第2話 白亜の街のEspionage
夕方頃になって、アリレオン一行は人目を忍びつつポート・エルディンに入った。ポート・エルディンは同じ港街でもリュテリアとは全く風景が異なる。街全体が海際に向けて緩やかな下り斜面になっており、建築物はどれも白レンガで統一されていて低層だ。路地も狭く、四人いたら横並びで歩けない。この設計は市街戦でも不利な上、肝心の城壁もリュテリアより低い。攻城戦となったら、どれくらい持ち堪えられだろうか。唯一の救いは港町ということだ。籠城したままでもロジスティクスは維持できる。だが海路まで封鎖されたら……? それはヤバイな。エルディアが海戦したなんて歴史は授業で習ったことがない。レン=デル・マインの海軍力はヴァリンデンと接している北方の軍港に集中している。
「アレリオン、着いたぞ」
頭の中で考えを巡らせていたら、マナドゥアから声をかけられた。一行はアンセロッドの身の安全を確保するために、一番治安の良さそうな高級宿に部屋を二つ用意した。アレリオンとラギとマナドゥアの部屋、そしてデルコスとアンセロッドの部屋だ。ラギとアンセロッドを一緒の部屋にしなかったのには訳がある。
「デルコス、エルディン滞在中のアンセロッドの護衛は引き続き騎士であるお前に頼みたい。オレとラギとマナドゥアはエルディンで諜報活動を行う」
アレリオンは初めてデルコスに頼み事をした。リスペリダルの春祭のゼパム投げで険悪な関係になっていたが、今は同じ目的を共有している。皮肉なことにアレリオンとデルコスを結び付けたのは、あの時割って入ったエヲルだった。デルコスもこてんぱんにしてやられた相手から頼み事をされることに悪い気はしていない。
「わかった。アンセロッドのことは私に任せろ。騎士の端くれとして、この命に替えても護り通してみせる」
「デルコス、その、以前はお前を挑発して悪かった……。一応謝っておきたい。オレ達は仲間だ」
アレリオンも騎士としてのデルコスはとても頼もしい男だということに、ここにきてようやく気が付いた。思えばあの時のオレは子どもじみていた。
「やめてくれ。らしくないぞアレリオン。私はそんなに引きずる男ではないし、騎士の本懐を忘れもしない。淑女を護るのは騎士の誉だ。お前が私を信用してくれているように、私もお前を信用している」
そういうとデルコスは自分から手を差し出した。アレリオンはその手をギュッと握り締める。二人はお互いがお互いを必要としている。今はまだ《ラプター》には七人の仲間しかいないのだから。
「よし、時間が惜しい。オレ達は直ぐに出る。今回の作戦は時間とタイミングの勝負でもある。オレも出来る限り犠牲は抑えたいし、《ウォーバウンド》も叩いておきたい。《ラプター》の存在感を示すんだ」
「必ず帰って来てください。上手くいくことを願っています」
アンセロッドはそう言ってアレリオン達を見送った。必ず帰ってきて。お願いだから、必ずよ。
*
宿を出たアレリオンたちはエルディンの中央広間に面した大衆向けの酒場に入った。ここで《ウォーバウンド》を偽装する。こちらから探すのではなく、逆にアレリオンたちに《ウォーバウンド》を引き寄せる。類は友を呼ぶという訳だ。
まだ日が沈みかけている最中だったが、酒場の中はすでに賑わっていた。たまたま階段の陰となっている狭いテーブル席が空いていた。アレリオンはラギを一番奥に座らせ、自分とマナデゥアは手前に座った。
ラギの席からは酒場のほぼ全体を見渡せる。
「エール三杯だ。喉が渇いているから早めに頼む」
アレリオンは席につくなり店員に酒を注文した。ここからは事前の打ち合わせ通り、三人は芝居を始める。
「なぁ、あれからどれくらい経ったか覚えているか? 二週間以上も経っちまったな」
「アーテンにはおらなんだ。あのお方のことだから、もはや消息は追えまい」
やれやれと言った感じでため息をつくマナドゥア。
「過ぎたことはよしなよ。とりあえずは今日の戦果を祝福しようじゃないか。いいか、それぞれエール三杯飲んでからが勝負だぞ」
ラギの言葉に合わせるように丁度店員がエールを持ってきた。アレリオンはその店員にすぐさま新たに二杯ずつ用意するよう催促する。
「
「
アレリオンとマナドゥアがラギの乾杯の音頭に続くと、三人は最初の一杯目をそのまま豪快に飲み干した。と、同時にテーブルの下でラギが軽くアレリオンの左足を蹴る。目星い奴がいるの合図だ。
他の客に背を向けているマナドゥアもいち早く気付いていた。独特の金気臭、人の血の臭いがする者がいる。それを勲章かのようにひけらかし、隠そうともしない。《ウォーバウンド》ではなかったとしても、この街の裏の顔に通じていることは間違いなさそうだ。今日のターゲットはあいつに決まりだ。
数分後に、店員が一人二杯ずつ、計六杯のエールを持ってきた。
「いいか、二杯一気に飲み干すんだからな。ゼパム投げはその後だ」
三人でエールを三杯ずつ飲んで、ほろ酔い気分でゼパム投げを始める。ゼパム投げはラギに勝たせ、男が酒場から出るタイミングに合わせて三人も帰路に着く。その時ラギを一人にして男が釣り上がるかどうかを見定める。男が釣れようが釣れまいが、アレリオンとマナドゥアは男を尾行し、ラギとともに男の退路を断つ。ラギに釣られてくれれば嵌めるのが楽だが、そうでなくても強引に嵌める。路地の狭いエルディアなら容易だ。これが三人の描いたシナリオだった。
半刻ほど経った頃、男が席を立った。勘定を済ませて帰ろうとする。そこに酔った振りをしたラギが強引に割り込んだ。
「約束通り、一位払いだ。ここは奢ってやるよ。先帰ってな」
ラギに促され、アレリオンとマナドゥアは先に外に出ると、物陰に潜んだ。その後ラギと、ラギに続いて男が酒場から出てくる。男はラギと同じ方向に進んでいる。釣れたか? アレリオンとマナドゥアは男の尾行を始めた。
釣れた。ラギには確信があった。あの男は私をターゲットにして尾行している。その気配を隠そうともしない。よほど自分に自信があるのか、それともただの馬鹿なのか。
いや、待てよ。そうか、わかったぞ! あたしたちと同じだ! こいつは気配を露わにして私を誘導して網に追いやろうとしているのか! 面白い。シャドウウォーカーの私を罠に掛けようとするとは。
ラギはおもむろに狭い路地に入っていった。この路地は先に人目の付かない細い十字路がある。私を嵌めるならそこだ。
思った通り男も路地に入ってきたことを確認する。どうしようか。ここで足を止めてこいつ一人を生け捕りにするか、敢えて網に掛かってやって逆に一網打尽にしてやるか。アレリオンならどちらを選択するだろうか?
ラギは少しだけ迷ったが、結局は敵の網に引っ掛かってやることにした。一人も逃さない自信があったからだ。
自ら十字路で足を止める。すると思った通り三方の物陰から、男たちが現れた。してやったりという感じなのだろうか。後ろから野太い声が聞こえてくる。
「女。正門、大広間、港。一つ選ばせてやる。明日お前の死体はそこで発見される」
ラギは背後にいる男をまるで無視する。あれはアレリオンとマナドゥアに任せればいい。それよりも私を包囲しようとしている残りの三人をどうしたら一人も逃さず仕留められるかだ。私の前方の男はアレリオン達からもすぐに視認できるはずだ。だったら私は左右の二人の足を止める。
ラギは左の路地に入ると、眼前にいた男の右太腿に小刀を突き刺す。
「!!」
あまりに一瞬の出来事で、右太腿を刺された男は状況を理解できていなかった。その直後に鈍痛が走ったかと思うと、頭がクラクラして意識が遠のく。ラギのハイキックが後頭部に直撃して、脳震盪を起こしたのだ。
ラギは男を一人戦闘不能に追い込むと、すぐに自分の背後の男、つまり十字路の右側に潜んでいた男を標的とした。ちらりと流し目で確認すると、自分を尾行していた男は既にマナドゥアの芸術的なバックスタブによって声もなく絶命している。もう一人はアレリオンの投げナイフに両脚を刺され、地面に這いつくばって悶えている。
じゃあ、こいつは殺してもいいか。ラギはそう判断すると、瞬時に縮地で懐に入り込んで、小刀で男の喉笛を掻っ切った。男は断末魔すら上げることが出来ずその場に倒れる。これで二人確保だな。
「思ったより呆気なかったな」
ラギは物足りない。
「一番手練れの奴が、尾行役の男だったんだろうよ。一番最初に死んだがな。見せしめとしては最適かも知れない。正門、大広間、港、どこが一番効果的だと思う?」
尾行役の男の言葉を借りて、アレリオンはラギとマナドゥアに尋ねた。
「正門だな。此奴が《ウォーバウンド》だとすれば内外への見せしめとなる」
マナドゥアの意見にアレリオンが同意する。正直一番骨が折れるが、その分効果も高い。
「オレも同意だな。オレがこいつを正門まで晒しに行くから、その間にマナドゥアとラギは、二人を隠れ家に拉致してくれ。もう一人の死体はそのまま放っておこう。犯行場所がこの十字路であることを敢えて明かして、この場を見張ることも出来るからだ」
*
ここは……、何処だ? 波の音に潮の匂い。港か? まだ頭がクラクラする。
男は自分の右太腿から激痛が走っていることに気が付いた。拘束されていて下着しか身に付けていない。頭と口には口輪が嵌められており、喋ることすら出来ない。
「やっと目が覚めたようだな」
目の前に、赤身がかった黒髪の細身の女がいる。この女! 俺をこんな目に合わせたのはこいつ! くそっ!
「良いか、お前は殺す。お前の選択肢は素直にあたしの質問に答えて楽に死ぬか、苦しみ抜いて死ぬか、その二択だ」
ラギがいつも通りの声で淡々と男を脅すと少し笑みを浮かべた。手に持ったペンチで躊躇なく男の左足の小指を骨ごと砕く。男に激痛が走る。
!!
「質問はそんなに難しくない。あたし達が何者なのかはお前もわかっているのだろう? あの方はもうお前達を必要としていない。お前達は失敗した。あたし達はあの方からお前達の代わりとしてここに遣わされたんだ。あいつの居場所を教えろ。回答を右のペンでこのノートに書くんだ」
あいつが誰のことを指しているかは知らないが、ラギは《ウォーバウンド》の芝居を続けている。この男が《ウォーバウンド》であることを前提とした拷問だ。《ウォーバウンド》であれば情報を引き出し、そうでなくても情報を引き出してこのまま殺す。
男は口輪を嵌められながらも悶えていた。だが右手を動かす気配はない。ラギは今度は男の右足の小指をペンチで砕いた。男がさらに悶える。その様子を後ろで眺めていたマナドゥアが静かに喋り出した。
「素直に答えた方がお前の為だ。既にもう一人は吐いている。確かたったの四本目だった。我々が今行っているのはただの答え合わせだ。お前が四本以上耐える必要が果たしてあるのか」
もの凄く静かな殺気だ。あたしを尾行していた男とはまったく質が異なる。その声はまるで針の穴に糸を通すかのように、相手の扁桃体を精密に貫いている。まるでセロクェルの師範代が放つ殺気だ。まぁ、あたしはあたしのやり方でやろう。
ラギは男の左手の小指の指先をペンチで砕いた。
「この娘を尾行していた愚かな男は今頃この街の正門で見せしめとして無残な姿を晒していることだろう。もう一人はあの十字路で頸動脈から血飛沫を上げて血塗れになって死んでいる。もう一人はあいつの名と居場所を書き記して、今頃は海の中に沈んでいる」
男は左手の薬指の指先もペンチで砕かれた。ラギは一々手を止めることはない。淡々と指砕きを続ける。
誰だ!? 誰のことを言っている!? あいつは何と答えたのだ!? 男にはまるで見当も付かない。答え合わせだと!?
ラギは男の左足の薬指をペンチで砕いた。男の指をブツりと砕く度にサディスティックな欲望が満たされる。右足の薬指も砕いた。男が悶える。もっと悶えさせたい。
「少しばかり質問の内容を変えてやろう。海に沈んだ哀れな男は、誰の名を挙げたと思う? 私がお前に求めているものはその者の名前だ。答え合わせがしたいのだ」
“ノチア・ドミル”
男は右手に持ったペンで必死にその名を書いた。俺達の元締めの名前だ。男は名を記したが、ラギは構わず指を砕き続ける。
「違うな」
マナドゥアが冷たく言い放つ。ラギは左手の人差し指の指先をペンチで砕いた。
“何でも答えるから止めてくれ! 頼む!”
男がラギの行為を制止するよう筆談で懇願するが、彼女は聞く耳を持たなかった。右足の人差し指をペンチで砕く。
!!!!
「早く正解を書かないと、指の次は何が待っているかは私は知らんぞ。なにせ先程の男は指四本で何もかも全てを答えたからな」
“ギルデン・リューク”
「違うな」
ラギは左手の親指の指先をペンチで砕いた。
マナドゥアとラギは、男がどんな名を記しても「違う」と言って拷問を続けた。最初から正解などありはしない。どれだけ多くの名前を引き出せるのか。そのためにこの拷問をしているのだ。まずはペンチで一本ずつ指を砕き、その次はノミとハンマーで指を根元から骨ごと砕き切る。
男が思い当たる名前全てを書き切る頃には、右手以外の男の指は三本しか残されていなかった。
「使えない奴め。どうやら本当に何も知らぬようだから私が答えを教えてやる。いいか、よく聴け。これから同じことをもう一人の男にも味合わせる」
マナドゥアの冷たいセリフに背筋が凍る。嵌められた!? 俺は完全に嵌められたのか!? 男がそう気づいた時、自分の首が胴から切り離されていくのを感じた。
*
「かなり骨を折ったが、見せしめとしては十分すぎるほど派手に仕掛けてきてやったぜ。明日朝一番に正門が開けば、あいつの死体が通りに投げ出される仕組みだ」
港の隠れ家に合流したアレリオンが少し得意げに話す。
「それは何よりだ、アレリオン。こちらも大分骨を折ってやった。ターゲットのリストはおおよそ完成しただろう。お前の作戦通りだ」
そう、リスト作りは完了した。拉致した二人から出来る限りの名前をリストアップさせ、さらにリストアップされた人物の素生をこれから洗い出す。この男達が《ウォーバウンド》であろうがなかろうが、少なくともこのリストに挙げられた二十七人の中にはそれに近い存在がいるに違いない。
「出足は上々だな。よし、このアジトは今夜限りで引き払って、明日からは早速次のフェーズに移ろう」
美しき白亜の港町エルディン。この街ではこの夜から血生臭い怪事件が連続して起こることになる。
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