第4話 道化師のMenace

 エルディンの市庁舎は中央広場から徒歩で五分ほどの距離にあり、低層建築物ばかりのエルディンの中でも五階層と一際高く作られている。市議会とエルディン公邸が内包されており、裏口は城壁の西壁と直結している。エルディンの政治と軍務の中心がここだ。

 市議会議員は皆街の名士や豪族といった有力者で構成されている。被選挙権を獲得する条件が厳しいため、顔ぶれはいつもほとんど変わらない。実質的には世襲制でエルディン内の特定の一族が代々の地盤を継承して議員を輩出し続けている。市長はその議員達の中から選出される。その後レン=デル・マイン王から正式な承認を受け、エルディン公ロード・エルディンの位を授かり市政を任されることとなる。任期は五年。

 現在の市長はエルディン公ゲルクォル。王都リスペリダルやレン=デル・マイン中枢にも顔が効くエルディン切っての商人貴族の出身で、任期はまだ二年残されている。

 マナドゥアは彼らが集まっていたエルディン市議会を乗っ取り、憲兵総監のリオレスを連れて壇上に立っていた。


「エ、エルディン公並びに市議会議員の皆々様、よくお聞きください。今このエルディンは危急存亡の状況にあります」


 議員達の注目を集めたリオレスが静かに語り出す。リオレスは先ほどからずっと額から脂汗を垂れ流している。まだマナドゥアからの威圧から解き放たれていないからだ。それに先ほど聞いた話が本当ならば、この街は大変なことになる。


 エルディン公と市議会議員のほとんどはいきなりの事に状況を飲み込めず、頭が混乱していた。リオレスが裏で悪事に加担している事は薄々ながら知っている。二大組織が抗争中なのはまさに今悩みの種だ。だがこの男は何を話しているのだ? 危急存亡と言ったのか?


「私はだ。私がこれから話す事は、この街のゴロつきどもの抗争などとはまるで関係のないことだ。これから闇の軍団がこのエルディンを襲い包囲するだろう。彼らの目的はただ一人の娘だ。その娘が現在この街の何処かに何者かによって匿われている。だが残された時間の中でその娘を特定し、見つけだし、捕え、彼らに娘を差し出したとしても、この街はどの道襲われる。お前達は無血開城して従属を選ぶか、徹底抗戦するかしか道は残されていない。そして時間もあまり残されていない」


 ディルモアと名乗ったマナドゥアのその声にはいつにも増して威圧感が大きかった。なぜならばこれからこの街に起こることを何一つ偽っていないからだ。


「娘? 娘だと? この街を襲うのは何者で、何処の誰を欲していると言うのだ? そしてお前は一体誰だ?」


 エルディン公は冷静を装っているが、マナドゥアの威圧感にほぼ押し潰されかけている。汗が止まらない。


「エルディン公。この一件で一番厄介なのがまさにそこだ。奴らがある娘を欲している事は間違い無いのだが、その娘が何者であるかは情報を漏らさぬのだ。だからだ。だからお前達には娘を特定する時間など鼻から与えられておらんし、奴らは娘の情報を外に漏らさないために、この街ごと襲撃するだろう。言わばエルディン襲撃は娘を掌握するための偽装と言っても過言ではない。奴らの名は《ウォーバウンド》。ここにいるリオレス・ドミルのようなケチな悪党とは違う。メイディオルの魔王に従属する闇の軍団だ。私はその間に立つメッセンジャーに過ぎん」


「メ、メ、メ、メイディオル!」


 その言葉を聞いて議会がどよめく。魔王の軍団だと!? この男達は頭がいかれているのか?

 だがマナドゥアの話をいくら聞いたところで今一つ彼を信用していない議員たちを、十分に説得するに足る結論に至ってしまった男がいた。リオレスだ。セニカは魔王の手先だったと言うのか!? なんと言う事だ!


「リオレス・ドミル、お前の口から告げてやるのだ。この街に巣食っていた《ウォーバウンド》どもの手先は誰か!?」


「セ、セニカ・ダマン、港湾局の副局長をしている男だ! 奴はその娘がこの街に潜伏していることを見逃してしまっていたから、他の連中から脅迫を受けていた! ギルデン・リュークの一件もその一端だった! セニカは今外部に待機している《ウォーバウンド》とやらに、娘がこの街に潜伏していることを報告しに行っている! 奴らが襲ってくる! 襲ってくるぞ!!」


 議会がさらに勢いよくどよめいた。メイディオルの魔王には現実味が感じられないが、リオレスの言葉は現実味がある。なにせ悪事に加担していたとはいえ、これでも憲兵総監だ。


「そう言うことだ。時間はないぞ、エルディン公」


 リオレスの奴、よくこの短期間の内に正答を導き出したものだ。人間追い詰められれば頭の回転が速くなるようだな。しかし恐るべきはアレリオンか。なんだかんだと言って、結局は何もかもが奴の描いたグランドデザインの上に乗っている。私も乗っかってやらねばなるまい。襲ってくるのがガイエン卿の部隊であれば無血開城させ、《ウォーバウンド》ならば徹底抗戦させねばならん。アレリオンのやつ、一番の無理難題を押しつけおって。


「その《ウォーバウンド》とやらは如何程の軍勢だと言うのだ? 戦うにしろ降伏するにしろ、相手を知らなければ……」


 エルディン公は弱気だ。少し誇張すれば直ぐに無血開城に傾くだろう。


「その全容は私にも分かりかねる。軍事機密が漏洩するような組織ではない。狡猾で、慎重で、秘密主義で、強大だ。今からレン=デル・マインに援軍を要請しても手遅れだろう。友軍は期待できぬ。港湾局の副局長が奴らの手先だったのだぞ? 頼みの綱のエルディン港も海上封鎖されてしまえばこの街は孤立無援だ。エルディン公。この街は一体どれだけの期間包囲戦に耐えられる?」


 か、海上封鎖だと!? 包囲戦だと!? 呆気にとられていたエルディン公ゲルクォルも少しずつ我を取り戻し始めた。なんと言う事だ! こんな事前代未聞だ! この街に篭城戦に備えた備蓄などほとんど無い。周辺都市とは友好関係にある。いきなり敵に包囲されることなど想定していない! 完全に街が封鎖されれば二ヶ月も待たず餓死者が出始め、食糧を求めて民衆が暴動を起こすだろう。私の任期中にこのような災厄が訪れようとは!


 その時、議会の厚い扉が勢いよく押し開かれた。一人の兵士が息を切らして顔を真っ青にして入ってくる。


「エ、エルディン公! 大変です! いつの間にか街が大軍によって完全に包囲されています! その数は軽く十万を上回っています!」


 我を取り戻し始めていたゲルクォルだったが、その一報を聞くと力なくその場に崩れ去った。


「エルディン公! エルディン公!」


 議員達が倒れたエルディン公に詰め寄って判断を仰ぐ。今彼らの頭の中にあるのは戦うか降伏するかではなく、己の保身しかなかった。


「狼狽えるな、愚か者ども! 確かに大軍だが、港さえ封鎖されなければまだ打つ手立てはある! しっかりしろ!」


 マナドゥアが一喝する。しかしまだ私の元に《グリード》からの一報は届いておらん。しかも十万を超える大軍だと!? 魔女め! 私やガイエンの想像を遥かに上回る動員数だ! この戦力差では話にならんぞ、アレリオン! どうする!?


「馬鹿な! 十万相手にもはや戦うなどと言う選択肢は残されていない! さっさと降伏の支度をしなければ」


 議員の一人がそう口に出すと、他の議員も同意し始めた。全く自分の保身のことしか考えておらん。相手が《ウォーバウンド》なら無血開城に誘導させてはならん。


「お前達! とにかく先ずは冷静になれ! エルディン公! こうなった以上貴様も腹を括れ!」


 マナドゥアはボソボソと呪文を呟きながら、ゲルクォルの両肩甲骨の間を軽く押した。ゲルクォルはマナドゥアの瞳に写っている自分自身の姿を凝視する。するとゲルクォルは自分の中に渦めく不安が少しずつ解消されるのを感じ、冷静さを取り戻していった。


「ディ、ディルモア殿。そなたの言う通りだ。とにかく自分の眼で事態を見極めねば……」


 マナドゥアはリオレスを議会場に残し、ゲルクォルと共に城壁に上がった。エルディンは見事に陣形を整えている壮大な軍団に完全に三方を包囲されていた。十万どころでは無い、十五万はいる。投石器にも既に巨大な岩が装填されており、攻城兵器も準備万端だ。

 各陣の各部隊にはそれぞれ色や紋章の異なる戦旗が掲げられている。ただの殺人者集団では無い。これは軍事行動を前提として訓練された完全なだ。


「本陣! あれは! あの旗は! そんな!!」


 ゲルクォルが敵軍中央の本陣を見つけると、再び恐れ慄き出した。そんなわけあるはずがない! 女神オーロリアの象徴であるアンククロスのシンボルが刻まれたエスカッシャンを左右二人の乙女が支えている神聖な紋章ディバインエンブレム。この意匠を掲げることが許されたのはティルゲイア大陸の長い歴史の中で唯一人、常春の国の女王シェラ・エル=ディオス・メイヨールの神託を受けて女神の下に召された、神聖騎士レマリア・エル=ドゥリン・ベムゾディアのみ! それが今目の前にいて、このエルディンを包囲している!


 これにはさすがのマナドゥアも動揺を隠せなかった。騎士レマリアは魔女の魔の手に堕ちていた。この絶望的な事実を受け止めねばならなかった。オーロリアよ。我々に為す術はないとおっしゃるのか。


「選択の余地はないだろう。降伏するしかない。ディルモア殿、そのように伝えてくれ。私は議会に戻って状況を説明する」


「いや、待て。よく聴け」


 マナドゥアはゲルクォルを引き留める。


「わざわざ奴らが軍隊をひけらかし、無血開城を迫っているのは、戦乱の最中に娘を失うことを恐れているからだ。娘は今このエルディンに滞在している。それはエルディン公の切り札となるだろう」


 マナドゥアの言葉にエルディン公が眉を顰める。


「しかし、どの娘かは特定できぬと申したではないか!?」


「特定する必要はない。もう一度言うぞ。大事なことはだ。良いか。これは切り札だ。でなければこの街はとっくに落城している。見ろ、この街を取り囲んでいる軍隊を。我々をこの光景に釘付けにさせている裏で、奴らの斥候は必死になって市内を捜索しているのかも知れんぞ!」


 そうか! マナドゥアはゲルクォルを引き留めながら閃いた。いくらなんでも動員兵数が多過ぎる。魔女と言えどこの数の軍隊を運用する事など不可能だ。してや突然現れたなどと。我々が今釘付けにされているこの軍隊のほとんどは魔女の幻影なのではないか? 十五万の偽りの部隊に、より真実味を持たせる為に、レマリアの存在を利用している? 《ウォーバウンド》には厳格なヒエラルキーがある。この軍が魔女に率いられているのではなく、レマリアが単独で動かしているのであれば、十五万の兵を統率できるわけが無い。今目の前にいるのはレマリアの部隊のみ。レマリアがガイエンと同じ序列だとしたら、実際には三千から五千、多く見積もっても一万程度のはずだ。マナドゥア自身がこの推測にすがり付きたかった。でなければ何もかも終わりだ。


「エルディン公! 数に惑わされるな! 徹底抗戦だ。今すぐ守備を固めろ」


 十五万の軍隊が巻き起こす砂埃が海からの潮風に煽られ、所々に大きな塵旋風を発生させている。その旋風を避けながら、一匹の白いオウギワシが空を何度も旋回していた。

 オウギワシは城壁の上にマナドゥアを見つけると、引き寄せられるように滑空して向かってくる。


「いや、前言を撤回する。迎撃の用意だ!」

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