第9話

 同時刻。

 訓練部屋の片隅で、楓は昌克と一緒に立っていた。

 両者の手には、大きめの紙が握られている。

 楓の体力測定結果をまとめた物だ。


「腕力、握力、持久力、瞬発力、跳躍力、肺活量。他にも色々と計測したけど、凄い結果になったね」


 口調こそ軽いが、昌克の表情は真剣だ。

 冷や汗まで流している。


「肉体的な能力のほとんどが下級魔物並……これは以前から?」

「いいえ。確かに走り込んだりして鍛えてはいますけど、今日ほど凄いことができたのは初めてです」

「なるほど」


 考え込むように両目を閉じると、昌克は紙を折りたたみながら呟いた。


「すると身体能力が下級魔物並になったのは、最近」

「そう……ですね」

「原因について思い当たることは……あるわけないか」

「ええ、まったく」


 本心からの言葉だ。

 どれだけ考えても、原因など少しも分からない。


「だろうね。思い当たることがあるなら義父の泰明も知っているはずだし、知っていて君や僕に黙ったままなんてありえない」


 昌克は折りたたんだ紙を懐へ入れ、両目を開いて続けた。


「手がかりがあまりにも少ない。現時点では何も分からない、か」

「……」


 楓は何も言わず、右手を開いた。

 掌を複雑な表情で見つめてから、静かに閉じる。

 そんな彼女に対して、昌克は心配そうな視線を向けた。


「楓ちゃん……急に凄まじい力を得て不安だろうけど……僕で良かったらいつでも相談に乗るよ」

「ありがとうございます、昌克さん」


 礼を言うと、楓は薄く微笑んだ。


「不安なのは事実ですけど、それ以上に私は嬉しいんです」

「嬉しい……?」

「はい」


 これで自分も、泰明や昌克と共に戦いの場へ行ける。

 彼らの力になれることが嬉しいのだ。

 もう、守られるだけの足手まといではなくなった。

 その喜びに比べれば、身体能力が急激に上がった謎など大した問題ではないと楓は思っている。


「ようやく父さん達と肩を並べて戦える。父さん達の力になれる。それが、とても嬉しいんです」

「……」


 絶句する昌克だが、数秒後に複雑な表情で口を開いた。


「原因不明の能力向上に怯える前に、その能力を周囲のためにどう使うべきか考える、か。似ているね」

「どなたに……ですか?」

「灯真様に、だよ」


 数年前に亡くなった魔王、灯真。

 その名前を聞いて緊張する楓を見ながら、昌克は言った。


「あの御方も、前触れなく急に強くなったことがあってね。僕も含めて周囲は困惑したけど灯真様自身は何も気にせずに、これでますます共存派の役に立てるとおっしゃっていた。灯真様は、そんな性格だったんだよ」

「……」

「自分のことよりも他者のことを優先しがちだった。君にも少しそういう部分があるみたいだ」


 言いつつ、彼は悲しげな表情になった。

 在りし日の灯真を、脳裏に思い浮かべているのかもしれない。


「それは貴重な美点ではあるけど、度が過ぎると周囲を悲しませることになる。それを覚えておいてほしい」


 昌克の言葉が、楓の心に強く響いた。

 本気で心配してくれていることが、分かるからだ。

 故に楓も、真剣な表情で言葉を返した。


「ええ……約束します!」

「それが聞けて……良かったよ」


 言って、微笑む昌克。


「分からないことで、いつまでも悩んでいても仕方ないのは確かだ。身体能力急上昇の原因は後で究明するとして、今は訓練に集中するとしよう」

「はい……!」

「さて、戦闘技術の類を身につける前に最優先でやるべきことがある。急上昇した身体能力に慣れるため、使いこなすための訓練さ」


 確かにその通りだと楓は思った。

 身体能力が異常に高いだけでは無意味。

 使いこなせなければ宝の持ち腐れである。


「慣れるための方法は色々あるけど……まずは何からやろうか」


 言って昌克が両腕を組み、周囲を見渡した瞬間。

 着信音が響き渡った。


「誰からだ……?」


 懐からスマートフォンを取り出し、画面を確認しながら昌克は呟いた。


「泰明からのメールだ、楓ちゃん」

「父さんから……どういう内容なんですか……!?」


 地下道で別れてから、まだ泰明とは合流できていない。

 楓は表情や口にこそ出さなかったが、ずっと彼のことを心配していたのだ。


「特に怪我はないらしいよ。僕達を尾行していた過激派魔物二体を無傷で倒し、誘拐された百人の監禁場所を聞き出したそうだ」

「すると……これから救出に?」

「ああ」


 肯定すると、昌克はスマートフォンを懐に戻して続けた。


「警官達だけでなく、共存派の魔物達も同行することになった」

「父さんも……ですか?」


 どこか不安そうな表情で、楓は問いかける。

 すると、昌克は優しい口調で答えた。


「泰明は強いから心配ないよ。彼は下級魔物の中でも屈指の実力者なんだ。だから彼を信じて、帰りを待っていてほしい」


 楓も泰明の強さは、知っている。

 ならば信じて待つべきだ。

 決意すると、彼女は口を開いた。


「そう、ですよね。今の私がやるべきなのは自分の力に慣れること。そして、父さんを信じることですから」

「その通り。では、さっそく始めようか」


 こうして、楓の訓練が開始された。



 ※※※



 あまり特徴がない普通のビル。

 その周囲に、大勢の男女が立っている。


「ここか」


 先頭でビルを見上げながら、泰明は呟いた。


「目立つ特徴が何もないな」

「だから、隠れ潜む場所としては良いとも言える」


 そう言ったのは、泰明の後方に立つ青年。

 外見は二十代前半ほどで、顔立ちは凛々しい。

 黒いスーツを身に着け、右手には白く長い棒を握っている。


「過激派のアジトとして利用されても不思議ではない。以蔵と綾乃の証言は本当だったかもしれないぞ、泰明」

「そうだな、修平しゅうへい


 青年の名前を呼びながら泰明は同意した。

 修平。

 彼も共存派の魔物だ。

 一歩前進して泰明の隣に立つと、修平は言った。


「既に警官隊がビルを完全に包囲。付近に一般人がいないことは確認済みで、周辺の封鎖も完了。後は私達が先頭に立って突入するだけだ」

「ならば行くか」


 言って泰明は周囲を見渡した。

 彼自身と修平、他十体の共存派魔物、そして警官五十人。

 これがビルへ突入するメンバーだ。

 さらに二十人の警官が、周辺の封鎖任務に就いている。


「突入!」


 泰明が叫んだ瞬間。

 彼と修平、十体の魔物が同時に素早くビルへ入った。

 少し遅れて、後に続く警官隊。


「……」

 

 入口付近は殺風景な広間だった。

 正面と左右にエレベーターが、斜め前方に下への階段が存在するだけの単純な構造。

 広さは六十平方メートルほどで、大勢が入っても余裕がある。


「階段は一ヵ所だけ……か」


 天井、壁、床。

 わずかな隙間さえも見逃すまいと、泰明は慎重に広間を調べた。

 他の魔物や警官達も同じだ。


「隠し部屋、隠し階段、隠しボタンの類はなし。罠もないようだな」

「ああ。間違いない、泰明」


 修平の言葉に対して頷くと、泰明は真剣な表情で口を開いた。


「では二組に分かれよう。地下へ行く組と、上階へ行く組だ」

「分かった。それなら私は上階で過激派と戦おう。地下で被害者百人を救出するのは、お前の組に任せたぞ」


 言い終えると、修平は正面のエレベーターへ向かい、数名の魔物と大勢の警官もそれに続いた。

 彼らの姿を見届けてから、泰明は告げる。


「地下へ」


 その言葉に全員が頷き、階段へ向かった。

 先頭は泰明で、その後に残りの魔物と警官達が続く。

 かなり古びた階段である。

 小さな亀裂が無数に入っており、慎重な歩き方をしなければ崩れそうだ。

 しかも長い。

 最下層まで辿り着くと同時に、泰明は階段を見上げながら思った。


(長かったな……襲撃されるとしたらここが危ないぞ)


 途中にドアや踊り場が存在せず、長いだけで単調な一本道の階段。

 心身共に疲労することは避けられない。

 そして最深部まで到着し、気が抜けた時に襲撃というのは、十二分に考えられることだ。


「最大限の警戒を……!」


 周囲に警告しつつ、泰明は歩き始める。

 今度は長い廊下だ。

 しかし階段の時と違い、左右に無数のドアが等間隔で設置されている。

 慎重に一つ一つ開けていくが、誰の姿もない。

 どの部屋にも、奇妙な機械が置かれているだけだ。


「気になりますが……手を出さない方が良いでしょうか?」


 警官の一人が、十五番目の部屋を調べながら問いかけてきた。

 泰明は即座に頷いて答える。


「迂闊に触れて起動させると、何が起こるか分かりませんからね。今は誘拐された百人の救出が先です」

「了解」


 その後も慎重に調べていくが、どの部屋にも被害者達の姿はない。


(静か過ぎるな……それに何もなさ過ぎる)


 ドアに罠が仕掛けられている可能性が高いと思っていたのだが、今のところ何もない。

 やがて、泰明は思い始める。


(過激派は既にここを放棄したのか? それともここがアジトだという以蔵達の証言が、やはり嘘だったのか?)


 疑問を抱きながらも、泰明は歩き続ける。

 やがて廊下の突き当たりまで到達し、巨大な鋼鉄のドアの前方で立ち止まった。


「おそらくあの中が監禁場所でしょうね」


 ドアを見ながら、警官の一人が呟いた。

 それに対し、静かに言葉を返す泰明。


「ええ。すぐ開けましょう」


 そう言って泰明はドアに手を当て、軽々と押し開ける。

 巨大な鋼鉄も、魔物にとって大した重さではない。


「……」


 無言で中へ入る一同。

 今までの部屋と比べて圧倒的に広く、鉄格子の牢屋が無数に設置されている。

 その大半に、少女が何人も入っていた。

 意識がないようで、誰もが目を閉じたまま横たわっている。


「全部で百人……誘拐された人達に間違いありません!」

「全員情報と一致します!」


 確認しながら叫ぶ警官達。

 それを聞くと泰明は頷き、牢屋の鉄格子を次々と強引に外していった。

 殴り砕けば、破片が飛び散って危険だからだ。

 鉄格子の大半を外して床に置き、牢屋内に入る泰明。

 少女の呼吸と脈を、素早く確認して彼は言った。

 

「大丈夫。生きています!」

「良かった……すぐ助けましょう」


 安堵の表情を見せるなり、魔物と警官達も次々に動いた。

 周囲にある牢屋の鉄格子を片っ端から外し、少女を助け起こしていく。


「大丈夫ですか……!?」

「しっかりしてください……!」


 必死の呼びかけで次々と目を覚ます少女達。

 どうやら驚き、困惑している様子だ。

 そこで警官達が身分を明かすと、喜びの表情で口々に礼を言った。


「ありがとうございます……!」

「ありがとうございます……もう一生ここから出られないと思っていました……!」


 誰も怪我などをしている様子はない。

 そして最後の一人を助け出すと、泰明は静かに問いかけた。


「一体何があったんですか?」

「学校から帰る途中、急に意識を失って、気がついたらここにいたんです」


 少女の一人が、不思議そうに言った。

 他の子の答えも、似たり寄ったりである。

 おそらく全員が過激派魔物の不意打ちで瞬時に気絶し、ここへ運び込まれたのだろう。


「変な機械で意味の分からない検査を受けさせられて……魔王の力が宿っていないから失敗作だとか何とか……言われました」

「魔王の……力……?」


 変な機械とは、廊下左右の部屋に置かれていた物のことだろう。

 しかし魔王の力が宿る云々については、ほとんど分からない。

 そして、じっくり考えている状況でもなかった。


「とにかく脱出しましょう。ここは危険です!」


 考え込むのは後回しだ。

 そう思って叫んだ泰明の言葉に頷き、全員が広間の入口へ向かった。

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