第6話

 泰明と別れてから、どれほど歩いただろうか。

 工事が中途半端なまま放置されたせいか、構造自体は極めて単純だ。

 一本道が延々と続き、曲がり角や十字路の類も見当たらない。


(特に疲れたというわけではないんだけど)


 楓は同年代の少女と比べ、身体能力が高い。

 数キロ歩いた程度で疲れたりしないが、精神は別だ。


(まったく変化のない道をひたすら突き進むというのは……少しきついわ)


 精神的な疲れは相当なものである。

 自分が足手まといだという後ろめたさも、それに拍車をかけていると言えよう。


「楓ちゃん」


 不意に昌克が声をかけてきた。


「そろそろこの道も終わるよ。もう少しの辛抱だからね」


 優しい口調だ。

 楓が精神的に疲れていることを見抜き、 不安を和らようとしているのだろう。


「この先にある大部屋には、アジトへの入口が隠されているんだ。偽の入口も沢山あるし、関係者以外だったら絶対にアジトまでは辿り着けないよ」

「凄く厳重なんですね」

「それぐらいしないと、過激派に見つかってしまうからね」


 昌克は少し間を置いて、続けた。


「もちろんアジト内部も凄いよ。各メンバー用の個室や浴室、食堂、医務室、会議室、訓練用の部屋、通信設備、他にも数多くの施設が存在している」

「……」


 訓練部屋もあるらしい。

 ならば泰明や昌克に師事し、自分を鍛えることもできるだろう。

 彼らが賛成してくれるかどうかは分からない。

 だが今のままでは、ずっと足手まといだ。


「昌克さん」


 決意すると、楓は真剣な表情で言った。


「お願いが……あるんです」

「何だい?」


 静かに問いかける昌克。

 楓は少し躊躇しながらも、以前から考えていたことを口にする。


「私を鍛えてください!」

「えっ……?」


 意味が分からない。

 そんな表情で昌克は呟いた。

 構わず、楓は続ける。


「強く……なりたいんです」


 簡潔だが、決意を込めた言葉だ。

 昌克も何か察したのだろう。

 彼は不意に足を止め、口を開いた。


「それは、どうして?」


 昌克の声が重々しくなった。

 覚悟を見定めようとしているのだろう。


「もうこれ以上……父さん達の足手まといになりたくないんです……!」


 心底本音である。


「あの達也という魔物と父さんの戦いを、私は近くで見ていました。怖かったですけど、それ以上に守られるだけの自分が情けなかった!」


 涙声になりながら楓は叫ぶ。


「辛かった……私は何て無力なんだろうって……!」

「……」

「強くなりたいんです……守られるだけではなく肩を並べて共に戦うために……だから……!」


 そこまでしか言えなかった。

 昌克が、凄まじく鋭い目つきで睨み、楓を半ば強制的に黙らせたからだ。


「強くなりたいなら、相応の覚悟が必要だよ」


 今までの穏やかさが完全に消えている。

 眼光をさらに鋭くし、楓を睨みながら彼は続けた。


「僕達は死と隣り合わせの実戦と鍛錬を数え切れないほど繰り返してきた。いつ死んでもおかしくないような修羅場を潜り抜け、強くなってきたんだ」


 そう言う昌克の表情は凄みがある。

 口調も重々しい。


「それだけのことをする覚悟はあるのかい?」


 そこで一層眼光を鋭くする昌克。

 楓は無言で睨み返した。

 怖くないと言えば嘘になるが、彼女は目をそらさず視線を正面に向けたままだ。

 怯まず、昌克の問いかけに対して頷く楓。


「……」

「……」


 睨み合う両者。

 しばらくすると、昌克は優しい笑みを浮かべて言った。


「目をそらすことなく、怯みもせずに頷くとはね。気に入ったよ」


 そう言う彼の眼光と表情には、元の穏やかさが戻っている。


「僕の一存で決めるわけにはいかない。他のメンバー、特に泰明と相談する必要があるからね。でも僕自身は、君を鍛えることに賛成さ」

「昌克さん……ありがとうございます……!」


 涙目で礼を言う楓。

 それに対し、昌克は静かな口調で告げる。


「良いんだよ。君のようなタイプの人間は結構好きだからね」


 直後。

 彼は申し訳なそうな表情を浮かべた。


「それと、いきなりごめんね。怖かっただろう?」

「いえ……そもそも私の方が無茶なことを言ったんですから」

「でも君は口だけじゃない。少なくとも覚悟はある。それだけでも、凄いことだと思うよ」


 言い終えると、昌克は歩き始めた。

 楓もその後に続き、足を動かしていく。


「実を言うとね。数十年前までの僕は人間が嫌いだったんだ。今でも苦手意識が消えたわけじゃない」


 意外だ。

 共存派に所属する魔物が、こんな発言をするとは思っていなかった。


「自分達以外の知的生命体の存在を、認めようとしない人間が多いからね。何かのきっかけで肉体から黒い血が流れているのを見られたりしたら、もうその土地にはいられない。迫害が始まって、知らない土地へと引っ越すことを余儀なくされてしまう」


 実際に、何度もそのようなことを経験したのだろう。

 昌克の口調は明らかに忌々しげだ。


「共存派のメンバーになることに乗り気でなかった理由もそれだよ。いっそ過激派のメンバーになろうかと思った時期もある」

「なのに……どうして共存派に?」

「魔物に対して差別意識を持たず、対等に生きていこうと考える人間と出会うことができて、考えを改める気になったんだ。良い人間もいれば悪い人間もいるし、好感を持てる人間もいるってね。だからうまいこと付き合って共存していこうという気持ちになったのさ」


 それを聞いて、楓は感動した。

 自分を迫害してきた種族の良い面も認め、対等に付き合って生きていこうと考えるなど、中々できることではない。


「だから今、僕は共存派のメンバーとして活動しているわけさ」

「そう……だったんですね」


 会話しながらも、両者は足を止めない。

 やがて突き当たりまで辿り着くと、楓は驚きの表情で周囲を見渡した。


「こ……こんなに沢山……!?」


 コンクリートで構成された、八十平方メートルほどの大部屋。

 その天井、壁、床に無数のドアがある。


「一体どれが本物なんでしょう……?」

「と、思うよね」


 言って、昌克はスラックスのポケットから小さな箱を取り出した。

 表面には赤と青のボタンがある。


「だけど本物と偽物を見分けようとしても意味がないんだよ」


 そう続け、彼が赤のボタンを押した瞬間。

 近くの床が奇妙な音を立てて左右に割れ、下への階段が出現した。


「こんな仕掛けが……!?」


 思わず仰天する楓。

 同時に、ドアの意味も悟った。


「もしかして……全部偽物……?」

「正解。どのドアを開けてもアジトへは行けない。関係者だけが持つ箱で、入口を開け閉めしているからね」

「だから部外者では絶対に分からない、ですか?」

「そういうこと」


 会話しながら両者は階段へ足を踏み入れる。

 そして五メートルほど降りると、昌克は入口を見上げて呟いた。


「閉めるよ」


 言うなり、彼は青のボタンを押した。

 直後。

 再び床が奇妙な音を立て、今度は元の形に戻り始める。

 それは数秒で完了し、入口は閉ざされた。


「この階段を完全に降りたら、もうアジトさ。行くよ」

「はい」


 階段を降りていく両者。

 それほど長くはない。

 正確な距離は分からないが、おそらく二十メートル前後。

 やがて最下層まで辿り着くと、楓は周囲を見渡しながら呟いた。


「ここが……アジト」


 広大な空間。

 中央の太い柱に取り付けられた巨大テレビや電光掲示板、その付近に幾つも設置されたソファなどが目を引く。

 上下へ伸びる螺旋階段、各施設へ通じているであろう無数の通路も印象的だ。


「このアジトは凄く広い。後で地図を渡すけど、慣れるまであまり歩き回らない方が良いよ」


 喋っている間も昌克は歩みを止めない。

 静かについていく楓。


「まずはリーダーの部屋へ行こう。ここで暮らすことになるんだから、挨拶しておかないといけない。ただ問題は、ね」


 言葉を切って黙り込む昌克。

 その理由は明白。

 楓を鍛えることに了承してもらえるか否か、分からないからだ。


「楓ちゃん……もしかすると君を鍛えることに了承してもらえないかもしれない」

「説得しますよ。リーダーも、他のメンバーの方々も、父さんも、ね」

「そうか……僕も説得を手伝うよ」

「ありがとうございます」


 会話を終えると、楓と昌克はリーダーの部屋へ向かって歩き始めた。



 ※※※



 同時刻。

 泰明は数メートルの距離を置いて、若い男女と向かい合っていた。


(以蔵と綾乃か……まさかこいつらが来るとはな)


 隠密行動に優れ、尾行と監視が得意なコンビ。

 戦闘能力も低くはなく、以蔵はナイフ、綾乃は鋭い糸を武器にしている。


「俺達の存在を見抜くとは、相変わらず大した奴だな。それだけに残念だ」

「私も残念です。貴方ほどの男が過激派ではなく、共存派として人間の味方に成り下がっていることがね」


 どちらの表情にも、明確に非難の色が浮かんでいる。

 泰明が人間に味方していることに対して、だ。


「私達魔物が、人間からどれだけ酷い迫害を受け続けてきたか、忘れたわけではないでしょう?」

「当然だ!」


 綾乃の問いに、泰明は即答した。


「今でも忘れていない! 忘れるものか!」


 彼も、昔は人間から迫害されていた身。

 その痛みと恨みは、共存派となった今でも心の奥底に残っている。


「だが迫害に関わっていない者達にまで……当事者以外の人間にまで……恨みをぶつけようとは思わん」


 共存派に勧誘された時、悩み抜いた末に泰明が出した結論が、それだ。

 確かに今でも恨みは消えない。

 しかしそれと、過激派の行為を見過ごすことは別の問題だ。


「ほざけ!」


 懐からナイフを取り出し、以蔵は怒りの表情で叫んだ。


「人間に味方する恥知らずめが! ここで死ね!」


 直後、以蔵は動いた。

 足元のコンクリートを蹴り砕き、破片を飛び散らせながら突進してきたのだ。

 速い。

 彼は数メートルの距離を瞬時に詰め、ナイフで泰明の喉を狙った。

 鋭い刃が、恐ろしい勢いで正確に迫る。


「……」


 だが泰明は素早く横へ動いて回避。

 ナイフは彼の残像を突き破り、風切り音を鳴らしただけだ。

 直後に、綾乃が下から上へ腕を振る姿が見えた。


「!」


 悪寒を覚えつつ、泰明は真剣な表情で大きく横へ跳躍した。

 次の瞬間。

 泰明が一瞬前まで立っていた位置のコンクリートが、破片を巻き上げながら超高速で切り裂かれた。

 恐ろしい光景。

 十分の一秒でも跳躍が遅ければ、確実に両断されていただろう。


(相変わらず厄介な糸だ……絶対に触れるわけにはいかない)


 単に細く見えにくいだけではない。

 並の刃物を遥かに超える切れ味と強度を兼ね備え、射程距離も短くない。

 以蔵のナイフよりも脅威と言えよう。


(対抗手段が……ないわけではないがな)


 泰明が心の中で呟くと同時に、再び綾乃が腕を振った。

 今度は左から右へ、だ。

 即座に反応し、超高速で屈み込む泰明。

 糸が頭上を通り過ぎる音を聞きながら、彼は低い姿勢で突進した。

 攻撃直後の隙を突き、綾乃に接近しようとしたのだ。

 しかし、できなかった。

 ほぼ同じ姿勢とタイミングで、以蔵が泰明めがけて突進していたからだ。

 気合も発さず、恐ろしく冷たい目つきでナイフを突き出してくる。

 狙いは左胸。

 先よりも速いが、泰明は上半身を横へ傾けて回避。

 それからほとんど間を置かず、以蔵は鮮やかな動きで片腕を振った。

 袖口から二本目のナイフが飛び出し、泰明へ襲いかかる。

 突きはフェイントだったらしい。

 回避直後の泰明めがけ、超高速回転しながら凄まじい勢いで迫るナイフ。

 並の下級魔物では、到底対応できないだろう。

 だが泰明は右手の指を二本だけ使い、正確にナイフの柄だけを挟み止めた。


「なっ……!?」


 指だけで止められるとは、思っていなかったようだ。

 以蔵は驚きの表情で、ほんの一瞬だが動きを止めてしまった。

 もちろん、その隙を見逃すような泰明ではない。

 力強く踏み込み、渾身の回し蹴りを以蔵の脇腹へと叩き込んだ。


「がっ……!」


 打撃音と共に横へ蹴り飛ばされ、壁に激突して呻き声を上げる以蔵。

 感触からして間違いなく肋骨数本を粉砕し、内臓も損傷させたはずだ。

 しばらくは動けないだろう。

 一瞬の内にそう判断すると、泰明は後方へ大きく跳躍した。

 直後に目の前の床が切り裂かれ、破片と粉塵が飛び散る。

 考えるまでもなく、綾乃の仕業だ。

 極細で長く鋭い糸は、ナイフよりも遥かに対応が難しい。

 いつまでも回避できるものではない。

 そう思いつつ、彼女が立っている方へ向いて駆け出す泰明。

 無論、綾乃もそれを黙って見続けるはずがなく、素早く腕を下から上へ振った。

 糸がコンクリートの床を切り裂きながら、恐ろしい勢いで迫ってくる。

 今までよりも格段に速い。

 しかも自分からそれに突っ込む形になっている泰明には、回避手段はない。

 だが彼は焦らず、右手に持ったままのナイフを素早く振り、糸を切り裂いた。

 並外れた動体視力と反応速度がなければ、到底できないことだ。

 代償としてナイフは刃が折れて真っ二つになったが、泰明は本来格闘家なので何も問題はない。

 柄の部分を捨て、尚も綾乃めがけての突進を続ける。

 もはや彼女は目の前だ。


「くっ……!」


 驚きつつも綾乃は動きを止めず、右手で拳を作り、攻撃しようとした。

 しかし泰明の方が一瞬だけ速い。

 体重と突進の勢いを乗せた手刀が、超高速で綾乃の首筋に直撃。

 響き渡る轟音と呻き声。

 綾乃は瞬時に白目を向き、仰向けに倒れ込んだ。

 気絶したことは明白である。


「さて、と」


 呟きと共に、泰明は以蔵の方へ慎重に歩み寄り、表情を確認した。

 どうやらこちらも気絶したようで、完全に白目を向いている。


「警察に連絡するとしよう。魔物用の手錠や拘束具もあることだしな」


 人間と魔物が対等の立場で共存していける世界。

 それは、両種族が世の中の法律に従って生きていくことでもある。

 ならば魔物が罪を犯した際に、拘束しておける手段が必要というわけだ。


「こいつらからは過激派アジトの位置や、誘拐された人達の監禁場所を吐いてもらう必要がある」


 それができれば一気に事態が進展する。

 以蔵と綾乃を拘束してから、泰明はスマートフォンを取り出した。

 共存派、そして同盟関係の人間達。

 彼らへ連絡するため、泰明は次々と指を動かし、メールの文面を作成していく。


「これで良し」


 呟いて送信。

 直後にスマートフォンを懐へ戻すと、泰明は思った。


(そろそろ楓はアジトまで到達した頃だな)


 昌克が一緒なのだ。

 何の支障もなくアジトまで行けるだろう。

 問題は、その後。


(楓のことだ。自分だけ安全圏にいたまま、誰かに守られるだけの状況を良しとはするまい)


 楓の性格は分かっている。

 おそらく今日中に、共存派の魔物に頼むはずだ。

 自分を鍛えてほしい、と。


「……」


 泰明は何か覚悟を決めたような表情を浮かべ、懐から再びスマートフォンを取り出した。

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