かせたくない話がある時にする動きだ。

 言わば癖。

 泰明の親友である昌克も、それは知っているだろう。


「泰明。ちょっと向こうで話そうか」


 だから昌克がそんなことを言って、部屋の外で泰明と話すために動いても、不思議には思わなかった。

 そこまで楓は鈍くない。


「楓。ここで少し待っていてくれ。それほど長くは、かからないから」


 言い終えるなり、泰明は昌克と共に外へ出て、ドアを閉めた。


「……」


 取り残された楓は無言で両目を閉じ、思った。


(私に聞かせたくないこと……か)


 嫌な予感がする。

 現状でわざわざ隠すからには、よほどのことだろう。


(今は知るべきでないってことなら、いつか話してくれるはず。そのいつかが、ずっと来なかったとしたら)

 

 時期は関係なく、知らない方が良い情報ということだ。

 もしそうなら聞くまい。

 結論を出すと、楓は両足に力を込め、身体能力に慣れるための反復横跳びを再開した。



 ※※※



 泰明と共に廊下へ出た直後。

 昌克は小声で問いかけた。


「楓ちゃんには聞かせられない話なんだろう……?」

「ああ」


 そう言う泰明の表情は、極めて深刻だ。


「誘拐の被害者達はな……全員が家族と血のつながりがないんだ」

「えっ……百人全員が養子ってことかい……?」


 昌克の言葉に頷き、肯定する泰明。


「そうだ。数年前に今の両親に引き取られている。既に警察が裏付けも取った情報だから間違いない。おまけに本当の家族や本名も含め、引き取られる以前のことは何も覚えていないらしい」

「まさか……それって……!」

「楓にも、当てはまることだ」


 顔を静かに天井へ向け、泰明は続ける。


「しかも例の焼けた黒い建造物近辺で拾われたという点まで同じだ……こんな偶然があると思うか……?」

「ない、とは断言できないけど、可能性は低いだろうね」


 偶然ではないだろう。

 確実に、過激派は無差別ではなく特定の少女を狙っている。


「被害者全員が記憶喪失なのも、黒い建造物内で発生した事故が原因かもな」

「つまり面識がないって証言したのは、過激派と会った時の記憶がないからという可能性もあるわけか」


 昌克は近くの壁に背中を預けて、続けた。


「そして記憶を失う前は、自発的に過激派の実験に付き合ったってことも考えられるね。もちろんただの推測に過ぎないから、楓ちゃんには聞かせられない話だけど」


 急にそんなことを知らされたら、動揺して思い悩むだろう。

 身体能力急上昇で不安な気持ちになっている楓に対し、追い打ちをかけるような情報だ。

 聞かせられるはずがない。


「ひとまず楓ちゃんには内緒にしておくとして、だ。他にも条件に当てはまる少女は存在するだろうから、できるだけ早く探し出して保護しなければいけないね」

「それについては、既に警察と共存派の魔物が動いている」


 泰明は昌克の方へ顔を向け、続けた。


「保護に応じてくれた子から順次ここへ連れてくる予定だ。該当者の何人が保護に応じてくれるかは、分からないがな」

「それは……確かに」


 呟く昌克は暗い表情だ。

 保護するとしても、魔物について話すことは避けられない。

 体内に黒い血が流れる人間型生物の存在など、信じてもらえない可能性の方が高いだろう。


「だけどやらなきゃいけないよね、泰明」

「ああ。楓の訓練指導と並行してな」


 会話を終えると、両者は頷き合って歩き始めた。

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