第21話 雨上がりのAllegiance
朝の白い空の中に月の光が消えかける頃、アンセロッドはそれまで隠れ住んでいた小屋をそっと後にした。昨晩流した涙のように、夜通し降り続いていた雨もいつの間にかすっかり上がっていた。北から吹き抜ける朝の風が冷たくて心地が良い。
ガイエン卿を置いていってしまうのは心残りだけど、決心が鈍る前にモルセイケンを抜けてしまおう。そしてもし無事にエルディン港から外洋に出てしまうことが出来れば、後はもうどうだっていい。いっそのこと死んでしまったって構わない。自分一人のためにこれ以上周りの人たちを不幸な目に合わせるわけにはいかない。みんなを死なせたくない。
朝靄の中、アンセロッドは急ぎ南へと向かおうとした。その時だった。
「待てよ」
背後からアンセロッドを呼び止める声があった。
「こんな時間にそんな荷物を持ってどこに出かける? まさか今から一人でハイキングってわけでもないだろう?」
アンセロッドが振り向くと、そこには一人の青年が立っていた。アレリオン。確か昨日はそう呼ばれていた若者だ。濁った金褐色の髪を風に
ヴァリンデンから旅をしてきたと言っていたけど、この人は何で私を追いかけるのだろう。不思議でならない。私に関わっても自分が不幸になるだけなのに。
アンセロッドは黙ってアレリオンを見つめ返した。アンセロッドは不思議なことにアレリオンの瞳から優しさと温かみを感じた。だがアンセロッドはその優しさが自分ではなく、自分を通して彼の目に映っているであろう薄紅色の髪の少女に向けられていることに気が付いた。
「二ヶ月前、エヲルは今と似たような言葉で、リスペリダルを発とうとしていたオレを引き留めようとした。でもオレは直ぐには振り返れなかった。結局オレはエヲルを置いて一人で旅立った。それがあいつとの最後の別れとなった」
アレリオンはもの悲しそうな顔をしてそっと拳に力を込めた。
「あいつはオレの幼馴染であり、親友でもあった。それが、実は十七年前に既に死んでいたなんて……、信じられるか? あの日オレを送ったあいつの姿は、今でもこの眼にしっかりと焼きついている。あれは幻だったとでも言うのか? マナドゥアの言葉もザンマの言葉も真実にはたどり着いていなかった。だがガイエン卿は全てをオレに打ち明けてくれた。アンセロッド。聞いてくれ。逃げちゃいけない。戦うんだ。今まで君を取り巻いてきた不幸の連鎖を断ち切るためには、挑み戦わなくてはいけないんだ」
アレリオンのその言葉にアンセロッドは憤慨した。彼もまた私を利用しようとしているだけじゃないの!?
「あなたに私の何が分かるというの!? エヲルさんを殺したのは私同然ではありませんか! 私なんて生まれてこなければ良かったのよ! 私さえいなければ、あなたのお父様も、エヲルさんも、ガイエン卿も、みんなみんなこんなことにはなっていなかった!」
アンセロッドの心の叫びにアレリオンはゆっくりと首を横にふった。そして答える。
「だが君は生まれた。そして今こうしてオレの前にいる。とてつもなく大きな宿命を背負って。 親父やエヲルが死んだのは、ただ君のためじゃない。君のその宿命のために命を懸けたからだ。今、君は自分一人だけでその宿命を背負おうと考えている。だからその重圧に耐えることができず、目を逸らして逃げ出してしまいたくなるんだ。君を助けた親父やエヲルはもういない。だがまだオレがいる! オレがいるぞ! 親父やエヲル、ガイエン卿と同じように、オレも君を一人にさせたりはしない。オレと一緒に君の宿命と向かい合って戦うんだ!」
「なぜです!? どうして!? 私には理解できません!」
アレリオンは首もとのボタンを2つ外すと、首から提げていたメダリオンを取り出して手に強く握りしめた。こうしているとレディ・サイレンのことが思い出される。卓越した技術の持ち主。オレも3Sは出来るようになった。オレはそれ以上を求める。
「君と同じようにオレもまた宿命を背負っているからだ。メイディオルの魔王と、そして《ウォーバウンド》どもに立ち向かうという宿命を。あいつらには借りが沢山ある。全部返してやる。相手がオレの親父だろうとしてもだ」
アレリオンは静かに声を震わせた。これまでの報いを受けさせる。お袋は聖騎士として宝珠を奪還した親父を待っていたはずだ。それが、今は魔王の手先だと? ラスゲイル・フォルサウィン。お前だけはオレの手で殺す。
「これは脅しだ。君がここから去れば、大陸は完全に魔王の手に落ちるだろう。国と国とが戦争を始めて、男も女も、幼い子供までも、多くの犠牲者を出す。全ては魔王の掌の上だ。魔王は直接支配する必要すらない。愚かなオレたち人間は勝手に自滅していくだけだ。それが《ウォーバウンド》たちのシナリオだ。君には耐えられるのか? 君はその現実から目を逸らして一人で逃げるのか?」
本当のところはどうだろうか。魔王は自分で世界を支配し、直接手を下すかもしれない。そんなことは今のオレにはわからない。だが、アンセロッドを脅すには十分だろう。
「…………」
二人の間に沈黙が流れる。まるであの日のように。だが今は沈黙を破り、決意を後押ししてくれる花火は打ち上がったりはしない。自分の意思で決断しなければならない。
「私はどうすればいいのですか? 教えてよ! 私はどうすればいいのよ!?」
「オレが君のその問いに答えてあげられることはただ一つ」
アレリオンはそう言うと、ゆっくりとアンセロッドに近づいて行った。アンセロッドは戸惑いながらもアレリオンから目を離さない。アレリオンはアンセロッドの目の前まで来ると、その場に
「レディ・アンセロッド。アレリオン・アスモデュイルは、今、この時から貴女の唯一の騎士として誓約を立てます。貴女とオレ、二人だけの誓いです。貴女の忠実な僕であるオレに役割を与えてください。たった一言。『魔王と戦いなさい』と」
アンセロッドは戸惑った。この人は本気だ。私の騎士……。私だけの騎士。私に対してだけの忠誠の誓い。私のために、私の宿命に立ち向かうためだけに一緒に戦おうとしてくれている。
私も逃げたくない。もう自分の宿命から逃げたりはしない。これ以上犠牲は出せない。このアレリオンも殺させはしない。戦わなくてはいけない。この人とだったら戦えるかも知れない。この意志が強い青年とだったら、もしかしたら宿命に立ち向かえるかも知れない。この人には私にそう思わせる何かがある。それが何かはわからない。でも私は信じてみたくなった。どうせ死ぬなら、彼も私と一緒に死んでくれる。そんな気がした。その時が来るまで
アンセロッドは覚悟を決めてゆっくりと口を開いた。その声はとても力強く、そして穏やかだった。
「アレリオン・アスモデュイル……。私の、私のために一緒に戦って……。 『魔王と戦いなさい』!」
アンセロッドは語尾を強めた。アレリオンはアンセロッドの決意を聞くと、目を
…………だが、アレリオンの本心そうではなかった。待っていろ。メイディオルの魔王、恐怖公ども。お前たちはオレを敵に回した。そのことを後悔させてやる。今オレは、最大のコマを手に入れた。恐れ
- 第一部 完 -
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